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列車は朝の6時半にガヤの駅に着いた。人気の少ないプラットホームに降りると、朝の冷ややかな空気に触れて体が一瞬震えた。まだ暑気を迎える前の北インドでは、朝晩はかなり冷え込むのだ。
駅の外にいるリクシャを捕まえて、ローカルバス・ターミナルまで行く。10ルピー(25円)。ブッダガヤまではバスで40分ほどかかる。こちらは5ルピー。バスの車体は、バングラの田舎を走るオンボロバスに勝るとも劣らないほどガタが来ているが、それでも一応は走る。
僕は大きな荷物を抱えていたので、邪魔にならないように一番後ろの席に座った。隣にはひどく顔色の悪い男が座っていて、元の色がわからないぐらい汚れた布を頭から被って、気味の悪い咳を繰り返してた。彼の周りの空気だけ重く淀んでいた。彼に死が近づきつつあることは、隣にいる僕にもわかった。
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ブッダガヤに来たのは、ミャンマーのポッパ山で修行をする僧侶ウィザヤが、ぜひ行きなさいと勧めたからだった。
「仏陀が悟りを開いたという最大の聖地です。とても神秘的な場所だと聞いています。私も死ぬまでに一度は訪れたい。しかし私達は自由に外国に行けるわけではないのです」
ブッダガヤに憧れているのは、彼だけではなかった。仏教最大の聖地というだけあって、ここには世界各国から巡礼者が集まっていた。仏陀が悟りを開いたという菩提樹の傍には巨大な仏塔が建てられ、それに向かって僧侶や信者が熱心に祈りを捧げていた。彼らは顔立ちも、身につけている衣も、祈りの様式も異なっていた。何人かのグループでタイからやってきた僧侶がいるかと思うと、ニューエイジっぽい欧米人の若者が木陰で瞑想していたりした。
中でも目立っていたのが、チベット人の「五体投地」という祈りだった。彼らは一畳ぐらいの大きさ板を地面に敷き、立ち上がった姿勢から腕立て伏せの要領で大地にひれ伏し、経典に頭をつけ、また立ち上がる。それを一定のリズムで延々と繰り返す。それは祈りというより、ある種のエクササイズのように見える。
「心とからだは一体のものです」ミャンマーの僧侶ウィザヤは、洞窟の中で僕に語った。「自分のからだの動きをコントロールできない限り、涅槃に近づくことはできないのです」
ここにいる様々な国、様々な宗派の仏教徒達も、涅槃を目指しているのは同じだ。しかし、そこに至る道のりはひとつではなく、それぞれに異なったアプローチの仕方があるのだろう。
ブッダガヤは聖地ではあるが、そこに特別な霊山や象徴的な建物があるわけではない。仏陀が悟りを開いたのは、これといった特徴のない「ただの農村」だった。周囲の仏塔や寺院も、仏陀の入滅後に造られたものだった。
僕はいつものように貸し自転車を借りて、あてもなく農村を走ってみた。そして、これといった特徴のない「ただの村」が、仏陀の死後2500年経った今も「ただの村」であることを確かめた。水辺で草を食む水牛がいる。ナタで雑草を刈る男がいる。村の井戸に水を汲みに来る少女がいる。燃料にする牛糞を手で捏ねている女がいる。
一見したところ、農村の暮らしはバングラデシュでもインドでもほとんど変わらないように感じられた。育てている作物が米から小麦に変わるぐらいだ。人々は人懐っこく、特に子供達は自転車でえっちらおっちらやってきた妙な東洋人を珍しがって取り囲んだ。写真を何枚か撮り、子供に手を振って自転車で町に帰った。ここまでは、いつもの旅の一日だった。
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カメラバッグに入れて持ち歩いていた電子辞書が無くなっていることに気が付いたのは、宿に帰ってシャワーを浴びてからだった。どこをどう探しても見つからない。入れていた場所を考えると、途中で落したということもあり得ない。導き出される結論は、どこかで盗まれたということだった。
