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ナガヨン寺院から、再びゾーラットさんのバイクの後ろにまたがって、彼の実家に向かった。実家には、彼の父親と母親と末の妹が暮らしていた。父親のウーティンエーさんは、かつてミャンマー空軍に勤めていた技術士官で、かなり上手い英語を話した。一家は最初、息子が妙な外国人を連れて帰ってきたことに驚いていた様子だったが、事情がわかるとミャンマー人らしい笑顔で温かく迎えてくれた。
カンボジアでもそうだったが、ここでも客人をもてなすのはココナッツミルクだった。家の前には高さが10mほどある立派な椰子の木が生えていて、そこから新鮮な実を取ってくるのだ。ミャンマーには「出張椰子登り」という職業があって、そのお兄ちゃんに声を掛けると、梯子と縄を持ってやってくる。お兄ちゃんは猿のようにするすると木を登っていき、腰に差したナタを使って椰子の実を7、8個切り取り、縄で縛って地面に降ろす。彼は自分の取り分として半分の実を貰い、梯子と縄を手に引き上げていく。その間約10分。まったく手際がいい。
取れたてのココナッツミルクは、はっと目が覚めるほど美味しかった。今まで飲んできたどんなココナッツよりも甘みが強く、クセのない味だった。ココナッツは新鮮さが命なのだ。
「日本にも椰子の木はあるのかい?」と父親のウーティンエーさんが聞いた。
「いいえ、ほとんどありませんね」と僕は言った。「でもその代わりに、日本の町にはベンディング・マシーンが並んでいます」
「それは何だね?」
「お金を入れると、冷えたソフトドリンクが自動的に出てくるんです」
僕はメモ帳に絵を描きながら自動販売機の仕組みを説明しようと試みた。だけど、誰が何の目的で路上に置いているのかという部分まで伝えることはできなかった。僕の英語力も足りないし、そもそもミャンマーには自動販売機というものがひとつもないのだから、イメージの描きようがないのだ。
「でも、自動販売機のドリンクよりも、このココナッツの方がずっと美味しいですよ」
と僕は言った。それはお世辞でも何でもなく、本当のことだった。
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用事があるからと言ってゾーラットさんがバイクで出かけてしまってから、僕はウーティンエーさんと椅子を並べて話をした。一家の自慢は、6人の子供全員が大学を卒業しているということだった。ミャンマーで大学に行くことができるのは学生の1割ほどで、受験競争も相当に厳しいものだという。日本のように大学と名の付くものなら誰もが入れるような状況ではないのだ。6人ともなると、学費の負担だってかなりのものだろう。
「しかし教育は一番大切だからね」
ウーティンエーさんはそう言うと、額縁に入っている家族写真を手にして、子供達の進路を誇らしげに説明してくれた。この子は今ヤンゴンで教師をやっている、この子は貿易関係の仕事だ、この子は・・・。
この家はミャンマーの中でもアッパークラスに属するのだと思う。そうでなければ、子供を全員大学へやれるわけがない。それでも家の中はとても質素だった。冷蔵庫もテレビもない。家電製品といえば、古いかたちの扇風機がのんびりと首を振っているだけだった。家の中にあるもの全てが、使い古され、色褪せていた。
「私たちは決してモノに恵まれているわけではないよ」とウーティンエーさんは家の中を見回しながら言った。「でも、心の中はとても豊かだ。私たちにとって大切なのは、そのことなんだ」
ミャンマー経済がうまく行っていないのは事実だった。その主な原因は、この国の軍事政権が日本を含めた先進国から孤立していて、経済援助を打ち切られていることにある。外貨も外国製品も入ってこないので、日常品にも事欠く状態だという。それでも、ウーティンエーさんは軍隊に勤めていた人間だから、表だって政府を批判することはできない。
もちろんミャンマー人の中にも、物質的な豊かさを求める人は少なくない。都会生活を描くトレンディードラマに見とれる若者の姿からは、彼らが電化製品や自家用車に囲まれたリッチな生活に憧れていることが見て取れる。
だから「我々はモノに恵まれていないが、心の中は豊かだ」というウーティンエーさんの言葉は、今の貧しい生活への不満を自分自身に納得させるための方便にも聞こえたのだった。
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僕はウーティンエーさんに「また戻ってきますから」と言って、メイッティーラの町をぶらついた。人の流れに身を任せて歩くと、市場に辿り着いた。町の規模にしては大きな市場で、周辺の道はモノと売り子でごった返していた。
近くの川で採れたらしい淡水魚をぶつ切りにしているおかみさんや、売り物にたかる大量のハエを追い払おうともしないでチェスに興じている乾物屋。山と積まれたオレンジやブドウやスイカなどの果物類。ミャンマーの市場は人混みの活気と、売り子の声と、生臭い匂いに満ちている場所だった。
