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 「男」という漢字は「田んぼの力」と書く。田畑を耕すのは男の力仕事、という意味なのだろう。
 しかし長くアジアを旅していると、本当に「田んぼの力」になっているのは「女」の方ではないかという気がしてくる。特に東南アジアでは、田植えも稲刈りもほとんどの場合女性が行っているのである。

 もちろん農作業は男もする。しかし男が担当するのは水牛を引いて田んぼを耕したり、スコップで棚田の畦(あぜ)作りをしたりといった作業で、腰を曲げて田んぼに苗を植えるような根気のいる仕事は女に任されているのである。

 その理由のひとつは「男は飽きっぽく、女は辛抱強い」という性格的な違いにあると言われている。男に向いているのは機械や動物を操ったり、一度に大きな力を出したりするような場面であり、繰り返しを必要とする手作業は女の方が向いているというわけだ。

 それから「女の方が泥の中で動きやすい」ということもある。実際に田んぼの中を歩いてみるとわかるのだが、身長の高い男性よりも、小柄で重心が低い女性の方が泥に足を取られることが少なく、身軽に動き回ることができるのである。


 しかしフィリピンでは事情が違っていた。田植えや稲刈りの中心となっていたのは男だったのだ。そもそも田んぼで女性の姿を見ること自体少なかった。
 女たちは一体どこで何をしているのか?
 この疑問に答えてくれたのは、カリンガ州のタブックで田植えをしていたライアンさんだった。

「この国では女が外に出て働くんだ。外国に渡って、メイドとかエンターテイナーになる。うちの娘もそうだった。ダンサーとして日本で働いていたんだ。そして日本人と結婚した。今でも日本で暮らしているよ」

 ライアンさんの娘は「エンターテイナー」として興行ビザを取得して日本に入国した。日本に出稼ぎにやってくるフィリピン女性の大半はこの「エンターテイナー」だ。歌やダンスのレッスンを受け、芸能人として日本に渡るのだが、実際に歌手やダンサーとしてショーに出演する人は少なくて、フィリピンパブのホステスになったり風俗店に流れたりする人の方が多い。

「俺には6人の子供がいる。息子には農家を継がせている。だから田植えは男がする。娘たちには外国でしっかり稼いで欲しい。長女は日本で結婚したし、次女はアメリカで看護婦をしている。昔はメイドやベビーシッターになる人が多かったけど、今はナースが多いね。メイドの需要が減っているんだ。どの家にも洗濯機や掃除機があるし、家事は機械に任せればいいからね」



 フィリピン人と話をすると、こうした出稼ぎの話が必ず出てくる。食堂の主人の息子が京都にあるマクセルの工場で働いていたり、バイク修理屋の娘が千葉でホステスをしていたりする。もちろん出稼ぎ先は日本だけでなく、台湾、香港、ドバイ、サウジアラビア、アメリカなど世界中に広がっている。外国とまったく縁がない家族の方が珍しいぐらいだ。それは農村でも変わらない。むしろ子供の数が多い農村の方が、出稼ぎをより現実的な選択肢として考えているようだ。たくさんの子供を持ち、その子供たちに教育を授け、そのうちの何人かが海外へ出て稼ぎ、送金で親の暮らしを助けてくれる。それがフィリピン人の描く理想的なライフプランのひとつなのである。

 女性の出稼ぎで家計を支える。フィリピン政府ではそれを国策として推し進めてきた。フィリピン人の出稼ぎ労働者は他のアジアの国々で見られるような不法就労中心ではなく、フィリピン政府が相手国の政府と交渉し、就労ビザ取得を前提とした専門職に就かせているのだ。

 このような国家の後押しもあって、いまでは海外に居住しているフィリピン人は人口のおよそ10%にあたる700万人を超えるという。海外に在留している日本人が110万人あまりであることと比較すると、これがいかにべらぼうな数であるかがよくわかる。そしてフィリピンの出稼ぎ労働者のうちの実に7割が女性なのだ。なるほど、田んぼに女がいないはずである。

 ライアンさんが言ったように、今フィリピンでもっとも人気の高い職業は看護師および介護士である。日本をはじめとする先進国は少子化と高齢化が同時に進み、医療福祉関係で働く人の需要は今後も増え続けると予想されている。つまり看護婦はどんな国でも食いっぱぐれない職業なのだ。明るくて芯が強いフィリピン女性は性格的にも看護婦に向いているのだろう。

 実際、フィリピンの町には看護師を養成する専門学校が多く、ナース服姿の若い女性を見かけることも多かった。一度、漁村の小学校で「将来は何になりたい?」と訊ねたことがあったのだが、そのときも女の子の多くは「ナース」と答えたのだった。


 最近になってようやく日本政府もフィリピン人の看護師や介護士を国内の病院に受け入れる決定を下したのだが、言葉の壁や資格の壁が高くて、まだ本格的に門戸を開いたとは言えない状況が続いている。それでも、看護や介護を必要とする人は今後もどんどん増え続けるし、それを担う人材を国内でまかないきれないのは明らかだから、遅かれ早かれフィリピン人をはじめとする外国人看護師を幅広く受け入れることになるだろう。

 もしそうなった場合、多くの日本人が戸惑いや違和感を感じることになるのは間違いない。これまで外国人と日常的に接する機会が乏しかった人々が、否応なしに外国人と向き合わされることになるからだ。コミュニケーションの齟齬も起こるだろうし、一人一人の心にある外国人への差別意識が露わにもなるかもしれない。

 でも心配はいらない。しばらく時間が経てば「隣で働く外国人」にも慣れてくるはずだ。僕はそう楽観的に考えている。フィリピン人だってインドネシア人だって同じ人間。同じことで笑い、同じことで泣き、喜びや悲しみを分かち合える人たちなのだ。そんな当たり前のことに気付くのは、さほど難しいことではない。


 フィリピンは女が支えている国。それがいくつかの島を旅する中で僕が得た実感だった。
 フィリピンで出会った女性たちは実にたくましく、芯が強く、積極的だった。そのうえ語学力があり、話題も豊富だった。男が頼りないから女が強くなったのか、それとも女が強いから男が頼りなくなったのかは、「卵が先か、鶏が先か」みたいな話ではっきりとはしないが、とにかくフィリピンの女は強い。

 これからもフィリピンの女たちは海外へ進出していくことだろう。
 準備はできているし、モチベーションも高い。
 働き者で適応力の高い彼女たちなら、どんな国に行っても生きていけるに違いない。



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