写真家 三井昌志「たびそら」 アジア旅行記 フォトギャラリー 通信販売 写真家・三井昌志プロフィール ブログ

  たびそら > 旅行記 > インド編(2012)


 カルナータカ州中部のハヴェリ県では、一頭の牛が5人の男たちによって力ずくで地面に押さえつけられている場面に出くわした。



 最初は牛が出産しているのかと思った。男たちが牛の下腹部から何かを引っぱり出しているように見えたからだ。でも近づいてよく見てみると、出産とは正反対のことだとわかった。彼らは雄牛を去勢していたのである。

 男たちは牛の陰嚢を引っ張り出し、その根本に鉄の棒を押し当ててから、ハンマーのようなものでゴツゴツと叩いていた。こうやって睾丸と陰茎とを結んでいる精管を切断しているのだ。



 雄牛の去勢は、文字通り「勢いをとり去る」ために行われる。去勢していないオスは気性が荒く、人の命令に反抗することも多いので、使役用におとなしくさせるためには、去勢処置が不可欠なのだ。

 それにしても実に荒っぽいやり方である。牛は何かを訴えるように目をむき、ハァハァと荒い息を吐き出しながら、四本の足をバタバタと動かしている。もちろん麻酔などしていないから、さぞかし痛いことだろう。もし自分がこんな目に遭ったら、と想像しただけで下半身が縮み上がってしまった。



 去勢手術は5分ほどで完了した。事が終わった後には、ターメリックとヨーグルトを混ぜた消毒薬を傷口に塗る。こうすれば傷の治りが早いのだという。

「気が立って危ないから、牛から離れていろよ」
 そう言われたので、牛から少し離れたところでカメラを構えることにした。ようやく束縛から解放され、自力で立ち上がった去勢牛は、地面を何度か蹴り、ブルルっと体を震わせた。怒るのも当然である。ひどい痛みにくわえて、(もしそんなものがあれば、の話だが)男としてのプライドもずたずたに傷つけられたはずだから。



 しかし牛は暴れなかった。立ち上がってしばらくは放心したようにその場に立ちつくしていたが、やがて何ごともなかったかのようにトコトコと歩き出し、広場に生えている雑草を食べ始めたのだった。つい数分前までの悪夢のような出来事なんてさっぱり忘れてしまったかのように。

 切り替えが早いというか、単に鈍感なだけなのか。
 しかしこれぐらいタフでないと、去勢牛として生きていくことなんてできないのだろう。



道路に面した壁だけが破壊された家
 フブリという町の旧市街は、とても奇妙な壊れ方をしていた。表通りに沿って建ち並ぶ家の玄関口だけが、すべて同じように破壊されていたのだ。壊れているのは道路に面した壁だけで、部屋の中はそのまま残されているので、机や椅子やミシンなんかが外から丸見えの状態なのである。女の子が遊ぶドールハウスがずらっと横一列に並んでいるような、実に不思議な光景だった。

 仕立屋を営んでいるビジェイさんに事情を聞くことができた。彼によれば、この一連の破壊は道路の拡張工事のために政府が行ったことだという。古い道路の道幅が狭すぎて交通が滞っていたので、新しく広い道を作ることになったのだが、その計画ラインに引っかかった建物はすべて強制的に取り除かれることになってしまったのだ。

 2週間前にショベルカーがやってきて、ケーキの一部をフォークで掬うみたいに、ビジェイさんの家の壁を玄関から1メートルほどざっくりと削り取っていった。インドの家はほとんどがレンガ作りなので、こうした器用な壊し方ができるのだろう。



壊れた家の中でアイロン屋を営む男もいた。

「政府がやると決めたことに反対なんてできないよ。俺たちは黙って見ているだけだ。これから壊れた壁を新しく作り直して、また元の生活を始めることになる。ずいぶん狭い家になってしまったがね」

 政府からはこの再開発に伴う補償金が支給されたが、家の修理費をまかなえるような額ではないという。ビジェイさんの場合には、この破壊によって仕立屋の仕事も休まざるを得なくなったので、損害はさらに大きくなる。それでも「政府に文句を言ってもしょうがない」と半ば諦めているようだった。



 こうした荒っぽい手法の再開発は、フブリに限ったことではなく、インド各地で行われていた。インドも中国を追いかけるように高度経済成長期に入り、古い町並みを破壊して、より効率的な町づくりを進めようとしているのだ。スクラップ&ビルドの時代はまだ始まったばかりなのである。


メルマガ購読はこちら Email :