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山猿に朝食を分け与える僧侶
 次の朝、目覚めてウィザヤの部屋を訪ねると、彼は山猿に食べ物を分け与えているところだった。「ラーラーラー」とよく通る声で呼ぶと、山の上から何匹もの猿が降りてくる。毎日の日課らしく、ウィザヤは慣れた手つきで托鉢で貰ったご飯やトマトを猿に放っていた。両手でトマトを挟んで、一心にかぶりつく小猿の姿は、なかなかかわいらしかった。

「よく眠れましたか?」とウィザヤは訊いた。
「ええ、まぁ」と僕は曖昧に頷いた。本当のことを言うと、かなり寝不足気味だったのだが。

 昨晩、僕が寝る場所として与えられたのは、僧の住む洞窟の向かいにある来客用の宿坊だった。他の町から僧侶が訪ねてきたときなどに使われる部屋ということで、洞窟に比べればかなり広く、トイレも付いていた。しかし、長い間使われていなかったらしく、部屋の空気は淀んでいて、大便の臭いが充満していた。臭いの方は慣れてしまえば気にならなくなったが、問題は蚊取り線香を焚いても諦めずに襲ってくる蚊と、夜中まで鳴り止まない賑やかな音楽だった。

 音楽は村の出家式で演奏されているものだった。ミャンマーでは、ほとんどの仏教徒が子供の頃に一度出家して仏門に入るという。男子は剃髪され、見習い僧として数週間あるいは数ヶ月お寺に預けられた後、再び俗世に戻る。本格的な出家というよりは通過儀礼的な意味合いが強いのだが、中には見習い僧として大人になるまで寺で修行する子供もいるという。
「出家式は年に一度か二度しか行われません」とウィザヤは言う。「あなたはとても運がいい。もしかしたら、仏陀のお導きがあったのかもしれませんね」

 彼がそう言うと、単なる偶然も予め定まっていた事のように思えてくるから不思議である。しかし、ポッパ山を訪れる日が一日でもずれていたら、ウィザヤと会うこともなく、僧院に泊まることにもならなかったのは確かだった。なぜなら、毎日ほとんどの時間を部屋に籠もって瞑想している僧侶達が、瞑想スケジュールを中断して外に出るのは、出家式などの特別な儀式がある場合に限られているからだ。


土着の神様「ナッ神」に祈りを捧げる。
 出家式は盛大なもので、二日間に渡って休みなく続く。その間、会場となる僧院近くのホールでは、賑やかなパゴダ音楽が途切れることなく流される。鐘と金管楽器と太鼓、それに何人かの歌い手が交代で演奏する。いつもは静かな村も、この二日間はとても賑やかなのだ、とウィザヤは言う。

 出家するのは、5歳から10歳の間の男の子7人と女の子6人(女は儀式だけで仏門に入らない)だった。子供達は「シンラオ」と呼ばれる煌びやかな衣装に身を包んでいた。女の子はピンクかオレンジ、男の子は純白のサテン地の上下に、ビーズで飾られたキンキラ帽子を被る。この派手なコスチュームは、釈迦族の王子だったゴータマ・シッダールタ(後のブッダ)を模したものだという。

 村人が一堂に会しての祝宴が終わると、一行はナッ神の祀られているお堂で祈りを捧げる。あの非業の死を遂げた37体の神様である。本来仏教と関係がないはずのナッ神信仰が、出家式に入っているのは少し変な気もするのだが、ミャンマーでは土着宗教のナッ神も仏教の一部として取り入れているらしい。日本でもお寺の中に神社があったりするが、それと同じようなことなのだろう。

 その後、男の子は馬にまたがり、女の子はその後ろを歩いて、村中を練り歩く。これもゴータマ・シッダールタが馬に乗って城を出た故事に倣っているという。行列の最後尾には、歌手兼踊り子の女を荷台に乗せたトラックがついていく。踊り子は若くてそこそこの美人なのだけど、厚い化粧の下から疲れが滲み出てくるのをどうしても止められないのよ、という表情をしていた。農作業が一段落するこの季節は、各地の村で同じような出家式が行われているので、踊り子にとって最も忙しい時期なのだろう。

 彼女は音楽が止んでいるときはむすっと座っているのだが、演奏が始まると満面の笑みを振りまきながらエネルギッシュに踊り出す。あくまでもプロに徹する踊り子の姿に、僕は何故か心を動かされた。そしてふと「この旅芸人一座と共に、トラックに乗ってミャンマー中を旅してみたい」と思った。もちろん、それは叶わない願いだとわかっているのだけど。

