トライバルエリアを抜けてから、バスはしばらく緑の稲穂が輝く田園風景の中を走った。道路のそばを澄んだ小川が流れいて、心地よい風が窓から吹き込んできた。不毛の山道とはまるで別世界の爽やかな朝だった。

 しかし、のどかな田園風景も長くは続かなかった。町を離れ、川が消え、麦畑の姿が見えなくなった。そして砂漠が始まった。石ころと砂以外にはなにもない、本物の砂漠地帯だった。そしてどういうわけか、ここで運転手は突如としてペースを上げ、この先8時間もの間休憩なしのノンストップ走行を続けることになるのだった。

 日が高く昇るにつれて、車内の温度はぐんぐん上昇した。正午を過ぎる頃になると、耐え難いほどの暑さになった。バスにはエアコンが備わっていると聞いていたのに、それが動いている気配はない。どうやら故障してしまったらしい。

 仕方なく窓を全開にするのだが、外からは砂漠の熱風が吹き込むだけで、車内の温度を下げているのか上げているのかよくわからない。吹き出した汗はたちまち蒸発し、喉が渇く。売店で買っておいたペットボトルの生温かい水で、喉につかの間の潤いを与える。しかしその水もすぐに底をついてしまう。

 乗客はエネルギーを節約するように一様に目を閉じて押し黙っていた。出発の頃はぎゃーぎゃーと騒ぎ回っていた子供達も、夏のシロクマのようにぐったりとしている。母親に抱かれた小さな赤ん坊だけが、本能的な不快感を訴えて泣きわめいている。気温は40度を軽く超えているだろう。甲子園名物のかち割り氷が欲しいなぁと思う。頭がぼーっとしていて、それくらいしか考えることができない。

 ぐったりとした車内で、唯一元気なのはスピーカーから流れてくるインドポップスの女性ボーカルだけである。彼女は相変わらずキーキーと気違いみたいな声で、耳障りなラブソングを歌っている。エアコンが壊れているというのに、どうしてステレオ装置は壊れないんだろう。いっそのこと、俺の手で壊してしまおうか・・・。


赤い花がかわいい老人
 暑さと不眠とで、僕の苛立ちはピークに達していた。これのままじゃ頭がおかしくなってしまう。そう思った僕は、目を閉じて瞑想することにした。ミャンマーの洞窟に暮らす僧・ウィザヤが教えてくれた瞑想法を試してみようと思ったのだ。

「嫌なことがあったり、腹が立ったときにおやりなさい」とウィザヤは言った。「あなたの鼻を通る空気の流れに意識を集中するのです。吸った息はクールに、吐いた息はホットに感じられるでしょう? 海の底にいるような大きな気持ちで、ゆっくりと続けるんです」

 僕は鼻に意識を集中し、「クール」「ホット」「クール」「ホット」のリズムでゆっくりと呼吸した。でも、それは長続きしなかった。吸った息も「ホット」、吐いた息も「ホット」だったのだ。
「ねぇ、ウィザヤ」と僕は心の中でミャンマーの僧に呼びかけた。「どうやら、この瞑想法は体温よりも気温が高い場合には、使えないみたいだよ」

 こうして瞑想は失敗に終わったけれど、ウィザヤと過ごした僧院のことを思い出すことで、苛々していた気持ちをいくらか落ち着けることができた。
 僕がこうしている間にも、彼はあの洞窟の中で静かに瞑想修行を続けていることだろう。僕と彼が共に過ごした時間はほんの僅かだった。そして僕らは今、数千キロ離れた場所にいる。それでも僕は彼のことをはっきり思い出すことができる。彼の存在に勇気づけられている。そのことが、乾いた砂漠の中に湧き出る小さな泉のように、とても貴重なものに感じられたのだった。


