チープ好きにはたまらない聖地ポッパ山

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ポッパ山の土産物屋に並ぶファンシーなダルマ

 ミャンマー最大の仏教遺跡であるバガンから、南東へ50km行ったところにポッパ山はある。ここはミャンマーの土着宗教である「ナッ神」信仰の聖地として有名なのだが、かなり辺鄙なところにあるので、バガンの町からピックアップトラックを一台チャーターして行くのが一般的だ。僕はバガンに着いた翌日に、日本人旅行者4人と連れ立って、このポッパ山に行ってみることにした。以前、ミャンマー行きを勧めてくれた人が、「ポッパ山には見ごたえのある仏像がたくさんあるよ」と言っていたからだ。

 「見ごたえのある」と言っても、それは巨大な涅槃仏や黄金仏などの「立派な」仏像という意味ではない。こんなことを言うと、仏教に厚いミャンマーの人々の気持ちを傷付けるかもしれないが、ミャンマーの仏像にはなぜか笑えるものが多い。メガネをかけた学者風仏像や、左手を腰にあて右手で地平線の夕日を指す青春ドラマ風仏像、どう見てもふてくされた表情の小坊主像など、茶目っ気たっぷりの作品も少なくない。ポッパ山にはそのような「チープ好き」垂涎の仏像達が集結しているというのである。

 ミャンマー人は、現世で功徳を積むことで、来世の幸せを願う「来世信仰」を強く持っている。そんな彼らにとっての最大の功徳とは、私財を投げ打ってパゴダや仏像を作ることである。というわけで、ありとあらゆる場所に、パゴダや仏像が林立することになるわけだが、その中には専門の職人以外の人間が、溢れ出る信仰心から勢い余って作った「素人仏像」もあるのだろう。首を傾げたくなるヘンテコな像は、このようにして生み出されているのではないかと思う。

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顔が怖いナッ神

 そういう意味で、ポッパ山は我々の期待を裏切らなかった。聖地である石塔「タウン・カラッ」の入り口には、37体の「ナッ神」像が居並ぶお堂があるのだが、これが凄い。まず衣装が派手である。林家パー子しか似合わないようなショッキングピンクのドレスを着て、無数のお札を握り締めて(信者が捻り込んだものらしい)虚空を見つめる姿は、どさ回り演歌歌手のような雰囲気。表情も怖い。水死体のようにこわばっていたり、何か恐ろしいものでも見たようにかっと目を見開いていたりと、全然神様らしくない。

 ものの本によれば、彼らナッ神は、王様に焼き殺された鍛冶屋や、夫に捨てられ苦悩死した女、王城の人柱となって死んだ男など、非業の死を遂げた人々の霊が宿る神様なのだという。そう思って見ると、37体の像には確かに底知れない怨念が宿っているように見える。ミャンマー人にとって、神々の像は高貴で慈愛に満ちた存在だけに留まらず、憎しみや恨みといった人間の業そのものをビジュアル化して、今に伝えてくれる存在でもあるのだ。しかし、事情を知らない外国人にとっては、ひたすら恐ろしい(でもどこか笑える)人形館なのであった。

 
 

ポッパ山のカリスマ「ボー・ミン・ガウン」

2328 業の深さという点では、ポッパ山のカリスマであるボー・ミン・ガウン像も見逃せない存在である。ボー・ミン・ガウンの第一印象は、「テキ屋の親分」である。着流し姿で立膝を付き、頭髪は五分刈りで、煙草をくわえ、眉間に深い皺を寄せている。「仁義なき戦い」や「トラック野郎シリーズ」に出ていても、何の違和感もない風貌である。きっと若かりし頃は、かなり無茶をしていたのだろう。そんな彼が、今では国を代表する聖人だというのだから、ミャンマーは実に奥が深いというか、謎の多い国である。

「ボー・ミン・ガウンは、最初にポッパ山に登って修行を積んだ、とても偉い方です」
 と説明してくれたのは、僧院にいた僧侶だった。岩塔タウン・カラッを降りた後、何か面白いものがないかと僧院の辺りをうろうろとしていたときに、彼が「どうぞ、お入りなさい」と英語で声を掛けてくれたのだった。

