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| 水面に映る桜を見つめるように佇む水鳥 (00.4.13) |
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| 水鳥は桜の玉座に鎮座している (00.4.13) |
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平安神宮を出て、日本一大きな鳥居をくぐると、琵琶湖から流れてくる疎水の岡崎分流がある。
滑るような水面に桜色が眩しく反射する。くちばしの長い水鳥が、その様子をじっと見つめるようにして佇んでいた。
今年の京都の桜は、例年になく遅咲きだった。
いつもなら4月の始めには満開を迎えるはずなのに、3月終わりから冷え込んだ日が多かったせいで一週間以上も開花が遅れた。
こういう時に、もの言わぬ自然の不思議なリズムというものを感じずにはいられない。まるで見えないネットワークでコミュニケーションを取っているように、いっせいに京都中の桜が遅れて開花するわけだから。
当たり前のことといったらそれまでだけど、自然を感知するセンサーは繊細で、しかも正確だ。
もちろん、同じ染井吉野の並木の中にも気の早い樹と、のんびりとした樹というのもある。そんな姿を見ていると
「きっと私は遅咲きなのね」
と、友達の女の子がため息混じりに言っていたことばを思い出した。
25歳で遅咲きも何もないじゃないか、と僕は思ったけど、女心というのは複雑で、このぐらいの年齢になると一度は、結婚だとか自分の未来に対して不安を抱くものらしい。
早咲きであろうと、遅咲きであろうと、しかるべき時が来たら咲いていくのが自然の法則というものだろう。人間もその法則に従うんだけど、それが少し複雑なのだ。
「遅咲きの花だってちゃんと咲くんだよ」
僕はその女の子にそう言ってあげるべきだった。
早くても遅くても、桜はいつか咲いて、そして散っていく。ほんの一瞬だからこそ、それはとても美しく見える。
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