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 グルン族が住むチェラン村では、雑貨屋で知り合ったマンヌルブさんの家に泊めてもらった。
 マンヌルブさんは70歳で、奥さんのセイティーマヤさんは65歳ということだったが、二人とも実年齢よりもずっと老けて見えた。特に奥さんは髪が雪のように白く、顔にも深い皺が刻まれていて、腰は大きく曲がり、声もしわがれていた。「おばあさん」と呼ぶのがふさわしいような外見だった。ネパール女性の平均寿命は59歳で、日本の83歳に比べても、世界的な水準と比べても、かなり低い。「長生きが難しい国では老けるのも早い」ということは間違いなく言えそうだ。

 セイティーマヤさんが何歳なのか、本当のところは誰にもわからない。生年月日を覚えているわけではないからだ。「だいたい65歳ぐらいだろう」というのが本人と周りの人間の認識なのである。もともとネパールには誕生日を祝う習慣はなかったし、子供が生まれても役場に届け出て誕生日を確定させる仕組みもなかった。だから老人に年齢を尋ねるとたいてい「80歳」とか「70歳」といった切りの良い数字が返ってくる。年齢には大した意味なんてないのだろう。私が誰の妻であるのか、誰の母親で、誰の祖母なのか。そういった関係性こそが重要なのであって、自分がいま何歳なのか把握している必要なんてないのである。

 セイティーマヤさんはバスで片道5時間もかかるダーディンの町に出かけてきたばかりだった。ネパールにも土地に対する固定資産税があって、それを払うために町の役所まで行ってきたという。税金の額は非常に安い。もちろん土地の広さにもよるが、だいたい1年あたり6,70ルピー程度なのだそうだ。町までのバス代の方がはるかに高い。だから10年に一度まとめて支払ってもいいことになっている。

 税金を払うついでに町で買い物をしてきたから、セイティーマヤさんが背負っていた荷物は重かった。乾電池、紅茶、砂糖、塩、スパイス、それにミカンとブドウなどの果物である。それ以外のものは村で作っているから、わざわざお金を出して買う必要はないという。

 さっそく買ってきたばかりの紅茶の葉で「チヤ」と呼ばれるミルクティーを作ってもらった。ススで真っ黒く変色したヤカンを火にかけ、茶葉と水と絞りたての水牛のミルクと砂糖、それにショウガをひとかけら加えて煮立てる。ステンレス製のコップに注いだ熱いチヤを、ふーふーと冷ましながら少しずつ飲む。

ススで真っ黒に変色したヤカン

 村人で紅茶を飲み始めたのはそれほど昔のことではない。今から2,30年前に、インドへ出稼ぎに行った男がお土産として持ち帰ったものが、村人にとって初めての紅茶体験だったそうだ。それまでは水牛のミルクや「チャン」と呼ばれるどぶろくを飲むことが多かった村人が「紅茶党」へと変わるのに、さほど長い時間はかからなかった。お湯を沸かして茶葉を入れるだけでできるという手軽さと、砂糖を入れて甘くすると子供からお年寄りまで誰もが飲めるという親しみやすさが支持された結果だという。

 村人が飲み水にしているのは山の湧き水だから、そのまま飲んでもとてもおいしかった。ふくよかな甘味があって、味に奥行きがあるのだ。カトマンズで売られているボトルウォーターとは全然違う。もちろん健康にもいいという。
 しかし、このような村の生水を初めて飲んだ外国人は、必ずと言っていいほど下痢になるのだそうだ。だからガイドはトレッキング客に対して、どんな水でも必ず一度は沸騰させるように勧めている。それができない場合には、消毒薬をドロップして飲ませるという。

