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  たびそら > 旅行記 > インド編


 さすがに年に一度の祭りだけあって、ティルチェンドゥール寺院の混雑ぶりはすごかった。案内してくれたクマルによれば、巡礼者の数は今日一日だけで数万人に達するという。初詣で賑わう元日の神社のようだ。巡礼者目当ての土産物屋も大いに繁盛しているし、施しを受けようと並んでいる物乞いの数もやたらと多かった。

大勢の巡礼者で賑わうティルチェンドゥール寺院

海に面した沐浴場は芋を洗うような混雑ぶり


 ところで、インドの寺院に入る際には裸足にならなければいけないという決まりがある。寺院の入り口には必ず履き物を預ける場所があって、そこに脱いだサンダルや靴を預けるのだ。似たような習慣はインドだけでなく、仏教国であるタイやミャンマーなどにもある。「聖なる場所を土足で汚してはならない」というわけだ。

 しかしインドの寺院を歩いていていつも不思議に思うのは、その「聖なる場所」の汚さである。例えばティルチェンドゥール寺院の回廊の横では巡礼者が当たり前のように小便をしているし、野良牛のぼってりとした糞が落ちていたりもする。寺院の境内で寝泊まりしている信徒たちが出すゴミや残飯も散らかり放題。一体これのどこが「土足禁止の聖なる場所」なのかと首をかしげなくなってしまう。


 とりあえず土足禁止のルールは守る。しかしそれが理にかなっているかどうかにはこだわらない。
 そのようなインド人の大雑把な性格は、稲の収穫をしている人々を写真に撮ろうとしたときにも感じた。インドでは稲刈りも土足で行ってはいけない仕事なのだが、僕はそのことを知らずに近づいてしまい、ものすごい剣幕で怒られたのだ。

「収穫した稲はいずれ口に入るもの。だから土足で踏んではいけない」
 カマを手にした女が身振りを使って教えてくれた。僕は慌ててサンダルを脱ぎ、素直に謝った。タブーを知らなかった僕の落ち度である。申し訳ない。

裸足で稲刈りをする女たち

 ところが、である。このあと女たちはなんとも不可解な行動に出たのだった。刈り取ったばかりの大切な稲穂を、すぐ横を通る道路の上に並べ始めたのだ。もちろん道路には大型トラックやバスが走っており、稲穂は大型タイヤで踏んづけられることになる。

 実は農民たちは「わざと」稲穂を踏ませているのだった。そうやって稲の脱穀を行っていたのである。インドには様々な脱穀方法があって、人の手を使う場合もあるし、牛に踏ませることもあるのだが、この道行くトラックに踏ませるやり方は安上がりで楽な脱穀法として、わりあい普通に行われているようなのだ。

稲穂を踏んでいくトラック

 正直、「それでいいのかよ」と思った。何だか騙されたような気分だった。収穫した稲を土足で踏むのは禁止だが、トラックのタイヤが踏みつける分にはOK。この理屈が通るためには、「トラックのタイヤよりも人の靴の裏の方が汚れている」ということになるわけだが、どう頭をひねってみてもそんな風には思えなかったのである。靴の裏が汚いのなら、タイヤだって同じように汚いはずだ。

 インド人は「浄」と「不浄」を分けて考える、とよく言われる。左手は用を足すときに使う「不浄」の手だから、ご飯を食べるときには右手しか使わない、という話もよく聞く。しかし実際には、食事の時に左手をちょこっと使う人は多い。右手だけだと何かと不便なのだろう。

 その辺のいい加減さというかおおらかさがインド人の本質だという気もする。確かにタブーは存在するし、建前としてはそれをみんなが守っているのだが、現実にはそれほどガチガチに固まったものではなく、「ま、それでいいんじゃないの」という程度のゆるいもののようなのだ。


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