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年に一度のパゴダ祭りを一番楽しみにしているのは、やはり子供達だった。女の子はこの日のためにおろした新しいワンピースを着て、リボンの付いた帽子をかぶり、入念に白粉と口紅を塗っていた。僕がカメラを向けると、記念撮影と勘違いしたのか、きちんと整列して表情を硬くする姿が、なんともおかしかった。
子供達にとってお祭りは、お小遣いを貰って好きなものを買える特別な日なので、屋台の中にも子供の気を引くような駄菓子やおもちゃを売る店が目立った。女の子に人気なのは着せ替え人形、男の子はおもちゃの鉄砲やミニカーに群がっていた。
仏像や聖人のポスターなどの仏教グッズを売る屋台も繁盛していた。あのポッパ山の親分「ボー・ミン・ガウン」氏も、ここではキムタク並みのアイドル的人気を誇っていた。
農家の女達が作ったゴザや籠などを産地直売する店や、牛車用の車輪や車軸などのメンテナンス用品を並べている店(さながら牛車の「オートバックス」だ)など、祭りとは直接関係ない店もたくさん出ていた。
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祭りには、いくつかのアトラクションも用意されていた。大きなスピーカーで客を呼び込んでいるのは、映画館ならぬビデオ館だった。客は入場料50チャット(12円)を払い、ゴザの上に座ってテレビドラマを見る。ただそれだけなのだが、チュンウェイさんが話してくれたように、この辺りの農村にはテレビが全く普及していないから、テレビを見るのも貴重な娯楽なのだ。
部屋の中央に据えられた17インチのブラウン管に映し出されるのは、都会的な生活を送る男女の恋愛ドラマ、つまりミャンマーのトレンディードラマだった。登場人物達は、リーバイスのジーンズを履き、スポーツカーに乗り、スーパーマーケットで買い物をしていた。ドラマよりも、そういう「憧れの都会生活」を描き出すことに重点が置かれているようだった。まるで資本主義のプロパガンダ映画みたいだった。
ビデオ館の隣は写真館になっていた。テレビと同様に、個人でカメラを持っている人はまずいないから、こういう場所でハレの衣装を着て、記念写真を撮ってもらうのである。写真館の中にはホンダの中古バイクが二台並んでいた。高嶺の花であるモーターバイクにまたがる姿を写真に撮ってもらうのだろう。
バイクの他にも、様々な背景が用意されていた。イチョウ並木やロンドンのビッグベンなど、異国情緒を感じさせる書き割りもあったが、謎だったのが牛車である。本物の牛車がこの近くに何百台と止まっているというのに、わざわざ学芸会の大道具のような安っぽい書き割りの牛車に乗って、写真を撮る必要がどこにあるのだろう? ちなみに写真一枚の値段は、サービス版大で100チャット(24円)ということだった。
アトラクションの中で一番人気があるのは、毎晩夜の9時から夜通しで行われるというダンスショーだった。まだ日の高いうちから、場所取りの人が何人も座っているほどの人気である。チュンウェイさんも「ダンスショーはぜひ見ていきなよ」と言ったのだが、日が暮れるまでには宿に帰っておきたかったので、諦めることにした。
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パゴダから少し離れた広場では、村対抗のサッカー大会が行われていた。これも祭りの呼び物のひとつで、一応スタジアム(といっても原っぱを高さ2mほどのついたてで囲んだだけのものなのだが)があって入場料(10円)を取る。
僕がチュンウェイさん一家と試合会場に入ったときには、ゲームは既に始まっていた。黄色いユニフォームがカミュ村代表チームで、ブルーがイングナー村チームだった。
「ミャンマーで一番ポピュラーなスポーツは、サッカーなんだよ」とチュンウェイさんは言った。しかしその言葉とは裏腹に、試合のレベルはかなり低いように見えた。30度を超える暑さのせいもあるのだろうが、選手達の動きは緩慢で、シュートにも力がなかった。でも自分の村を応援する観客にとっては、プレーの質はあまり問題ではない様子だった。
驚いたのは、軍服姿でライフル銃を肩に下げた男達が、フィールドの外を巡回していることだった。
「どうして軍人がいるんですか?」と僕がチュンウェイさんに訊ねると、彼はしーっと口に指をあてた。
「このサッカーの試合は、軍隊が主催しているものだからね」と彼は僕の耳元で囁いた。「審判も全員軍人なんだ。だから銃を持った兵士もいるんだよ」
しかし、ワールドカップ予選とか南米のプロリーグじゃあるまいし、観客が熱狂のあまり暴動を起こすようなことは全く考えられなかった。何しろここで一番熱狂的な応援をしているのは、シュートが外れるたびにキャーキャーと黄色い声をあげるお姉さん連中で、しかも彼女たちが一番盛り上がっていたのは、どこかからすごい勢いで駆け出してきた白い犬が、カミュ村のゴールに飛び込んだシーンだったのだから。