「元々、ポッパ山は人が近づくことのできない聖なる場所でした。ところが、60年ほど前にボー・ミン・ガウンが、山の頂上で瞑想修行を始めたのです。厳しい修行の後に、彼は様々な奇跡の力を身に付け、ミャンマー全土にその名声が知られるようになったのです」
 現在タウン・カラッにある寺院も、彼の後に続いた弟子達が建てたものだという。怨念を抱くナッ神や、テキ屋の(ように見える)ボー・ミン・ガウンなど、どうやらこの地の人々は変わり者を崇める習慣があるらしい。

 ウィザヤという名の僧侶は、暇を持て余していたらしく、ポッパ山の歴史を話し終わると、「もし時間があるのなら、私が僧院を案内しましょう」と僕を誘った。
 ポッパ山の僧院に属している僧侶は、岩塔タウン・カラッ近くの洞窟に住んでいる。洞窟といっても、大人一人がようやく横になれるぐらいの広さしかなく、それぞれの穴の入り口に木の扉を取り付けて部屋にしている。住み心地が良いとは言えないが、洞窟の中はひんやりとしているので、ミャンマーの暑い夏をやり過ごすにはいいのかもしれない。

 ウィザヤの部屋はとても質素で、生活必需品(マットレス、ゴザ、調理器具、托鉢に使うおひつ)以外に私物と言えるものはほとんどなかったが、奥にある仏壇だけは特別に豪華だった。黄金の仏像が六体並び、その後ろにはミャンマー各地の仏像やパゴダの写真が所狭しと飾られ、クリスマスツリーを飾るようなカラフルな電球が仏壇を照らしていた。

 
 

一日の大半を瞑想に費やす生活

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物静かな僧侶ウィザヤ

 ウィザヤは物静かな男だった。外国人の年齢を外見で判断するのは難しいのだが、無駄な肉付きの一切ない体と、張りのある肌から、僕は「きっと30代半ばだろう」と推測した。ところが、実際には46歳だった。

「規則正しい生活と、シンプルな食事、それに適度な運動。ここでの生活はとても健康的なんです」とウィザヤは穏やかな微笑を口元に浮かべて言った。「仏陀もおっしゃっています。『食べるものがなければ、水を飲みなさい。水さえ飲んでいれば、ある程度まで生きていけるものだ』と」

 もちろん彼は毎日水だけで生活しているわけではないが、食事は1日2回で、それもお米と僅かなおかずと野菜だけだという。もちろん肉類を食べることはない。これでぶくぶく太っているとしたら、その方がおかしい。過剰な栄養やダイエットやサプリメント食品とは、全く無縁の世界なのだ。

 ウィザヤが語る僧侶の日々の生活は、ストイックそのものだった。
「起床は午前3時半、それから2時間ほどが朝の瞑想です。6時に朝食と散歩。7時半から再び瞑想します。10時半には沐浴、11時に昼食を取り、少し昼寝をしてから再び瞑想します。寝るのは9時半です」

 要するに、一日の大半を瞑想に費やす生活なのだ。僕は仏門に入った経験もないし、洞窟で暮らした経験もないけれど、それが強い信念に支えられた厳しい生活であることは理解できる。

「以前、私はヤンゴンで教師をしていたんです。給料は安かったのですが、悪い生活ではなかった。一度も結婚しなかったし、子供もいないから、自分一人が食べていくには十分でした。でも、ずっと『何かが違う』と思っていました。私がするべきことは、他にあるのではないかと」
 ウィザヤは茶碗にお茶を注いで、少しだけ口を付けた。
「2年前のある日、私は『僧侶になろう』と決心しました。そして、今まで暮らしてきた社会との繋がりを断ち切るために、ヤンゴンから遠く離れたこのポッパ山にやってきたのです。それ以来、両親とも兄弟達とも、一度も顔を合わせたことはありません」

 彼は英語を話すのは久しぶりだからと言って、ときどき辞書を引きながら、とてもゆっくりと話した。それでも、彼が教養のある人間であることは、言葉の端々からうかがえた。僕はこの僧侶が何を考え、どういう生活を送っているのか、もっと知りたいと思った。だから彼に「今夜はここに泊まっていきませんか」と誘われると、僕は迷わず「イエス」と答えたのだった。

