| −意外に新しい「時代」祭− |
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「時代祭」という名前に反して、意外にもこの祭の歴史は新しい。明治28年が第1回目だというのだから、わずかに100年余りの歴史があるだけなのだ。 「100年のどこが『わずか』なのか」と思ってしまうのは短い時間のサイクルに追い回されている現代人の感覚であって、1200年の歴史を持つ京都に比べれば100年などは一陣の風のようなものだろう。 その証拠に、祇園祭は1000年の歴史があり、葵祭はなんと1400年も前から行われていたという。彼らにしてみれば「何よ、あの生まれてから100年ちょっとしか経っていないひよっこの時代祭が、私たちの仲間入りをするなんて、失礼な話よね」と憤慨していてもおかしくない。
基本的に時代祭のコンセプトは「歴史を彩った有名人達を現代に再現しよう」というものである。坂本竜馬が歩き、豊臣秀吉が、織田信長が馬に乗って悠然と進み、紫式部、清少納言が輿に乗る。見た目に分かり易いし、衣装も派手だ。京の歴史、ひいては日本の歴史を再確認できるという楽しみもある。 だけど時代祭からはショー的なもの、パレード的な雰囲気がかなり強く感じられるのも事実だ。それが悪いといっているわけじゃない。祭というものは多かれ少なかれパレードであるのだから。でも、他の三大祭が持っているような、伝統の儀式としての重みや、ある種の祈りの気持ちようなものが、時代祭からはあまり感じられない。 たぶん時代祭には、行われなくちゃならない必然性というものが、最初からあまりなかったのだと思う。そもそも最初から「平安遷都1100年の記念に何か大きなイベントをやりましょう」という発想から生まれたものなのだ。けれど100年前はともかくとして、今ではTVドラマや映画なんかで歴史上の有名人は繰り返し演じられているのだから、目新しさという点では少し時代遅れになっているという気もする。
とりわけ観客の中に外国人観光客が目立った。日本人にとっては馴染み深い戦国時代の甲冑姿や、平安の十二単なんかも、外国人にして見れば新鮮なものに映るのだろう。様々な時代の風俗が一度に味わえるわけだから、なかなかお得なイベントなのかもしれない。 時代祭は伝統としての重みやしきたりに縛られていないだけに、取っ付き易く誰にでも楽しめるものなのだ。牛車を見て歓声を上げる外国人観光客の姿を見ていると、末っ子も末っ子なりに頑張っているんだなと思った。 それにしても総勢2000人に及ぶ大行列は長い。長すぎる。特に行列の後ろをぞろぞろと付いてくる、袴姿のオジサン達はいったい何者だろうと首をひねってしまった。いつ終わるとも知れない行列をもう少しコンパクトに出来ればもっといいのにね、というのは僕だけじゃなく周りにいた人々の一致した意見だった。 |
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