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ブッダガヤに来たのは、いつだったっけ・・・
目覚めたばかりのぼんやりとした頭で、僕はそう思った。腕時計のデジタル表示を見るが、2月27日が果たして何日目を意味するのか、僕にはわからない。長く旅をしていると、まず曜日の感覚がなくなり、次に日付の持つ意味も失われていく。それでもしばらく意識を集中して、ようやく三日前にここにやってきたことを思い出す。
ベッドの下には、インド製蚊取り線香の燃えかすが描く渦巻き模様が三つ残っていた。それが、僕の曖昧な記憶を裏付ける唯一の物証だ。蚊取り線香の周りには、無数の蚊の死骸が落ちている。中にはまだ死にきれずに羽をばたばたさせているものもいる。
床には空になったミネラルウォーターのボトルと、埃と汗を吸い込んでくたびれたサンダルが転がっている。両足のかかとは黒く汚れている。いくら洗っても落ちない宿命的な汚れだ。そういえば、「アジアを長く旅している者は、足の裏でわかる」と誰かが言っていたっけ。
僕は万国旗みたいなかたちに干されたTシャツとトランクスとタオルを取り込んで畳み、荷物をまとめてチェックアウトの準備をする。蚊取り線香は折れてバラバラにならないように、タオルに包んで仕舞う。旅立ちの支度はものの10分で終わる。最後に忘れ物がないか、もう一度確認してから部屋を出る。
宿を出て、バス停に向かって歩いていると、荷台に大きなスピーカーを乗せた小型トラックとすれ違う。スピーカーが流しているのは、インドポップスの例の甘ったるい歌声だ。ブッダガヤにいる間、何度もこの車を見かけた。宿の男は、「もうすぐ村の選挙が行われるので、ああやって宣伝をしているんだ」と教えてくれた。「○○をよろしくお願いします」という日本の連呼式宣伝カーもはた迷惑だが、このどんちゃん騒ぎも意味不明である。ただ騒々しい音楽を流すだけで、候補者の宣伝になるんだろうか。
あまりいい思い出のないまま、僕はブッダガヤを離れようとしている。それもこれも、バンコクで謎の老人にかけられた呪いのせいだ。
「インドでは絶対に物を盗まれますよ」
と老人は言った。そしてその言葉は、ここで現実のものとなった。
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バングラデシュのジェソールからバスに乗って国境の町ベナポールに行き、インドに入ったのは6日前のことだった。係官はとても愛想がよく、僕が日本人だとわかるとパスポートのことなんかそっちのけで、
「この時計はカシオなんだ。な、いい時計だろう? あんたの時計はどこ製? 日本はビューティフルだって聞いているが本当か?」
と矢継ぎ早に質問してきた。バングラ人はどこへ行ってもこの調子らしい。でも、このフレンドリーで好奇心いっぱいのバングラ人ともお別れである。
国境に隣接する駅で確かめると、カルカッタまでの鈍行列車は15ルピー(38円)で、3時15分に出発するという。しかし10分が過ぎ、20分が過ぎてもなかなか列車は来ない。まぁインドの列車は遅れるのが当たり前だと聞いているし、気長に待とうかと思っていると、隣にいた男が僕の時計を見て言った。
「あんたの時計は、バングラ時間じゃないかね?」
そうだ。バングラとインドは30分の時差があるから、国境を越えると時計を戻さなくちゃいけないのだ。そうこうしていると、カルカッタ行きの列車がホームに入ってきた。ダイヤ通り、3時15分ちょうどだった。インドの列車を疑って悪かった。
カルカッタでは、バックパッカー達の多く集まる『サダル・ストリート』に宿を取った。格安の宿はどこも満室だったので、インド人が多く泊まる少し高めのホテル(といっても300ルピー=750円なのだが)にチェックインした。ホテルの部屋には衛星放送付きのテレビがあり、CNNを見ることができた。表通りに出るとインターネット・カフェがいくつもあったので、1ヶ月ぶりにメールをチェックした。
当たり前のことだけど、1ヶ月僕がニュースを見ないでいても世界は滞りなく動いていたし、1ヶ月僕がメールを送らないでいても特に誰も心配してはいなかった。近代文明の利器というのは、それがなきゃ生きていけないように「見せかけて」はいるものの、なくたってそう不便なものでもない。なくてはならないものなんて、本当はとても少ないのかもしれない。
インド第二の都市であるカルカッタは大都会だった。街の中心にはパソコンを扱う店や、インド人向けの(つまり外国人ツーリスト向けではない)ネットカフェや、外資系のCDショップが建ち並び、オフィスビルや大学に向かって歩く女性の姿も多かった。それはダッカとはまるで違う光景だった。
「インドは発展しつつあるんだ」と言ったのは、ジェソールで知り合ったバングラ人のイクパルさんだった。「貧しさから抜け出そうとしている。中国だって同じだ。しかし我々のバングラデシュは発展から取り残されている」
彼の言う通り、インドの都市部はかつての貧しく混沌とした世界から、近代化した秩序ある世界へ変貌しつつあった。カルカッタは2,30年前にヒッピー達がこぞって目指し、アジアの旅人が繰り返し描いた場所とは違う町になっていた。
もちろん、野戦病院みたいに汚い安宿や、道端でガンジャを買わないかと声を掛ける売人や、道端の物乞いなど、当時と変わらないものもある。スラム街だって広範囲にある。それでもやはり、この街がバンコクやホーチミン市のように活気ある近代都市に変わりつつあるのは、明らかだった。
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そんなわけで、僕にとってカルカッタはあまり魅力的ではなく、ろくに歩き回らないままガヤに向かう夜行列車に乗った。列車は時間に正確で、出発も到着も時刻表と20分も違わなかった。
「いつも2時間も3時間も遅れていたのは一昔前のことだよ。今じゃだいぶマシになったね」と一緒に乗り合わせたビジネスマンが教えてくれた。「たまに脱線したり、衝突したりして死者も出るがね。それも以前に比べたら減ったと思うな。まぁこの列車は大丈夫さ」
そう願いますね、と僕は答えた。彼は鞄メーカーの営業マンだった。僕が日本人だと知ると、今売り出し中だというジュート製の2ウェイバッグをスーツケースから取り出して、僕に見せてくれた。
「内側には防水加工がしてあって、とても丈夫なんだ。使わないときはこうやって折り畳めば小さくなる。で、これをもし日本で売るとしたら、いくらになると思う?」
「そうだなぁ・・」僕はしばらく考えて言った。はっきり言ってデザインはいまいちだったが、買い物袋にはいいかもしれない。「まぁ5、6ドルってところじゃないかな」
「5ドルね」彼は手帳にその情報を書き込んだ。「インドではこれを40ルピーで売っているんだ。1ドルだね。そうすると、これを日本に輸出すれば、4ドルの儲けになる。そうだね?」
「そういうことになりますね」
「君はその関係の人間に知り合いはいないかい? いたら教えて欲しいんだが」
男がどこまで本気なのかよくわからなかったが、たまたま乗り合わせた旅行者にビジネスの話をするのには驚いた。あるいはインド人のビジネスマンは、どんな機会も逃さない姿勢でないと生き残れないのだろうか。
「いや、僕はただの旅行者だし、日本にもそんな知り合いはいませんよ」
僕がそう答えると、「そうかい」と男は意外にあっさりと引き下がり、すぐに寝台に横になっていびきをかき始めた。しつこいようで諦めが早い。インド人の行動は、僕には予測できない部分が多かった。
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