井戸から汲んできた水をためておくための水瓶。なかなか渋い色合いである。

 つまり、このおいしい天然水には、沸騰させたり消毒液を混ぜたりすれば死滅する「何か」が混じっているということだ。おそらくは微生物のようなものが。しかしその「何か」が水の味を豊かにし、健康にも良い影響を与えているわけだ。
 幸いなことに、僕の場合は現地の生水をそのまま飲んでも全く問題なかった。体に免疫ができているのだろう。日本にいるときよりも腹の調子がいいぐらいだった。僕にとってネパールは文字通り「水が合う」土地なのだと思う。

 ところで、この家の居間兼台所には煙突がひとつもない。だから調理をするためにかまどに火を入れると、家中に煙が充満することになる。煙が目にしみると痛くて涙が出てくるし、気管支にも悪いはずだが、伝統的なネパール家屋のほとんどが煙突などの排煙設備を持っていないのである。もともと煙の害を気にする人が少なかったということもあるのだろうが、煙がもたらす「効能」を期待している人も多いらしい。かまどから立ち上る煙は、家の二階に貯蔵されている穀物(米やトウモロコシや雑穀)を燻し、日持ちを良くするという。さらに、煙で燻された木の柱は虫にも強くなり、家自体が長持ちするようになる。

伝統的なかまどで煮炊きをする。この家にも煙突はなかった。

 ガイドのフルさんが実家を新築した際も、台所に煙突を着けることを提案したのだが、両親には「そんなものいらない」とはねつけられてしまったそうだ。
「両親にとって、お米が腐らないことが何よりも重要なんです」とフルさんは言った。「煙で人が死ぬのには長い時間がかかるけど、穀物が腐ってしまえば、その日から飢えるわけですから」
 しかし最近になってようやく煙の健康への悪影響が理解されるようになり、新しく建てられる家の多くが煙突を備えるようになったという。

 新鮮なミルクを提供してくれる水牛4頭は、この家でもっとも価値が高い「財産」だ。いざとなったら売り払って現金に換えることもできる。水牛の他にも牛が2頭、豚が1匹、山羊が4匹、それに5羽の鶏が飼われている。人間の数より家畜の数の方が多いのは、ネパールの山村では当たり前である。当然、家の周りは糞だらけだ。水牛の糞と落ち葉を混ぜて作る堆肥のにおいが、ほんわりと家全体を包み込んでいる。草食動物の糞はそれほど臭くはない。かぐわしいとまでは言えないが、気になって仕方がないというレベルではない。実際、村で数日過ごすうちに、においのことは気にならなくなった。

水牛や牛は農作業に欠かせない労働力でもある。

牛の糞は畑にまく堆肥にも利用される。

 マンヌルブさんには息子が一人と娘が三人いるのだが、誰とも同居はしていない。娘たちはみんな結婚して家を出ているし、一人息子はサウジアラビアに出稼ぎに行っているからだ。というわけで老夫婦は息子のお嫁さんと孫三人と一緒に暮らしている。

 お嫁さんはサウジアラビアにいる夫と携帯電話で連絡を取り合っている。村に電気は通っていないので、太陽光パネルを持っている隣家に頼んで充電をしてもらっている。小さな太陽光パネルとカーバッテリーの組み合わせによって得られる電力はさほどパワフルではないので、パソコンを使ったりテレビを見たりすることはできないのだが、蛍光灯をともしたり携帯電話を充電したりすることは可能なのだ。

電気が来ていない村にもソーラーパネルを持った家が目立つ。

 電波状況はあまり良くない。村からかなり離れた山の上に電波塔が立っているので、天気が悪い日には電波が届かないことも多いという。
 しかしいずれにしても、ネパールの山村から4000キロも離れたサウジアラビアにダイレクトに繋がることができるというのはすごい。バカ高い通話料を払うこともなく、気軽に外国と通話ができるようになるなんて、ほんの10年前のネパールでは想像すらできなかったことなのだ。

家の横に立つのは携帯電話の電波塔だ。

 世界は確実に狭くなっている。
 労働市場がグローバル化し、マネーが地球を駆け巡り、昔ながらの暮らしを送る農村からの声が電波に乗ってやすやすと国境を越えていく。
 そんな時代に僕らは生きている。


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