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  たびそら > 旅行記 > スリランカ編


 コロンボで知り合った人は、どういうわけかやたらと顔を近づけて話をしてくるのだった。ツバが顔にかかるぐらいまでグイッと接近して話さないと気が済まないのだ。バングラデシュのダッカも人と人との距離が近い街だが、コロンボはそれ以上だった。

「ハロー、フレンド!」
 男はいきなりそう言って握手を求めた。まだ言葉も交わしていないのに、いきなり友達である。フレンドリーなのは結構だが、順序ってものがあるだろう。そんな風に思っている僕を置き去りにして、男はすごい勢いで話しはじめた。
「あんたジャパンから来たのかい? 俺はキャンディーで生まれたんだけどね、仕事でコロンボに住んでいるんだ。この街は好きかい? 俺は嫌いだよ。騒々しいし、空気は汚いし、人も多すぎるからね。キャンディーはいいところさ。あんたも行くべきだよ。なんなら案内しようか?」

 男は聞いてもいないことをべらべらとまくし立てながら、僕の耳元にじわじわと近づいてきた。最終的には10センチぐらいの距離にまで接近してきたのだった。体臭まではっきりわかる近さだ。そんなに近づかなくても、ちゃんと聞こえてるってば。
「俺は30歳だけど、まだ結婚していないんだ。日本人の女はとてもビューティフルだと聞いている。俺は日本人と結婚したい。どうしたらいいだろう? 俺みたいな男は日本人の女にもてるだろうか? 日本人の女はどういうタイプが好きなんだい? プレゼントには何を用意したらいい?」
「知らないよ、そんなこと」
 突き放したように僕が言うと、男はあっさりと「じゃあね」と立ち去っていった。フレンドリーなわりに淡泊。それがコロンボの流儀なのだろうか?

コロンボの卸売市場で働く男たち

魚市場で働く男たちもにこやかだった。
 コロンボはスリランカ最大の都市であり、実質的な首都である。(正式な首都は「スリジャヤワルダナプラコッテ」という舌を噛みそうな名前の街なのだが、ここは立法府および司法府が置かれているにすぎない)

 僕はアジアの首都というものがどうしても好きになれないので、旅をするときにはなるべく早く首都から脱出することにしている。どの街もうんざりするほど広く、全体像がなかなか掴めないうえに、住人もどこかよそよそしく、忙しそうに歩き回っているからだ。首都はどれも似たような顔をしている。東京もデリーもバンコクもジャカルタも。

 しかしコロンボは違っていた。歩いていても親しみが感じられる街なのである。それは人口64万(都市圏全体では220万)という比較的コンパクトな規模のせいでもあるのだろう。中心地には高層ビルが立ち並ぶ一角があるものの、そこから少し離れた住宅街には猥雑で温かみのある庶民の暮らしぶりがどっしりと根を下ろしているのである。

コロンボの卸売市場で働く男たち

 ひとたび子供たちにカメラを向けると、たちまち「ボクも撮ってよ!」と大騒ぎになってしまうのも、首都らしからぬ反応だった。カメラに満面の笑みを向けてくれるのはいいのだが、いつまでも離れることなくずっと後ろをついてくるのには参った。まさに「金魚の糞」状態である。

 そんな子供たちをようやく振り払うことができたのは、一人のおじさんが「あっちへ行け!」と手荒く追い払ってくれたからだった。こういう良識ある大人がきちんと注意してくれるのは本当にありがたい。
「すまないね。スリランカのボーイはちょっとクレイジーなんだよ」
 おじさんは申し訳なさそうに言った。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
 僕がお礼を言うと、おじさんは意外な言葉を口にしたのだった。
「わたしの写真を一枚撮ってくれないかな?」
 これにはずっこけそうになった。
 まったくもう、ただ単に自分も撮ってほしかっただけなのだ。



 コロンボの街には「SPORTING TIMES」と書かれた看板を出している店がいくつもあった。「スポーツの時代」とでも訳したらいいのだろうか? 何かスポーツに関係する施設らしいのだが、その正体がよくわからなかった。店に出入りしているのは40代から60代のややくたびれた感じのおじさんばかりで、「さぁ今からスポーツをするぞ」という雰囲気には見えないのである。スリランカにはボディービルジムも多いのだが、それとも様子が違っている。