 
 

呼吸に意識を集中する

 ウィザヤは「見せたいものがあります」と言って、僕を僧院の裏手の小高い丘にあるお堂に案内した。お堂は屋根をトタンで葺いた粗末な倉庫風の建物だったが、その中には高さ3m程の銅色に輝く仏像が座っていた。ここの自慢の仏像なのだ、と彼は言った。

 ウィザヤと僕は、その仏像の前であぐらをかいて向かい合った。
「あなたは毎日どのように瞑想しているのですか?」と僕は訊ねた。
「まず、楽な姿勢で座ります」とウィザヤは静かに言った。「そしてゆっくり目を閉じて、呼吸に意識を集中させます。鼻を通る空気を感じるのです。息を吸うときには空気は冷たく、出すときには暖かく感じるはずです。どうです、感じられますか? 冷たい、暖かい、冷たい、暖かい、をずっと繰り返すのです。そうすると、周りのことが気にならなくなるはずです」

 僕は言われるまま、目を閉じて自分の呼吸に意識を集中した。そして、鼻を通る空気の温度を感じ取ろうとした。冷たい、暖かい、冷たい、暖かい・・・
「いいでしょう」ウィザヤが呼びかけた声で、僕は目を開けた。
「ちょうど15分経ちました。気分はどうですか?」
 気分はよかった。深い呼吸を続けることで、新鮮な酸素が脳にまで運ばれていくような感覚があった。
「でもあなたは、これをもっと長く続けるのでしょう?」
「私の場合は2時間ほど続けます。もっと長い間、瞑想を続ける僧侶もいます」

 ウィザヤによれば、瞑想には4つの方法があるという。座って行う瞑想。立って行う瞑想。横になって行う瞑想(もちろん眠ってはいけない)。そして歩いて行う瞑想。
「重要なのは体の各部分、動きのひとつひとつに意識を集中させ、コントロールすることです」とウィザヤは言う。「座っている姿勢を1時間、あるいは2時間続けたとしましょう。そうするとあなたは、足や尻など体のいろいろな部分に痛みを感じることでしょう。人はひとつの姿勢を続けることに慣れていないからです。今度は、その中で一番痛い部分に、意識を集中させるのです。痛みを痛みとして受け入れるように意識するのです。それを続けると、ある時点でその痛みはふっと消えてしまうはずです」

 窓からは西日が長く入り、ウィザヤのまとった僧衣を紅く染めていた。鳥の声や風が椰子を揺らすざわめきが聞こえた。僕はもう一度足を組み直し、目を閉じた。彼の言った通り、しばらくするとお尻が痛くなり始めた。痛い、痛い、痛い・・・しかし痛みは消えるどころか、ますます強くなる。我慢しきれずに僕は目を開けた。

「修行が足りないみたいですね」と僕は言った。
「もちろん、最初から上手くできる人はいません」とウィザヤは微笑みながら言った。「最初は10分でも、次の日は15分、その次の日は20分と、毎日少しずつ時間を伸ばしながら続けることが大切なのです」
 彼は難しいことを言っているわけではない。しかし、いざそれを実践するとなると、大変な根気が必要なのは間違いない。

「瞑想をしているときに、何を考えているのですか?」と僕は質問した。
「何も考えません」と彼は言った。「最初は様々なことが頭に浮かびます。痛みや辛さや疑問が、心を乱すはずです。しかし瞑想を続けていくと、心が強くなります。欲望がなくなり、悲しみや怒りや興奮が静まります。ちょうど深い海の底に座っているようなものです。海面にどれだけ大きな波が立とうとも、海底は常に穏やかです」

 ウィザヤの言っていることは、仏教徒ではない僕のような人間にも理解できることだった。彼の修行――瞑想という身体的な経験を通して、心と体をひとつのものとして捉え、意識を変えていくプロセス――は宗教と言うよりも、メンタルトレーニングに近いように思った。

「本当の豊かさとは、お金で買えるものではない。自らの心の中に見つけるものです。私はそのことを学んでいます」
 そう言うウィザヤの顔は、やはり現世の人間とは少し違っているように見えた。