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万年雪を頂いたヒンドゥークシュ山脈の稜線は、まるで広告用の写真から切り取られたようにシャープだった。その山の頂から流れてくる小川は、下流の麦畑を潤し、鮮やかな緑の絨毯を作り出している。草原には無数のタンポポや菜の花が咲き、その近くで羊の群が黙々と草を食んでいる。頭にターバンを分厚く巻いた老人が、ロバにまたがって草原を横切っていく。畑には赤や水色の派手なショールを頭に被った女達が、顔を隠すようにして働いている。
そこにあるもの全てが美しく印象的だったけれど、何よりも僕の心を捉えたのは空の青さだった。それはいつも世界を柔らかく包んでいる半透明の膜を全て剥ぎ取ってしまったような、極めて純度の高い空だった。全てのものを含み、なおかつ全てのものを拒むような深みを湛えた青空だった。このような空が現実にこの地球上にあるということが、僕には上手く信じられなかった。あまりにも現実離れした青空なのだ。
僕はどちらかと言えば、自然の景観やダイナミックなパノラマというものにあまり関心を持たない人間だと思う。事実、多くの国を旅する中で僕の心を動かしたのは、風景ではなくそこに住んでいる人々の表情や暮らしぶりだった。しかしこの空の青さは僕を打ちのめした。その圧倒的な宇宙の広がりの前では、自分は取るに足らないちっぽけな存在でしかないのだと思い知らされた。
このような青空はもう二度と見ることはできないかもしれない。僕はふとそう思う。この青空を生み出している奇跡的なバランスを、僕は肌で感じ取る。この青空は確かに今ここに存在しているけれど、明日には、いやひょっとしたら次の瞬間には失われてしまうものなのではないか。僕は直感的にそう思う。
そして突然、何も考えられなくなる。文字通り言葉を失ってしまう。思考が完全に停止する。僕は自分の中で何かが壊れる硬い音を聞く。喉の奥から熱いものがこぼれてくるような感覚がある。気が付くと涙が頬を伝っている。それは僕自身をとても驚かせる。何かの間違いじゃないかと頬を手で拭ってみる。人差し指に湿った涙の感触がある。間違いない。僕は泣いている。しかし何故泣いているのか、その理由がわからない。悲しいわけでもなく、嬉しいわけでもない。そういう感情とは全然別のところで、自分の目から涙が溢れている。ただただ、こみ上げてくる熱いものを押さえることができない。
ハードな旅を何ヶ月も続けていたせいで、確かに僕は疲れ切っていた。精神的にも肉体的にも限界が近づいていた。だからこそ心が無防備になって涙を流したのだ。そう考えることもできる。しかし、僕が泣いたのは「あまりにも青空が美しかったから」なのだと思う。それ以外の理由は、おそらく理由付けのための理由でしかないのだ。
人は美しいという理由だけで泣くことができる。あまりにも美しいものの前では、理性は感情の波にいとも簡単に押し流されてしまうものなのだ。それはある種の啓示のように、何の前触れもなく訪れる。僕はそのことを身を持って知ったのだった。
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激しい感情の奔流は、それからしばらく続いた。幸いにして、他の乗客は僕が泣いていることに気が付かなかった。喉は嗚咽することを激しく求めていたけれど、それだけは何とか押しとどめた。
そしてその波が去った後に、「この前泣いたのはいつのことだろう?」と考えてみた。思い出せなかった。少なくとも高校を卒業してからは、涙を流して泣いたという記憶はない。中学まで遡ればあるとは思うけれど、それがいつだったのかは全く思い出せない。ということは、少なくとも十年以上は泣いていないことになる。だから泣き方すら忘れてしまっていたのだ。
幼い頃、僕は泣き虫だった。何か気に入らないことがあると、すぐに泣いていた。それは恥ずかしいことだと思うようになってから、僕は泣かない人間になった。そしていつしか泣けない人間になった。感情の奔流に身を任せることができなくなってしまった。理性という堤防が、いつも涙を一歩手前のところで押しとどめていたのだった。
僕は「北風と太陽」の物語を思い出した。吹き付ける冷たい北風を前にして、旅人は服を剥ぎ取られまいと頑なになる。しかし太陽の光と青空の前に、旅人は服を脱いで裸になる。それと同じことが僕の身にも起こったのだと思う。アフガニスタンの青空の圧倒的な美しさは、これまで僕を守っていた理性という堤防を壊し、硬い鎧をうち砕いて、僕の心を裸にしてしまったのだ。
涙を流すことによって、僕は自分自身を縛っていたものから、少しだけ自由になれた気がする。今まで知らなかった自分を知ることができたように思う。
未知なる外の風景によって、自分の内にある未知の部分が露わになることがある。そんな瞬間を求めて、僕は旅を続けているのかもしれない。
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