 「SPORTING TIMES」とはいったい何なのか。気になったので店に入ってみることにした。
 店の中は昼間でも薄暗く、タバコの煙がもうもうと立ちこめていた。場末の安酒場っぽいぶっきらぼうな雰囲気である。店内には30人ほどの男たちがいて、部屋の隅に置かれた二台のテレビを食い入るように見つめていた。画面に映し出されているのは競馬レースの実況中継だ。男たちは競馬新聞をテーブルに広げ、鉛筆で印を付けていた。なるほど。どうやらここは場外馬券売り場らしい。

 「SPORTING TIMES」が日本の馬券売り場と違うのは、賭けの対象がスリランカ国内の競馬に限らないという点だ。イギリスやオーストラリアや南アフリカなどで行われてる競馬やドッグレースが、幅広く賭けの対象になっているのである。営業を取り仕切っているのはイギリスのブックメーカーで、スリランカにいながら世界各地のギャンブルをリアルタイムで楽しむことができるというシステムらしい。


 アフタブさんというおじさんが賭け方を教えてくれた。ルールは簡単である。このとき行われていたのはオーストラリアの競馬だったが、次のレース結果を店に用意されたオーストラリアの競馬新聞をもとにして予想するのである。何番の馬にいくら賭けるかが決まれば、それを投票用紙に書いて、掛け金と一緒にカウンターに持っていく。締め切りは各レースが始まる直前。この辺はかなりアバウトである。そしてレースが終わると、現地発表のオッズにしたがって払い戻しが行われる。わかりやすい仕組みだ。

「いやー、昨日は3000ルピーも負けちゃったんだよ」
 アフタブさんはあっけらかんと言う。スリランカ人の平均所得を考えると、3000ルピー(3000円)というのはかなり大きな金額だ。ここにはある程度自由になるお金と暇を持ち合わせた人々が集まっているのだろう。予想のために英字新聞を読みこなす必要もあるわけで、このギャンブルは庶民が気楽に楽しめる娯楽ではなさそうだった。もっとも本当のお金持ちは、コロンボに数軒ある国営カジノ(VIPと外国人しか入れない)に行くらしいのだが。

 競馬が終わると、画面はドッグレースに切り替わった。するとアフタブさんが、
「次のレースの予想をしてくれないか?」と言ってきた。
「そんなの無理ですよ。何も情報がないんだから」
「それでいいんだよ。君の頭に浮かんだ数字を言ってくれればいい。私にもたいした情報があるわけじゃないんだから」
 なるほど。どうせ適当に賭けているんだったら、外国人のビギナーズラックにあやかるのもいいだろうと考えたわけだ。それなら気楽である。
「じゃ、3番」と僕は言った。「負けても責任は持ちませんからね」
「ああ、わかっているさ」

 アフタブさんはすぐにカウンターに行って、3番に150ルピーを賭けた。どうやら事前の人気は高くない「穴犬」らしい。しかしアフタブさん以外にも何人かの男が3番に賭けた。なんか面白そうだと思って乗ってきたのだ。

 しかしレースは惨憺たる結果だった。僕が予想した3番の犬は出だしからつまずいて、一度も先頭集団に加わることなく、後ろから三番目でレースを終えた。結果は1番の独走だった。あーあ。

 アフタブさんをはじめ3番にかけた男たちは、小さくため息をついた。もちろん僕に対して文句を言う人はいなかったが、それでも居心地はなんとなく悪かった。やはりギャンブルというのは自己責任でやるべきなのだ。他人のビギナーズラックなんかに頼っちゃいけない。

「負ける日もあれば、勝つ日もある。でも結局はみんな負ける。儲けるのはブックメーカーだけだ」
 とアフタブさんはクールに言う。おっしゃる通り。至言である。ギャンブルで勝つのは胴元だ。
「それがわかっているのに、どうしてここにいるんですか?」
「いい質問だね」と彼はにやっと笑う。
「夢だよ。もしかしたら大金が手に入るかもしれないっていう夢。それがあるからギャンブルはやめられないんだ」
 ギャンブル好きの人間というのは、世界中どこでも似たようなことを言うようだった。


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