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  たびそら > 旅行記 > インド編


 旅の出発地点になったのはオリッサ州のプリーという町だった。ここでバイクを借りて、インド一周の旅を始めたわけだ。
 プリーはいくつかの違う顔を持つ不思議な町だ。ひとつ目はインド人向けの観光地としての顔。プリーの中心には「ジャガンナート寺院」という有名なヒンドゥー教の寺院があり、インド各地から巡礼者を集めているのだ。

 僕のような外国人バックパッカーが集まる一角にはまた違った顔があって、そこには「さびれた楽園」とでも言うべき独特の空気が漂っていた。1970年代、プリーは安いマリファナと降り注ぐ太陽を求めて欧米人ヒッピーたちで賑わっていたのだが、ヒッピー文化の衰退と欧米人旅行者の目がゴアなどの西海岸のリゾート地に向いたことが重なって、次第に人気が下降していったのだ。今、この町で目立つのは40代から50代の「オールドヒッピー」たちである。彼らは若い頃に旅した思い出の地を再び訪れ、30年前と同じように日光浴をしたりマリファナを吸ったりしてリラックスしているのだった。

プリーにある(名前だけ)ヒッピー風のカフェ「ウッドストック」。

 僕自身はヒッピーではないし、ヒッピーカルチャーに憧れを感じたこともないのだが、プリーの町に漂うまったりとよどんだ空気は嫌いではなかった。ここには人気の観光地にありがちな土産物屋の必死さもリキシャ引きのしつこさもなく、地元の男たちと中年ヒッピーたちが一緒になって、ちょっと気怠そうに午後をやり過ごしている。そんな「ゆるさ」が心地よかったのだ。

 この「さびれた楽園」を出て、浜辺を北に向かって歩いていくと、プリーのもうひとつの顔が見えてくる。
 ここにあるのは巨大な漁村である。住民の話によれば、ここに住む漁師とその家族は3万人にもなるというから、これはもう「村」ではなく「町」と呼ぶべき規模なのだが、その内実はまったくもって「村」そのものなのである。ひしめき合う家々はどれも適当な廃材と椰子の葉を組み合わせただけのおそろしく簡素なもので、ちょっとした嵐でも吹き飛んでしまいそうだったし、村には舗装された道がひとつもなく、もちろん水道も通っていないので、住民は共同の井戸から水を汲んでいる。トイレもない。ただのひとつもないのである。

夜明け直後のプリーの漁村。魚を積んで浜に戻ってくる船と、その魚を籠に乗せて運ぶ女たちが忙しく行き交う。

 それじゃこの村の人々がどうやって用を足しているかというと、当然のようにみんな砂浜にしゃがみ込んでいるのだった。
 トイレのない村は、インドではさほど珍しくない。山岳部の貧しい農村だと、草むらで用を足すのが普通である。けれども3万人もの人口を抱えている巨大な村にひとつもトイレがないとなると、話は別である。砂浜が大量の汚物で埋め尽くされてしまうことにもなりかねない。

 日の出直後の浜辺は特にすごかった。右を見ても左を見て、お尻を剥き出しにしてしゃがみ込む男や子供の姿が目に飛び込んでくるのだ(ちなみに女性は近くの藪の中でこっそり用を足すのだそうだ)。目を覚ましたらまず便意を催すというのは、人類共通の習性なのである。
 黄色っぽいの、茶色っぽいの、大きいの、小さいの、水っぽいの、真っ直ぐで太いもの、とぐろを巻いたもの。浜辺には様々な種類の排泄物が散らばっていた。製作者によって色もかたちも違う。何だか陶芸の見本市を覗いているような気分だった。


 しかし実際のところ、この砂浜を歩くのは大変だった。うっかりよそ見なんかしようものなら、いたるところに散乱しているウンコの中に足を突っ込みかねないからだ。
 実際、アメリカ人のウィリアムはそんな悲劇に襲われていた。彼は打ち寄せる波を避けようとして、大きめの排泄物(堂々たるとぐろ!)に靴を突っ込んでしまったのだ。
「ファァァック!」
「シィィィット!」
 ウィリアムは大声で叫んだ。それはまさにファックかつシットな状況であり、それ以外の言葉はないという悲痛な叫びだった。
「決めた! 僕はもうプリーでは絶対に魚を食べない」
 ウィリアムはウンコだらけになったナイキのシューズを海水で洗いながら、腹立たしげに言った。
「どうして?」
「このウンコだらけの海で捕れた魚なんて、とても食べる気にはなれないから」
「ここの人のウンコを食べた魚は汚いってこと?」
「そうだよ。誰がそんなものを食べる?」
「インドでは無駄に想像力を使っちゃいけないんだよ」と僕は言った。「考えちゃダメなんだ。ブルース・リーも言っている。『Don't think. Feel』って。僕らはただインドを受け入れるしかない。この現実を」


 口ではそう言ってのけたものの、このウンコだらけの浜辺を受け入れるのは容易なことではなかった。ウンコはただそこに存在するだけであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ、と考えようとするのだが、どうしても「ばっちい」という感覚を捨てきれなかったのだ。

 散乱するウンコが見慣れたものになり、それほど汚いと感じなくなったのは、プリーの砂浜を歩くようになって2,3日経った頃だった。
 僕らはこの砂浜を「エコ・サステイナブル・ビーチ」と呼ぶことにした。環境持続型浜辺。村人が置き去りにした排泄物はいつかは波にさらわれ、海の水に溶ける。それがプランクトンの栄養になり、そのプランクトンを魚が食べ、その魚を漁民たちが食べ、それが消化され、再び排泄物となって海に還っていく。すべては循環している。

「合理的でエコなトイレだよ、これは」と僕は言った。
「考えようによってはね」とウィリアムは同意した。「でもなぁ、いくら海に還るといっても、この量はハンパじゃない。やっぱりトイレは作るべきだと思わないか?」
「まぁそうだね。でも今のところ村人はトイレを必要としていないから、トイレを作らないんじゃないのかな」
「必要は発明の母か・・・」
「そういうことだね」


 ところで、この「エコ・サステイナブル・ビーチ」のすぐ隣には、インド人のバカンス客向けのリゾートホテルと小綺麗なビーチがある。そこではシミひとつないサリーを着たご夫人とサングラスをかけたお父さんが並んで立ち、よそ行きのドレスを着た子供たちが楽しげに水遊びをしている。カラフルなビーチパラソルが並び、客寄せのためのラクダがもぐもぐと餌を食べている。

 このお金持ち用のビーチとウンコだらけのビーチは、わずか100メートルしか離れていない。あいだに仕切り線や柵があるわけでもない。それでもバカンス客が漁村に入ることは絶対にないし、漁民たちがバカンス用ビーチに立ち入ることも(もちろんそこで用を足すことも)ない。

 目には見えないが、確実に「壁」は存在していた。「貧」と「富」を隔てる壁、あるいは「清」と「濁」を隔てる壁が。


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