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ゴールの街で出会った少女。吸い込まれそうなぐらい大きな瞳が印象的だった。
 原状の回復には資金援助が不可欠なのだが、津波発生から約一ヶ月が経とうとしている時点で、その見通しは全く立っていなかった。
 多くの人がスリランカ政府の対応の遅さを嘆いていた。ただ遅いだけではなく、外国からの援助金の大半は政治家の懐に入ってしまうんだ、という話もよく耳にした。それが本当なのかは僕にはわからないが、もともとこの国の人々には、外国からの援助が庶民のためには使われずに政治家達の利権となっているという不信感があるのは間違いなかった。バングラデシュでもネパールでも、同じようなことを聞いたことがあるから、これは発展途上国の政府にはつきものの問題なのだろう。

 動きの遅いスリランカ政府とは対照的に、外国の支援団体の姿は目立っていた。ゴールの町で特に目立っていたのは韓国人である。オレンジ色の制服を着た技術者らしい人達が、韓国国旗を掲げたトゥクトゥク(オート三輪タクシー)で町の中を走り回っていた。港近くの橋を直したのは日本人技術者だったし、難民キャンプのテントは中国の人民解放軍から提供されたものだった。伝統衣装を着たドイツ人の大工にも会ったし、アメリカ軍の大型車両やヘリコプターの姿も頻繁に目にした。

「スリランカ政府の援助なんてものは、最初からあてにしていないよ」
 そう言い切ったのは、ウパリさんだった。彼はスリランカでもっともポピュラーなボードゲーム「キャロン」を作る工場の経営者である。
「景気は良かったんだよ。ツナミが来る前まではね。うちには四台の機械と二つの建物があったんだけどね、ご覧の通りみんな壊れてしまった。ひどいもんだ。でも、機械の方は何とか修理できそうなんだ。旋盤はモーターの中に入り込んだ泥を掃除したら、なんとか動くようになったし、他のも修理を頼んである。政府からの援助を待っていたんじゃ何ヶ月も先になってしまうから、とりえず自分でできることから始めているんだ。何しろうちには十人の従業員がいるし、十家族の収入が途絶えているわけだから、たとえテントの中だろうと、一日でも早く仕事を再開したいんだよ。今、ゴールの失業率は九〇パーセントになるんじゃないかな。とにかくひどい状態なんだ」

 ウパリさんは僕に「キャロン」の遊び方を教えてくれた。キャロンは四隅に穴の空いた麻雀卓ぐらいの大きさの正方形の板を四人で囲んで、オセロのような平べったい玉を指で弾いて穴に落とす遊びである。おはじきとビリヤードの合いの子のようなものだ。スリランカの街角では、このキャロンを囲む若者の姿をよく見かけた。バングラデシュでもネパールでも同様の遊びを目にしたことがあるから、インド文化圏では広く親しまれているものなのかもしれない。

キャロンで遊ぶ子供達。

 ウパリさんは世界中でキャロンを普及させたいという夢を持っていた。僕も「お土産にひとつ持って帰らないか」と言われたのだけど、さすがにそんな大荷物を抱えて旅するわけにいかないからと言って断った。彼が本気で日本にキャロンを売り込むつもりがあるのかはわからなかったが、商売に対する前向きな姿勢はこちらにもよく伝わってきた。そして「十人の従業員を雇うということは、十家族を養う責任があるということだ」という彼の言葉は、少し前までの日本人が共有していた感覚ととても似ているように感じられた。


 しかしゴールの町の中でウパリさんのように自前の資金で仕事を再開できる人は例外的な存在であり、ほとんどの人は肝心の商売道具(漁師にとっての舟、ドライバーにとっての車、縫製職人のミシン)を買い揃えるお金がないから、仕事を始める目処さえ立たないという状態に置かれていた。

 そういう苦境を訴える人の中にも、「お金をくれ」と僕に直接言ってくる人がいた。マネーロードの子供達や、すれ違いざまに「ハロー、マネー」と言ってくる女達の軽い要求はかわせても、英語が話せて意思疎通が十分にできる人々に対して「ノー」と言うのは簡単なことではなかった。

「あんたは金を持っているんだろう? 私たちは困っているんだ。どうして助けてくれないんだ?」
 そう言われると、返す言葉がなかった。直接お金をあげないと決めた僕の方針は、そもそも間違っているのではないか。ただ単に自分の懐を痛ませたくないだけじゃないのか。目の前に困っている人がいるのに見てみないふりをしていいのか。そのような声が自分の中から次々に湧き起こってくるのだった。

 それでも僕は「ノー」と言い続けた。それは「ここにいる人々とできる限り同じ目線でものを見たい」と考えていたからだった。僕は高級四輪駆動車に乗って「視察」に訪れるお金持ちでもなければ、チームを組んで「取材」を行うマスコミの人間でもない。あなた達と同じ一人の人間として、同じように町を歩き、言葉を交わしたいだけなんだ。要求されるままにお金をあげるという行為は、その対等な関係をぶち壊してしまうものなんだ。僕はそのように考えていた。

 あるいはそのような考え方は、僕の傲慢で勝手な思い込みに過ぎないのかもしれない。そんな対等な関係なんかにこだわるよりも、目の前の困っている人を助けることの方がはるかに人道的なことなのかもしれない。しかしたとえそうだとしても、僕にはお金やものをあげることがどうしてもできなかった。

ゴールの町にはムスリムが多い。モスクの周辺で壊れた家の修理に汗を流していたのも白い帽子を被ったムスリムの男達だった。水分補給は椰子の実で行うのがスリランカスタイルだ。


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