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マラケシュの旧市街は狭い路地が複雑に入りくんでいた。
 カサブランカに到着した僕らは、すぐに列車でマラケシュに向かった。マラケシュはモロッコ観光の中心地であり、迷路のように入り組んだ旧市街と、様々な大道芸人が一堂に会する広場によって知られた街である。僕らはここに十日間滞在し、あちこち取材して回った。

 マラケシュの旧市街は独特のイスラム文化を色濃く残す場所だった。魔法使いのような伝統衣装ジェラバを着て歩く男が目立ち、スーク(市場)の中には革細工や金属細工などの工芸品が並んでいた。赤レンガが積み上げられた細い路地はミステリアスで、ジャマ・エル・フナ広場で毎夜繰り広げられるお祭り騒ぎは何度見ても飽きなかった。

 ウィリアムにとっても、マラケシュは新鮮な驚きに満ちた街だった。しかも彼にとってモロッコは初めて訪れるイスラム国だったので、その驚きは僕以上だったようだ。
「この街はすごく刺激的だ。今までに見たことのないものばかりだ。でも同時に何だか懐かしさを感じるんだよ。それは僕の先祖がアフリカ南部からアメリカに連れてこられた黒人奴隷だってことと関係があるんだと思う。きっと僕の体はアフリカ大陸のことを記憶しているんだよ」

 面白いのは、地元のモロッコ人たちがウィリアムを見るとモロッコ人だと思ってアラビア語で話し掛けてくるということだった。ウィリアムに道を訊ねるモロッコ人までいるぐらい、彼はモロッコに馴染んでいた。
 ひとくちにモロッコ人といっても、容貌は様々である。一番多いのはアラブ系だが、そこに南部アフリカから渡ってきた黒人や、青い目をしたヨーロッパ系の人などが入り混じっているのである。アフリカ系アメリカ人であるウィリアムの外見は、幅広い「モロッコ人」という分類の中に違和感なく含まれてしまうのである。

マラケシュの中心地ジャマ・エル・フナ広場は毎日がお祭り騒ぎだ。夕暮れが近くなると様々な屋台が出て、観光客がそぞろ集まってくる。

「僕の父親の家系は、肌の色がかなり黒いんだ。母親の方にはフランス人やスペイン人の血が入っているので、肌の色は薄くなる。その両者が混ざり合うと、アラブ人に似てくるっていうのが面白いじゃないか」
 ウィリアムはおかしそうに笑った。彼はこの「アイデンティティーの一時的消失」とも呼べる感覚を楽しんでいた。言葉もわからない外国にいるのに、その場に馴染んでしまう。それは普段ウィリアムが暮らしている山陰地方の街とは、180度違う状況だった。彼はそこに5年も暮らしているのに、いまだにスーパーで買い物をしているだけで、おばさんに好奇のまなざしを向けられてしまうのである。

「僕の二人の息子は、よくタイ人に間違われるんだ。これも面白いね。だって、彼らはアフリカ系アメリカ人と日本人のあいだに生まれた子供であって、東南アジアとは何の関係もないんだからね」
 ウィリアムはそう言うと、日本から持ってきた携帯電話を渡した。その画面には、可愛らしい男の子が映っていた。それが彼の長男だった。確かにタイ人やインドネシア人だと言われれば、そのまま信じてしまいそうな目鼻立ちのくっきりした顔立ちだった。


ジャマ・エル・フナ広場では様々な大道芸人たちがパフォーマンスを行っている。写真はコントを行う二人。右側の男はサンダルを使ってロバに扮装しているらしい。



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