 バスが砂漠の真ん中にあるPSOに入ったのは、ノンストップ運行を始めてから8時間後、午後2時のことだった。昼食休憩だったが、食欲はまるでなかった。その代わりに瓶入りのコーラを二本続けて飲んだ。本当はミネラルウォーターが欲しかったのだけど、この辺境の売店に売っているのは、『RCコーラ』というラベルの薬っぽい味のするコーラだけだった。

 喉の渇きを潤して一息ついていると、同じバスに乗っている男の子二人が英語で話しかけてきた。18歳と16歳の学生二人組で、学校から故郷に里帰りする途中だという。
「僕の名前はムハンマド・アリー」と若い方の彼が言った。「あなたは知っていますか? 有名なボクサーを。実は彼は僕のおじいさんなんです」
 彼は冗談めかして言った。アメリカ人ボクサーの「カシアス・クレイ」は、ブラック・ムスリムに改宗して「モハメッド・アリ」と名前を変えた。彼はアメリカン・ヒーローであると同時に、ムスリム達にとってのヒーローでもあるのだ。

「あのアリに、パキスタン人の孫がいるなんて知らなかったよ」と僕は笑って答えた。
「これは秘密なんです。誰にも言わないでくださいよ」
 冗談好きのアリー君は、おかしそうに笑った。彼は老け顔の多いパキスタン人の中では比較的童顔の方で、にっこりと笑うと、いっそう幼く見えた。それから彼は「結婚しているか?」「子供はいるのか?」といった一般的な質問を僕に投げかけた。

「結婚もしていないし、子供もいない」と僕は答えた。
「実は、僕には子供がいるんです」とアリー君は言った。
「・・・どういう意味?」
 また何か冗談を言っているんだろうと思って、僕は聞き返した。子供がいる?
「生まれたばかりの男の子です。僕は父親なんですよ」
「それは本当のことなの?」
 僕は驚いて言った。アリー君の表情は、冗談を言っているようには見えなかった。
「君は16歳だって言ってたよね。それじゃ奥さんは何歳なの?」
「12歳です」
 僕は返す言葉を失って、アリー君の顔をまじまじと覗き込んだ。12歳の母親?

「去年、僕らが結婚したときには、僕は15歳で彼女は11歳でした。親が決めた結婚です。僕らは結婚するまでお互いの顔も見たことがありませんでした。僕らの住む町では、この年で結婚することは珍しいことではありません」
「それにしても11歳ってことは・・・」
 まだ初潮を迎えていない女の子だっているんじゃないか。そう言おうと思ったけれど、適当な英語が思い付けなかった。11歳といえば、パキスタン人であろうが日本人であろうが、初潮があろうがなかろうが、まだ子供である。子供が子供を産んでいる――その現実は、僕の理解を超えたものだった。

 アリー君と一緒に旅をしている18歳のハッサン君も、やはり結婚していた。相手は、アリー君の奥さんのお姉さんだった。
「つまり、君達は義理の兄弟ということなんだね?」
「義理の兄弟だった、と言うべきでしょうね」とハッサン君は言った。「僕の奥さんは、去年妊娠中に死んでしまったんですよ。13歳でした」
「I'm very sorry」
 と僕は言った。それ以外にどう言ったらいいのかわからなかった。
「ええ。とても悲しいことでした。でも、それが彼女の運命だったのだと思います。僕は来月に別の女性と結婚することになっているんです。彼女も13歳だと聞いています」

 休憩所の屋根の下で休んでいるとは言え、暑さで僕の頭はまだぼーっとしたままだったから、彼らの言ったことを事実として受け止めるのには時間がかかった。ここではそれが当たり前のことなのかもしれない。でも、彼らの親がそこまで結婚を急ぐ理由が、僕にはわからなかった。