「軍隊というのは、外の敵から国を守るためにあるものだろう?」とチュンウェイさんは言った。「でもミャンマーの軍隊は違うんだ。銃口を自国の民衆に向けているんだよ」
平和な草サッカーにライフル銃を持ち込むのは、治安維持というよりも、軍事政権が人々に力を見せつけるためなのだろう。しかし、場違いな格好をさせられている兵士にしても、まさか本気で銃が必要だとは思っていないようで、何とも居心地の悪そうな顔をしていたのだが。
前半の30分は1対1で終わり、ハーフタイムに入った。カミュ村の選手達は用意された水を飲みながら作戦会議を行っているのだが、イングナー村はそれとは対照的に、くたびれたなぁーという感じで煙草を回し飲みしていた。果たして、後半はカミュ村が一方的に押す展開となり、相手ゴールキーパーのミスにも助けられて、3対1で勝利を納めた。
終了のホイッスルが吹かれると、カミュ村の女性達は日傘を放り投げて喜びを表した。生真面目な兵士の表情も、このときばかりは少し緩んだように見えた。
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サッカーの勝敗を見届けると、ターズィの町に帰ることにした。帰り道を再び自転車で1時間かけて戻るのは、さすがに気が重かったので、ターズィに行く乗り合いピックアップトラックを見つけて、自転車ごと屋根の上に乗せてもらうことにした。女性や老人は下の座席に座り、男性は屋根の上に乗るというのが、混み合ったピックアップでのルールだった。
ピックアップの屋根は、人の乗れるように金属の手すりが渡してあるものの、舗装などされていないデコボコの牛車道を行くわけだから、かなり激しく揺れる。慣れない僕は、振り落とされまいと必死の思いで手すりにしがみついているわけだが、他の男たちはコオンを噛みながら、あるいは煙草を吹かしながら、悠然と揺られていた。
ピックアップの屋根の上から見えるのは、乾ききった土地と、少しうなだれたヒマワリだけだった。そんな荒涼とした地平線の向こうに、夕陽が沈もうとしていた。
「ジャパン ソルジャー」
隣にいた男が、不意に僕の肩を叩いて言った。彼は「ソルジャー」と言いながら、地平線の向こうを指さした。
「ジャパニーズ ソルジャー?」
僕が言うと、男は大きく頷いた。そして「キル」と言って、銃で撃たれて倒れるジェスチャーをした。どうやら彼は、かつてここで日本の兵隊が大勢死んだということを、日本人である僕に伝えたかったようだった。
第二時大戦末期、ミャンマー中部では連合軍と日本軍との間で激しい戦闘が行われ、数十万人が死傷したという。それが軍事的にどれほど重要な作戦だったのか、僕にはわからない。とにかく、故郷から遠く離れた南方の土地で、大勢の人間が殺し合いをしていたのだ。ヒマワリ以外には何もないようなこの土地で。
ターズィのゲストハウスに帰ったのは7時過ぎだった。僕が宿の前に自転車を止めていると、中からおかみさんとおかみさんの母親が飛び出してきた。
「あなた、こんな時間まで、一体どこに行ってたのよ!」
「午後のバスの時間には帰るって言ってたのに、いつまで経っても帰ってこないじゃない!」
二人は大声で、一体どこで何をしていたのかと僕を問い詰めた。二人が僕のことを心配しているだろうとは思っていたけれど、ここまで真剣だとは考えていなかった。
「今、二人で『警察に行こうかしら』って相談していたところなんだから」とおかみさんが言った。
「警察?」
「そうよ。これは何かアクシデントに巻き込まれたに違いないって」
僕はパゴダ祭りに向かった経緯を、順序立てて二人に話した。近くで祭りがあると言われて行ってみると、実はものすごく遠かったこと。連絡しようにも電話もなければ、電話番号も知らないこと。
「連絡できなかったのは悪かったけど、心配するようなことはなかったですから」と僕は言った。ミャンマーの片田舎のお祭りは、どちらかというと「危険」という二文字の対極に位置するものだった。
「でも、あなたは外国人なんですからね。一人で知らないところに行って、何か危ない目に遭うことだってあるかもしれないじゃないの」
おかみさんの言い方は、母親が小さな子供をたしなめている時とそっくりだったので、僕は苦笑いしてしまった。アットホーム過ぎる宿というのも、ちょっと考えものである。
「まぁ、とにかく無事で戻って来てよかったわよ」
小言を言い終えて一息つくと、僕ら三人は食卓に座って、おかみさんが入れてくれたインスタントティーを飲んだ。ミャンマーのインスタントティーはコンデンスミルクがたっぷり入っていて甘過ぎるのだが、この長い一日の終わりには、ちょうどいい甘さに感じられた。
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