学校の煙突の上には、コウノトリが巣を作っていた。
「メリチェ、メリチェ・・・。さて、どのクラスだったかな」
 校長先生は、古めかしいロッカーの鍵を開けると、生徒の名簿が収めてあるファイルの束をひとつひとつ調べていった。素性の知れない外国人が突然押しかけてきたにもかかわらず、校長先生は少しも怪しむことなく僕を迎えてくれた。少年二人と僕が小学校に入ったとき、校庭で下校途中の子供達に囲まれて、ちょっとした騒ぎになってしまったのだが、たまたまそばを通りかかった若い英語教師に事情を説明して、校長室に連れていってもらうことができたのである。

「三年生には、メリチェという名前の女の子が二人いるんだ」
 トルコ人には珍しく訛りの少ない流暢な英語でそう言うと、校長先生は分厚いファイルをふたつ机の上に乗せた。
「この子は君の写真とは違う顔だと思う。ということは、こっちが君の探しているメリチェじゃないかな?」
 僕らは名簿の隅に貼り付けてある小さな証明写真を覗き込んだ。そこに写っている少女は、確かに僕が三年前に撮った子に似ていた。けれど、これだけでは決定的な証拠とは言えない。
「この子に会うことはできますか?」
「残念だけど、今日、彼女のクラスはピクニックに行っていて、学校にはいないんだよ」
「ピクニックですか?」
「先生と生徒と生徒の親たちが、一緒に郊外にある公園に行って、バーベキューをして楽しむんだ」
 彼の言う「ピクニック」とは、日本でいう「遠足」のようなものなのだろう、と僕は思った。

「それじゃ、今日は学校には戻らないんですか?」
「いや、夕方の五時には学校に戻ってくるはずだよ」
「僕は今日の夜行バスで、イスタンブールに行かなくてはいけないんです。だから、今日中にメリチェに会って、この写真を直接渡したいんです」
「それじゃ、五時にもう一度ここに戻ってくればいい。まだしばらく時間があるからね」
「わかりました。そうします」
 僕は頷いた。腕時計はまだ十二時を回ったばかりだった。

 しかし、僕をここへ連れてきてくれた二人組の少年は、この決定に不満そうな表情を見せた。どうやら彼らはメリチェと僕との再会が先送りになったことが納得できないらしい。せっかく面白いことが起こりそうなのに、それを見逃すのが悔しいのかもしれない。
 校長先生は少年二人とトルコ語で話し合い、こう提案した。
「この子達は、今から君と一緒にピクニックに行きたいと言っている。そうすれば、すぐにメリチェに会えるじゃないか、と。君はどう思う?」
「もちろん行きますよ」
 僕が即答すると、少年二人は嬉しそうに顔を見合わせた。僕にとっても、再会は早いほうがよかった。万が一、人違いだったとしても、その後再び探し歩くことができるからだ。


トルコ東部、イランとの国境にほど近い町ドゥバヤジットで。後ろに聳えるはアララット山。
 メリチェのクラスがピクニックをやっている公園は、学校から五キロほど離れた場所にあるという。僕は最初、タクシーで行くことを提案したのだが、少年二人は「ヒッチハイクで行く」と言い張った。「お金なら心配することはないんだ」と言っても、なぜか彼らは頑なにヒッチハイクにこだわるのである。

 僕らは郊外へ向かう幹線道路まで歩き、やってくる車に向かって右手を上げた。しかし案の定、僕らの呼びかけに反応してくれる車は、いっこうに現れなかった。道路を行き来する車の量は決して少なくないのだが、どの運転手も僕らの方をちらっと一瞥しただけで、スピードを緩めることなく走り去っていくのである。まぁそれも無理もないことだろう。子供二人と外国人一人という奇妙な三人組をヒッチハイクさせてくれる気前のよい運転手なんて、それほど多くはいないだろうから。

 僕らはしばらくの間、一文無しのバックパッカーみたいに道路脇に立って車に手を振り続けたが、あまりにも脈がないので、もう諦めようという雰囲気になってきた。五キロなら、歩けない距離ではない。

 一台の車が僕らを追い越したところでキュッとブレーキをかけて止まったのは、そんなときだった。黒っぽいワンボックスカーだった。やれやれ助かった。そう思って近づいてみて、びっくりした。窓からぬっと顔を出した男は、なんと制服姿の警察官だったのである。

 四十過ぎぐらいでがっちりとした体格の警察官は、人懐っこい笑みを浮かべて、トルコ語で話しかけてきた。もちろん僕にはトルコ語はわからないのだが、「乗って行けよ」と言っているらしいことは、すぐにわかった。
 勤務中の警官がヒッチハイクに応じてくれるなんて、他の国ではあまりないことだと思う。以前、トルコ東部の町を旅していたときにも、パトロール中の軍人に基地でコーヒーをご馳走になったことがあるのだが、その例からもわかるように、制服組であってもあまり規則に縛られないのがトルコ人の特徴なのである。

右がヒッチハイクに応じてくれた警官のおっちゃん。左の同僚の男も共に彫りの深い顔立ちをしている。

 警官のおっちゃんは少年二人から目的地を聞くと、片言の英語で「俺の娘、今日、公園、ピクニック、行く」と言った。どうやら彼の娘も公園にいるらしい。僕が「そうですか」と頷くと、おっちゃんはさらに英語を続けた。
「あんた、どこの人? コリア? チャイナ? ジャパン? オー、ジャパン!」

 懸命にコミュニケーションを取ろうとしてくれるのは嬉しいのだが、問題なのは車が前進しているにも関わらず、おっちゃんはずっと後部座席にいる僕の方を見ているということだった。
「前! 前を見てくださいよ!」
 僕が慌てて指さすと、やっと前に向き直ってハンドルを握り直す、というような状態なのだ。
「だーいじょうぶさ。前なんか見なくても事故なんて起きないよ!」
 おっちゃんはガハハと豪快に笑うと、バックミラー越しにウィンクしてみせた。

 陽気な警官は、公園に着いてからも何故か僕らと一緒に車を降り、メリチェを探すのを手伝ってくれた。トルコ人は本当に親切である。それはホスピタリティーに富む国民性の発露に違いないのだが、それに加えて、彼らの多くがいくらでも融通の利く「暇」を持ち合わせている、というのも見逃せない点である。

 トルコの町を歩くと、喫茶店でのんびりとチャイを飲みながら無駄話をするおじさんや、家の前で井戸端会議に花を咲かせているおばさん達を、そこらじゅうで見ることができる。日本人のように誰も彼もが目的を持って行動し、時間に追われているわけではない。そんな余裕があるからこそ、トルコの人々は他人のことに気を配り、親切にできるのだと思う。



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