 僕はぬるくなり始めたRCコーラの残りを飲みながら、13歳で死んだというハッサン君の奥さんのことを考えた。13歳で親の決めた見ず知らずの相手と結婚して、すぐに妊娠して、そして死んでいった女の子の人生とは、一体どんなものだったのだろう。彼女は幸せだったのだろうか。不幸せだったのだろうか。何が幸せで何が不幸せなのかもわからないまま、死んでいったんじゃないだろうか。彼女の人生には、選択の余地というものがほとんどなかったのだから。


 休憩を終えると、僕らは再び灼熱のバスの中に戻った。日は幾分西に傾いてきたが、それでも気温が下がったようには感じられなかった。むしろ太陽が真横から照りつける分、体感温度は上がっていた。道路沿いにはセメント工場らしき建物がいくつか見えたが、それ以外には人はおろか動物の姿も見当たらなかった。

「冬になると雪が降ることもあるんですよ」
 とアリー君が僕に教えてくれた。砂漠に降る雪とは一体どんなものだろう。いずれにせよ、真夏には50度を超え、真冬には氷点下になるというのは、人が住むには過酷すぎる環境であることだけは確かだった。


 バスがクエッタに着いたのは、夜の8時だった。結局、ペシャワールを発ってから28時間バスに揺られていたことになる。不眠と暑さと絶え間ない音楽に、気力と体力をすっかり奪われた状態で、僕はバスを降りた。体が果汁を絞りきった後のレモンみたいにしなしなになっていた。

 クエッタはやけに暗い町だった。日はすっかり暮れているから暗いのは当たり前なのだが、街灯という街灯が全て消えているし、家や商店にも明かりが灯っている様子がない。
 でも、この光景は意外というよりも、「やっぱりそうだったのか」と納得できるものだった。クエッタの町は停電しているのだ。そしてその原因となる現場を、僕らは今まさに通ってきたのだ。

 最初、バスの窓から見えたのは黒い煙だった。地平線の向こうから真っ黒い煙が上がっていた。油田で見られるような煙だったが、この辺に大きな油田があるという話は聞いたことがなかった。
 その煙の原因が何かの工場の火災だとわかったのは、さらに2時間ほど走った後のことだった。炎に包まれていたのはコンクリート製の巨大な建物だった。消防車も何台か到着していたが、もう手の施しようがないらしく、人々はただ呆然とことの成り行きを見守っているだけだった。火の手が上がってから2時間以上経過しているというのに、炎の勢いは衰えを見せていない。これだけよく燃えるということは、化学工場か何かだろうか。そんなことを考えていると、車掌がバスの窓を全て閉めるように言った。有毒ガスが入ってくると思ったのだろう。

 それは僕が今まで目にした火災の中でも、最も激しいものだった。でも、バスの中の乗客も僕自身も、とても冷静だった。興奮して騒ぐような人は一人もなく、まるで映画でも見るように黙って窓の外を見つめていた。暑さと長旅の疲れで、騒ぐ気力がなかった、と言った方がいいのだろう。火災現場を写真に収めることもできたのに、足下のカメラを取り出そうという考えすら、僕の頭には浮かんでこなかったのだ。
「これだけクソ暑いんだから、工場のひとつぐらい焼け落ちても不思議はないな」
 実にこんな風に思っていたのだった。後になって振り返ると、支離滅裂だとは思うのだけど。

 炎に包まれていたのは発電所だった。真っ黒い煙は、燃料の重油が燃えて出ていたのだろう。クエッタの町が真っ暗だったのは、全面的な停電に陥っていたからだった。それにもかかわらず、町が混乱している様子はほとんどなかった。信号機だって止まっていたのだが、普段からそんなものには頼っていないのかもしれない。

 ホテルに入っても、「今日は電気が来ないみたいだから、ランプで我慢してくれよ」と言われて、石油ランプをひとつ渡された。停電はさして珍しいことではないみたいだった。
 僕にとっても、明かりがあろうがなかろうが、あまり関係がなかった。今すぐベッドに倒れ込んで、二日分の睡眠をむさぼりたい。そのことしか考えられなかった。


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