でも、そんな市場の中心にあるコンクリートの古い建物の中はとても静かだった。建物の中には足踏み式ミシンが何台も並び、その隣に色鮮やかな生地を売る店がある。気に入った生地を買って、ミシンで服を仕立ててもらうのだ。日本ではとうに見捨てられて古道具の域に達したミシンが、ここではまだ現役で働いていて、ダダッダダッという軽快な音を響かせていた。
夕陽がメイッティーラ湖の向こうに落ちる頃、僕はウーティンエーさんの家に戻った。一家は夕食の支度をして、僕を待ってくれていた。外国人がやってきたというのをゾーラットさんが知らせて回ったらしく、狭い家の中にはこの町に住む一族20人以上が集まっていた。
夕食のメニューはやきそばと野菜炒めと目玉焼き、それに漬物とご飯だった。これに味噌汁でも付いてきたら、立派な日本の晩ごはんじゃないかと思うような献立である。食堂で出てくるミャンマー料理は、どれも辛くて油っこいので日本人旅行者には不評なのだけど、一般家庭ではわりにあっさりした味付けのものも食べられているらしい。
丸いちゃぶ台を囲んで、さぁいただきましょう、という瞬間に家の中が真っ暗になった。停電である。ミャンマーでは停電は珍しいことではない。ヤンゴンでも地方の町でも、一日に一度は停電する。停電したまま何時間も回復しないということもざらにある。だからミャンマーの人々はこういう状況には慣れていて、懐中電灯をさっと取り出して、マッチを擦ってろうそくに火を灯す。
「2年後にはこの近くに新しい発電用のダムが出来るから、状況はもう少し良くなると思うんだがね・・・」
父親のウーティンエーさんは弁解するように言った。しかし、これだけ停電が頻発していると、生活が不便になるだけでなく、国内の産業にも大きな影響を与えるに違いない。ミャンマーではコンピューターというものをほとんど見かけなかったし、インターネットも政府が禁止しているということだったが、停電の多さがこの国のIT化を阻む要因のひとつになっているのも間違いないだろう。
でも、ロウソクの火を囲んで食事をするというのもいいものだった。大勢の家族がひとつのちゃぶ台を囲み、ゆらゆらと不安定に揺れる明かりが、ひとりひとりの顔に濃い陰影を作り出していた。停電になったことで、夕食の場がいっそう親密なものになった気がした。
ウーティンエーさんは、ヤンゴンの貴金属店で働いているという次女を僕に紹介してくれた。彼女はアルバイトでモデルをしているという、才色兼備の娘さんだった。
「でも停電のせいで、あなたの顔をはっきりと見ることが出来なくて、とても残念ですよ」と僕が言うと、一座は笑いと冷やかしの声に包まれた。
夕食の皿が下げられると、奥さんがモチ米を油で練った丸いお菓子を持ってきた。
「これは毎年2月の満月の日に作って食べるんだよ」とウーティンエーさんは説明してくれた。ミャンマーでも日本と同じようにお月見のお団子を食べる風習があるとは驚きだった。
開け放たれた窓に目をやると、椰子の葉の間に見え隠れする月明かりを見ることができた。遮る雲もなく、くっきりとした満月だった。
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夕食が終わると、一家で町の中心にあるレストランバーに行った。ゾーラットさんの出演するステージを見るためだ。レストランバーは停電中だというのに店を開けていたし、ショーも行われていた。ミャンマーでは大きめのホテルやレストランには、万が一に備えて(と言うか、この国では停電は既に不測の事態ではないのだが)自家発電機が設置されているのだ。
僕らはビールを飲みながら、ゾーラットさんのキーボード演奏に合わせて歌う若手歌手のステージを楽しんだ。歌手は女の子ばかり7人で、どの子も目を引く美人揃いだった。店の人気ナンバーワン歌手が、外国人の僕のためにダイアナロスの「if we hold on together」を歌ってくれた。
「彼女はきっと、ヤンゴンやマンダレーといった都会で活躍するスターになるよ」とゾーラットさんは請け合った。
バゴーへ向かうバスは夜の8時に出発した。ウーティンエーさんは「またミャンマーを訪れることがあったら、ぜひうちに泊まりなさい」と言い、餞別にアメ玉を袋ごと手渡してくれた。僕はお礼を言って一人一人と握手し、バスに乗り込んだ。一家はバスが見えなくなるまで、手を振って見送ってくれた。
彼らの姿が見えなくなってから、僕はもう一度ウーティンエーさんの言葉を思い出した。 「我々はモノに恵まれていないが、心の中は豊かだ」
今となっては、その言葉が貧しさ故の強がりから出たものではなく、彼の本心なのだということが、僕にも理解できる。ここには自動販売機はないが、椰子の木がある。しょっちゅう停電するが、ろうそくと月明かりがある。テレビも電話もないが、一声掛ければ友達や親戚が集まってくる。
ミャンマー人がこれほど親切なのは、彼らが豊かな時間の中で暮らしているからだ。時間に追われ、モノに縛られ、効率を求める暮らしの中では、見ず知らずの旅行者を気軽に家に招くことなんてできない。
時間の余裕、そして心の余裕。それこそが本当の「豊かさ」なのだろう。高く昇った満月を眺めながら、僕はそう思った。
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