桜の都backindex奈良・吉野の桜
−日本のお花見の原点を訪ねる−

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上千本の桜
 山桜が見たくて、奈良の吉野に行った。
 京都でも一番遅咲きの桜と言われる、仁和寺の御室桜が散り始めた4月24日。2000年の桜を締めくくる意味で、吉野に出かけた。

 京都から吉野まで、近鉄電車で2時間半かかる。特急列車で行くと一時間ほど早く着くらしいのだけど、料金が倍ほどかかるというのと、まぁそんなに急いでいないというので、急行電車に乗ることにした。急行と言っても急いでいるのは最初のうちだけで、奈良の奥地へと入っていくと各駅停車になる。吉野という土地は、奈良の中でも田舎なのだ。列車が進むにしたがって、車窓から見える景色から民家の割合が減っていくのがよくわかる。
 吉野は奈良の南にある山間の里だ。観光と林業が主要産業の静かな町で、それでも桜のシーズンになるとちょっとした賑わいになる。でも僕が行ったときには、もう桜も終わり頃の平日だったから、終点の吉野駅まで乗っている乗客はとても少なかった。地元の老人とおばさんの観光客(ほんと、おばさんの観光客は年中どこにいっても見かける)と若いカップルが少々。

 駅前にはしなびた観光案内所と、暇そうな土産物屋が軒を連ねていて、その先にロープウェイ乗り場がある。ロープウェイが通る谷の桜は「下千本の桜」と呼ばれていて、そこは既に葉桜になっていた。
 吉野の桜は山の斜面に植えられた山桜で、植えてある高さで「下千本」「中千本」「上千本」というグループに分けられる。上千本を更に奥に入ると、最後の「奥千本」が待っている。標高が高くなるに連れて気温は下がるから、桜の開花も上の方が遅くなる。僕が吉野を訪れたのは桜シーズンも終盤の4月24日だったので、下の方はあらかた散り終わって、咲いているのは「上千本」と「奥千本」だけだった。

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吉野分水神社の桜
 ケーブルカーを降りると、狭い道の両側に店がびっしりと並んだ土産物街に出る。シーズン最後だということで、どの店もお客よりも店員の方が多い。まずは腹ごしらえをというわけで、おばあちゃんが売っている焼き餅を二つ買って、歩きながら食べた。あつあつのよもぎ餅の中にたっぷりと粒あんが入っている。素朴な味でとてもおいしい。
 土産物街の突き当たりには仁王門がある。二体の像に睨まれながら門をくぐると金峯山寺蔵王堂があり、ここから曲がりくねった坂道をひたすら歩くのである。
 趣味が山登りという人ならともかく、僕のように歩き慣れていない人間にとって、坂道を歩くというのは結構ヘビーな運動だ。上着を脱いで腰に巻き、息を切らせながら歩き続ける。やがて斜面を見下ろせる高台に着いた。一時間かかって、ようやく「上千本」に辿り着いたのだ。
 一息ついて、眼下の山桜を見渡す。山間の緑の中に、ぽっぽっと小さな桜色のかたまりが幾つも見える。下の方のかたまりは、花を散らせていて色はくすんでいる。上千本も何割かは散り始めていた。そのせいか、桜はずいぶん控え目な印象だ。桜前線は上千本をも駆け抜けた後だったようだ。
 さっき通った蔵王堂の大屋根が、遥か足元に小さく見える。こうやって今まで歩いてきた距離を目で確認できると、少し嬉しくなる。

奥千本への道
薄暗い山道を歩く
 「奥千本」へは、更に急な坂道を登らなくてはならなかった。後で気がついたことだけど、実は奥千本の途中までバスで登ることができたのだ。たいていの人はバスで登ってから、下りの道を歩いているらしい。どうりで上に行くほど下る人ばかり増えて変に思ったわけだ。下調べはしておくべきだった。
 奥千本に通じる山道に踏み込むと、急に薄暗くなった。道の両側に背の高い杉が等間隔に植えられて、射し込む光が弱まったのだ。高さと暗さのせいで、空気がひやりとしている。脱いでいた上着を着込んでもまだ冷たい。鳥の声がこだましている以外、物音もしない。杖をついたお坊さんが、前から歩いてきそうな雰囲気がある。
 奥千本は満開だった。満開ではあるけれど、それは一面に桜のヴェールが広がるという光景ではなかった。吉野の桜はほとんどがシロヤマザクラと呼ばれる種類で、一般的な染井吉野と違って紅茶色の若葉が開くのと同時に花が咲く。ひとつひとつの花は小さく、色も薄い。だから見た目の派手さというのには欠けるのである。
 隣にいた夫婦が「これだけなの?もっと咲いているのかと思った」と不満を言い合っていた。その気持ちも分からないことはない。染井吉野の並木や、手入れの行き届いた枝垂れ桜を見慣れてしまった目には、この桜があまりにシンプル過ぎるように映るだろう。
 でも僕は満足だった。2時間近くをかけて歩いてようやく辿り着いた桜だから、派手ではなくても十分に美しいと感じた。お腹が減っているときに食べる、遠足のオニギリみたいなものだ。これが車に乗ってきて見た桜なら、また違った風に見えたかもしれない。自分の足で歩いてきたから、少しだけ僕と山桜との距離が縮まったのだろう。
 山桜にはシンプルさの中に凛とした美しさがある。それは決して里桜にひけをとるものではない。吉野の山桜が日本の桜の原点だという話も分かるような気がした。遠い昔に置いてきた大切なものの匂いが、この桜からは漂ってくる。

 来年もまたここに来よう、と僕は思った。出来れば「下千本」や「中千本」が満開の時期に。その時はまた、吉野の山桜は違った表情を見せてくれるに違いない。


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