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 漁師というのは、たいていマッチョである。ボートを漕いだり定置網を引いたりといった上半身の筋肉を酷使する仕事ばかりなので、ボディービルダーのように腕や胸の筋肉がムキムキに発達した男たちが多いのだ。

漁師町にはマッチョな男が多い。

 漁師の町であるプエルト・プリンセサでは、そのようなマッチョな人を数多く見かけたのだが、それ以上に目立っていたのがゲイとレズビアンだった。

 最初に知り合ったレズビアンは16歳のケビンだった。彼女(それとも「彼」と言うべきなのだろうか?)は迷彩柄のだぶっとしたショートパンツを腰で履き、男物の黒いTシャツを着ていた。髪の毛はもちろんショートカットで耳にはピアスを開けていた。ちょっと生意気な男子中学生といった雰囲気だ。それぐらいボーイズスタイルが馴染んでいた。

レズビアンのケビン。一緒にいる友達はゲイとバイセクシャルだ。
「レズビアンだってはっきりわかったのは今から6年前。小学校6年生の時だったかな。ボクはそれまで髪の毛を長く伸ばしていたし、スカートも履いていたんだけど、ずっと違和感があったんだ。レズビアンだと自覚するようになってからは、ずっとこの格好だよ」
 口をすぼめてタバコを吹かせながらケビンは言った。努めて男らしく振る舞おうとしている様子がちょっとかわいらしかった。

 ケビンがレズビアンであるとカミングアウトしても、彼女の家族がそれについてとやかく言うことはなかったという。それはケビンのおじいさんが「うちの孫娘はレズビアンなんだ」と僕に紹介してくれたことからもうかがえた。日本でそんなことを言うおじいさんはほとんどいないだろう。

「それがフィリピンでは当たり前なんだよ。みんな『あるがままに生きるのが一番』って考えているんだ。ボクには7人のきょうだいがいるけど、最近になって一番下の弟もゲイだってカミングアウトしたんだ」
 ケビンによれば、フィリピンにおけるゲイ&レズビアン人口は全体の10%にもなるという。十人に一人が同性愛者。日本人から見ればそれだけでも驚異的な数字だが、僕がこの町を歩いた印象から言えば、10%どころか、その倍はいるように感じた。

中年のゲイも多い。
 実際、僕がケビンと立ち話をしていると、次から次へと同性愛者の友達が集まってきた。ケビンの隣に住むキムはなかなかハンサムな若者なのだが、実はゲイで2年付き合っているボーイフレンドがいると言うし、彼の友達は男性も女性もOKというバイセクシャルだった。
 若者ばかりでなく、中年のゲイやレズビアンも数多く見かけた。短髪だがオネエ言葉を話す中年ゲイのアウアウさんや、長髪で豊胸手術をしているが口元の青いヒゲが目立つアローナさんなどが、次々と僕に話し掛けてくるのだった。
「そうだね。この町に限れば、20%ぐらいはいるかもしれないね」とケビンは頷いた。

 もちろんフィリピンにも同性愛者に対する差別や偏見はある。地方によってはゲイやレズビアンであることをカミングアウトすることすら難しい場合もあるようだ。

 パラワン島に住む人々は、フィリピンの中でもとりわけ同性愛者に対して寛容なようだった。その理由は僕にもわからないのだが、もしかするとこの島がフロンティアであることと関係があるのかもしれない。住民の大半がもともとの地縁を断ち切ってやってきた移民であり、伝統的な価値観が幅をきかせていない新しいコミュニティーだからこそ、個人の性のありかたに対して鷹揚なのではないだろうか。

この人は豊胸手術をしたゲイ
 印象的だったのは、ゲイもレズビアンもバイセクシャルも一般のヘテロセクシャルと同じように自然に振る舞っていることだった。彼らは普通に生活し、仕事を持ち、恋人と連れ立って町を歩いていた。そして自分たちの性生活についてもとてもオープンに話していた。自分がゲイやレズビアンであることに後ろめたさを感じている人は、ほとんどいないように見えた。
「ボクは自分に正直に生きているだけさ」とケビンは言う。「それに反対する人はいない。ここは自由の国なんだよ」

 この町を歩いたことで、僕の性に対する認識は大きく変わった。ケビンたちゲイ&レズビアンが教えてくれたのは「同性愛者も異性愛者と同じようにありふれた存在だ」という事実だった。僕が当たり前だと思い込んでいた性のありようは、「男は男らしく」「女は女らしく」という社会的な「鋳型」によって形作られたものであり、生得的なものではない。「男」と「女」を隔てる境界線は、僕らが思っている以上に曖昧なものなのかもしれない。


彼女もケビンの友人でレズビアンだ。
 プエルト・プリンセサの下町では、誰もが自由に振る舞い、陽気に笑い合っていた。そんな風通しの良さは、ゲイやレズビアンたちによって作られている部分も大きいのだと思う。人と違う嗜好を持っていても、同じ仲間として受け入れる。そのようなおおらかさを持った町で、ケビンはのびのびと暮らしていた。

「……でも、いつかはボクも子供を産みたいと思っているんだ」
 ケビンは別れ際にそう言った。僕がその真意を測りかねて、まじまじと彼女の顔を見つめ返すと、ケビンは笑って付け加えた。
「レズビアンだって妊娠はできるさ。まぁ誰の子供かは問題だけどね」
 彼女がどこまで本気なのかはよくわからなかった。実際に子供を作るレズビアンのカップルもいるというから、突拍子もないアイデアではないのだろう。

 しかし、仮にそれが実現したら、一体どのような家族になるのだろう。
 「母親」が二人? それとも「父親」が二人?
 その新しい家族像をイメージすることは、僕の乏しい想像力では不可能にも思えた。


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