 子供達の髪を剃るのは、ウィザヤ達ポッパ山の僧侶の役目である。剃髪するのは男の子だけで、女の子は儀式を終えたしるしに耳に金のピアスをする。僧侶はジャガイモの皮でも剥くように、実に手際良く髪の毛を剃り上げていく。カミソリで毛を剃られている間、ベソをかく子もいたが、ほとんどの子供は表情を変えなかった。ただ一人、年長の子だけは「何でこんなことされなきゃいけないんだ」という反抗的な目をしていた。

 頭を丸めた子供達は、裸になって全身を水で洗い、儀式用に施された化粧を落とし、エンジ色の僧衣を着せてもらう。そしてお寺に入って僧侶の話を聞き、お経を授かる。最後に子供の親が、出家期間中の我が子の健康を祈って、急須に入れた水を一滴一滴器に垂らすのだが、この頃になると、子供達の関心は配られたコーラを飲むことに集中している。まだ5、6歳の子供には、二日間に及ぶ儀式は退屈この上ないものだったのだろう。


 こうして出家式はめでたく終了し、村人はそれぞれの家路に就く。日はすっかり西に傾き、旅芸人の一座は次の村を目指して出発する。そして僧院はまた元の静かな世界に戻るのだ。


 僕とウィザヤは出家式の合間に、瞑想の練習をしたり、辞書を引きながら話をしたりして過ごした。ポッパ山の他の僧侶にも話を聞くことができた。

 僕の見る限り、ここの僧侶はかなり自由に暮らしているようだった。四六時中噛み煙草の「コオン」をくちゃくちゃ噛んでいる僧侶もいたし、普通の煙草も特に禁止されてはいなかった。そもそも最初に山を開いたボー・ミン・ガウンからして、規律を重んじるタイプではない。宿泊の許可を貰うために訪ねた五代目の僧院長も、僧侶というよりは地方選出の自民党議員のような顔だった。こういっては何だけど、とても煩悩を捨て去ったようには見えなかった。

「ここには様々な僧侶がいます」とウィザヤは言う。「私達は各自の意志で出家して修行をしているのです。誰かに強制されているわけではありません。しかし、全員が守らなくてはいけない決まりもあります」
「それはどんなことですか?」
「例えば、私達僧侶は女性に触れてはいけません。一緒に寝ることも絶対にありません」
「でも、日本の僧侶は結婚もするんですよ」と僕が言うと、彼は「本当ですか?」と驚きの声を上げた。
「私は一度も結婚をしませんでした。出家する前も、女性と一緒に寝たことはありません」と彼は言った。「興味がなかったわけではないのですが、そういう機会がなかったのです。だから、私は女性についてほとんど何も知らないのです」

 今度はウィザヤが僕に質問する番だった。彼は日本人の結婚観やセックス観を知りたがった。
「日本では、結婚していない男女でも、お互いに愛情があればセックスをするというのが一般的です。そこはミャンマーと違うかもしれませんね」と僕は説明した。
「外国では男と男が一緒に寝ることがある、と何かで読んだことがあるのですが、あなたの国でもそういうことはあるのですか?」
「僅かですが、そういう人もいますよ。彼らはゲイと呼ばれています。女同士の場合もあります」
 僕がそう言うと、ウィザヤは理解できないと首を振った。まあ理解できなくても仕方ないのだけど。

「日本でもゲイのカップルが社会的に認められているわけではないんです。でもヨーロッパには、同性の結婚が法律で認められている国もあるそうですよ」
「男同士が結婚? とても信じられません」とウィザヤはため息をついた。「日本やヨーロッパではそうかもしれませんが、ミャンマーにはゲイはいませんよ。これは確かです」

 僕はウィザヤにヤンゴンで出会ったボビーの話をしようかと思ったけれど、やめておくことにした。ミャンマーにもゲイがいるという事実は、たぶんこの僧侶を更なる混乱の渦に巻き込むだけだと思ったからだ。おそらくどんな国にもゲイは存在するのだが、それをオープンにできる国とできない国がある。ミャンマーは後者なのだろう。宗教的あるいは社会的なタブー意識が、まだ強く残っているのだ。

 性の問題に限らず、ウィザヤは僕から見れば世間知らずなところが多かった。政治についても、彼は無頓着だった。
「私は今の政府はよくやっていると思います。彼らは橋を作り、道路を直し、新しいパゴダを数多く建てました。何より仏教を大切にしています」