一日の行動を振り返ってみると、確かにカメラバッグから目を離したことはあった。農村の子供達に囲まれて、写真を撮っていたときだ。たぶんその一瞬の隙をついて、誰かがバッグの中から珍しい機械を持ち去ってしまったのだろう。
電子辞書を無くしたことは、もちろん大きな痛手だった。少ないボキャブラリーを増やすために、辞書はかなり役に立ってくれていた。わざわざ旅行のために買ってよかったと思える数少ないモノだった。でも無くしたものは買えばいい。日本語の電子辞書を外国で買うことは無理だろうが、普通の辞書ならどこかで探せば手に入るだろう。
僕にとって失ったモノ以上に大きかったのは、これから先自分がインド人を信じることが出来なくなるかもしれない、ということだった。都会の盗人にやられたのなら、そういう人間がやったことだからと諦めもつく。でも、盗んだのは農村にいるごく普通の子供だった。盗んだモノの価値など知りようもない、ただの子供だった。
普通の子供達に対して、「もしかしたら、この子達は俺の鞄の中身を狙っているんじゃないか?」という疑いの目を向けなくてはいけない。この先、そんなふうにして旅を続けていくのかと思うと、気が重くなった。
せめてもの救いは、盗まれたのが現金でもカメラレンズでもなく、電子辞書だということだった。日本語の電子辞書はインド人にはまるっきり価値のないモノだから、それを売って大金を手に入れることはまず不可能だ。だから外国人からモノを盗めば簡単に金儲けができる、という悪知恵をつけることはないはずだった。
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僕は2ヶ月前にタイのバンコクで出会った日本人の老人との奇妙なやり取りを思い出した。
その時僕は激しい下痢に悩まされていて、ツーリスト向けのカフェで熱い紅茶をすすっているところだった。老人は「ご一緒してもいいですか」と言って、僕の返事を待たずに向かいの椅子に座り、帽子を取ってテーブルに置くと、勝手に話を始めたのだった。
「私は一流商社に勤めていたんですよ」と彼は言った。いちりゅう、という言葉だけやたらとはっきり発音した。
「若い頃から、アジアや南米やヨーロッパなど、世界中のいろんな国に派遣されました。30年のうち、日本で暮らしていたのは何年にもならんのじゃないですかな。まぁ、今はリタイヤして気ままな旅暮らしですよ。妻は日本にいますが、私はしょっちゅう一人で旅をしています。日本でじっとお茶を飲んでいるなんて、性分に合わないんですな。あなたはどこに向かうんですか?」
東南アジアを回ってからインドを西へ行くつもりだ、僕が答えると、彼は身を乗り出してきた。
「インドでは、あなた気を付けなさいよ。絶対に物を盗まれますよ」
「絶対に、ですか?」
「ええ、絶対に。インドを旅行したら、あなたは絶対に何かを盗まれます。間違いありません」
老人ははっきりとそう断言した。彼の言い方は、若い旅行者に老婆心ながら注意を促すというよりは、軽い呪いのように聞こえた。だいたい『絶対に』盗まれるんだったら、いくら気を付けても無駄だってことじゃないか。
でも、その時の僕は下痢で本当に参っていて、反論する気力もなかったので、「わかりました。インドに行ったら気を付けます」とおとなしく頷くことしかできなかった。
「気を付けるに越したことはありません」と老人は席を立ち、帽子をかぶりながら言った。「でも、いずれにせよ絶対に盗まれますよ」
最後にまた呪いの文句を吐いて、彼は店を出ていった。老人が席を立ってしばらくしてから、彼が自分の飲み物の代金を払わずに店を出ていったことに気付いた。ただうっかりしていたのか、確信犯だったのかはわからない。とにかく僕は、見知らぬ相手から気分の悪いことを言われた上に、彼のビール代まで払う羽目になったのだった。
電子辞書を盗まれるまで、そんな出来事はすっかり忘れていた。でも結果的に、彼の呪いは現実のものになったのだった。僕は運命とか呪いの存在を信じているわけではないけど、ひょっとしたらあの元「一流」商社マンには何かが見えていたのかもしれない。
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