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田んぼでは、刈り入れたばかりの稲の籾殻を、風に晒して飛ばしている男達がいた。
 ジャナカは親切にも、僕に昼食をご馳走してくれた。兵士達がいつも食べているお弁当がちょうど余っているから、一緒に食べていかないか、と言ってくれたのだ。新聞紙に包まれている弁当の中身は、ポテトカレー、豆カレー、鶏肉カレーに、大量のご飯というものだった。体が資本である兵士用の食事だけあって、量はたっぷりとあった。僕にはとても食べきれないほどだった。

「我々兵士は体を鍛えるのも仕事なんだ。もちろん、食べるのだって仕事のうちさ」
 そう言うジャナカの体は実に均整が取れていて、無駄な贅肉は一切なかった。男の僕が見てもほれぼれする肉体だった。

 僕らは薄暗い兵舎の中で昼食を食べた。50mと離れていないところに海岸があり、その向こうにエメラルドグリーンに輝くインド洋が見えた。静かで美しい海だった。しかしその爽やかな光景にそぐわないのが、海岸線に並んだ兵士達の姿だった。彼らは重そうなマシンガンを提げ、直立不動の姿勢を保っていた。ポイント・ペドロの海岸線には約一〇〇メートルの間隔で監視小屋があり、二、三人の兵士が詰めていた。ポイント・ペドロのような漁業を中心とした小さな町に、これほど大量の兵力が投入されているのは、かなり不自然なことに思えた。

 ジャナカの話によれば、彼らは対岸のインドからやってくる不審船を監視するために配置された部隊らしいのだが、それならなぜ、兵士が海に背を向けて、住民達の住む方を向いて立っているのだろう。やはりこれはタミル人住民の暴発を押さえるための示威行為だと考えるのが妥当なのではないか。

 ジャナカはそれについては何も答えなかった。その代わりに「我々は決してタミル人全体を敵だとは思っていない。敵はLTTEなんだ」とだけ言った。悪いのはテロを指揮するリーダーであり、それを未然に防ぐためには、ある程度厳しい監視態勢を取るのはやむを得ない。彼はそう考えているのだろう。

 しかし常にスリランカ軍の目が光っているという状況が、一般のタミル人住民の不満を煽ることにはならないのだろうか。力で無理に押さえつけられたバネが、手を離した瞬間に大きく弾むように、なにかのきっかけで住民の不満が暴発するようなことになりはしないのだろうか。

 ジャフナもポイント・ペドロも、ただ町を歩く限りは平和である。しかしそれがこれからも維持されるとは限らない。長く続いた内戦を通じて増幅された不信感が消えるのは、長い年月が必要なのだ。

農作業中に水を飲む女。


スリランカの漁民にはキリスト教信者も多い。教会は津波被災者の避難所としても使われていた。
 ポイント・ペドロからジャフナに戻るローカルバスの中で、面白いものを発見した。それは運転席の上に祀られた神棚だった。
 バスに神様が祀られているのは別に珍しいことではないし、スリランカに限らず、どの国でも見られる光景である。インドのサイクルリキシャにはヒンドゥー教の神様のステッカーが貼られ、ミャンマーのバスには電飾付きのミニ仏像が飾られている。日本の車にだって「交通安全」と書かれた神社のお守りがぶら下がっている。

 スリランカの場合は多宗教国家なので、仏像を祀ったバスに乗ることもあれば、キリスト像を祀る三輪タクシーに乗る機会もあった。要するに運転手の信仰する宗教によって、神棚の中身が変わってくるのである。

 ところが、その日僕が乗ったバスの神棚には、ありとあらゆる神様が一緒くたに祀られていたのである。右端には仏陀の像があり、その隣にはヒンドゥー教の神様であるシヴァ神とビシュヌ神が祀られ、さらにその隣にはイエス・キリストと聖母マリアの絵が並んでいるのである。もしイスラムが偶像崇拝を禁じていなければ、その隣にはアッラーの姿があったに違いない。

 この一見無節操にも思える神棚が意味するのは、異なる宗教の共存、異なる民族の融和だろう。違う神を信じているというだけで、お互いを理解し合えない者と見なし、泥沼の内戦にまで発展したのが、スリランカの歴史だった。その違いは実のところほんのわずかでしかいないはずなのに、それを許すことができずに、殺し合うことになったのだ。

 そんな悲しい歴史を繰り返したいと思う人は、おそらくいないだろう。お互いの違いを認め合い、全ての神様、全ての民族が同じ「棚」の上に登る。そうすることでしか、この国の未来は開けてこないのだ。
 そのような静かな訴えが、たくさんの神々がいる神棚から伝わってきたのだった。


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