 ウィザヤは軍事政権が非民主的であることも、アウン・サン・スー・チーのような人を力で押さえつけていることも、大きな問題とは考えていないようだった。民主的なプロセスよりも、仏教徒の為に何を行ったのかが重要だ――僧侶である彼はそう考えているのかもしれない。


この派手な衣装は、釈迦族の王子だったゴータマ・シッダールタ(後のブッダ)を模したものだという。
 僕がポッパ山を離れる前に、ウィザヤは西の斜面に連れて行ってくれた。崖の上に立つと、山の麓に広がる未開の森が見渡せた。
「あの森の中には一人の僧侶が住んでいます。竹を使って家を作り、一人で修行しているのです。彼は昔軍隊にいたから、ジャングルでの生活には慣れているのです。私もいつか彼のように、一人だけで厳しい修行生活を送ってみたい。しかし今はできません。私はまだそれに耐えられるだけの強さを持っていないからです。体と心が共に強くなければ、ネバーン(涅槃)には辿り着けません」

「涅槃とは何ですか?」と僕は聞いた。
「それは・・・」と言ってウィザヤはしばらく考え込んだ。英語でどう言えばいいのか、適切な言葉を探しているようだった。「それは何もない世界です。体も心も欲望も、全てが無くなる世界です。涅槃に辿り着くことが、私の生涯の目標なのです」

 どこかから現れた痩せた灰色の犬が、僕らの足下に鼻をすり寄せてきた。ウィザヤはしゃがみ込んで、犬の背中を撫でてやった。
「でも涅槃に辿り着けるのは、本当に一握りの人間だけなのです。ほとんどゼロだと言ってもいいかもしれません」
「それでも、あなたは修行を続けるのですか?」
「ええ。そう決めたのです」
 ウィザヤは眼下の森を見ながら言った。

 ウィザヤと共に過ごしたのは、わずか一日あまりだったけれど、僕は彼の暮らしぶりや考え方に強い衝撃を受けた。毎日洞窟に籠もり、自分の心と向き合いながら瞑想を続けるウィザヤと、毎日バスに揺られ、違う町を歩き違うベッドに眠る僕の生活は、対極にあると言ってもよかった。しかしそれでも、何かを探し求めているという点で、僕らの間には何かしら通じ合う部分があった。

 彼は星の光しか見えない暗闇の中で、じっと遠くを見据えている一対の目だった。彼が見ているのは天の川の中の一粒の星、あるいはそれ以上に暗い点だった。様々な迷いを含んでいるにせよ、彼の目はその暗い一点をはっきり見定めようと努力を続けていた。

 仏陀とは「目覚めた人」という意味であるという。釈迦は「修行を積み現世への執着を捨て去ることができれば、誰でも涅槃に辿り着くことができる。誰にでも仏陀になる道が開かれている」と説いた。ウィザヤが「目覚めた人」になることができるのか、もちろん僕にはわからない。それは本人にだって、わからないことなのだろう。

 テレビもラジオもなく新聞も届かないこの洞窟を流れる時間は、外の世界とは全く違っていた。おそらく50年経って、ミャンマーの社会体制が変わり、経済が大きく発展したとしても、ウィザヤは静かな瞑想生活を送っていることだろう。深い海の底にいるみたいに。
「人の心というものは、仏陀の生きた2500年前から、ほとんど変わっていないのだと思います」とウィザヤは言った。たぶんその通りなのだろうと僕は思った。

 僕は車をチャーターしてポッパ山に来ていたマレーシア人観光客の二人組に声を掛け、バガンの町に戻るのなら一緒に乗せてもらえないかと頼んだ。最初二人は怪訝な顔をしていたが(帰る足のない観光客は原則的にいないからだ)、僕が一人で残った事情を話すと、二人は快く応じてくれた。

「今からバガンに戻ります。本当にありがとう」僕はウィザヤに右手を差し出した。
「また、いつでもおいでなさい。そして今度来るときは、1日とは言わず、1週間いや1ヶ月ここで過ごしなさい」ウィザヤは僕の手をしっかりと握り返して言った。「私はあなたの旅の無事を、毎日祈っていますよ」

 彼はきっと口先だけではなく、本当に毎日祈ってくれるのだろう。ウィザヤはそういう人だった。そして僕もまた、ウィザヤという人をずっと忘れることはないだろうと思った。
 こうして僕は変化と刺激と興奮に満ちた現世の旅に戻り、彼は静かな海の底に戻っていった。



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