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  たびそら > 旅行記 > ミャンマー編(2013)


お坊さんが先生になる


 不備の多いミャンマーの学校教育を補っているのが僧院の存在である。ミャンマーの僧院は、僧侶が仏教に則った生活を送るだけでなく、家が貧しくて十分に教育を受けられない子供たちが無料で高等教育を受けられる「まなびや」として役割も担っているのだ。





 僧院のお坊さんが公立学校の教師を兼ねている例も少なくなかった。ターズィ近郊にあるラインデッ村の小学校も、僧院と学校が一体化していて、7人いる教師は全員が僧侶でもあった。

 サフラン色の僧衣を着たお坊さんが黒板の前で算数や英語を教えている姿は、実にミャンマーらしいユニークなものだった。



 残念なことに、この学校には英語を話せる人が一人もいなかったので、お坊さん先生の詳しい事情を聞くことはできなかった。

 英語がまったく通じないのは、何もこの学校に限ったことではなかった。小学校の先生のほとんどは挨拶程度の英語ですら理解できなかったのだ。不思議なのは、それでも彼らがちゃんと英語の授業を行っているということだった。黒板に書かれた例文は正しく意味の通じるものだし、スペルミスもない。にもかかわらず、それを声に出して読み上げた途端、何を言っているのか全然理解できなくなってしまうのだ。

 発音だけでなく、聞き取りもひどいレベルだった。日本人にも「英語の読み書きはできるけど、会話になると苦手」という人は多いけれど、ミャンマー人の英語はそんなものではない。なにしろ「What's your name?」と訊ねても、「はぁ?」という顔をされてしまうのだ。



 もちろん旅行者が接する人々――ガイド、ホテルの従業員、タクシーの運転手、土産物屋など――の中には英語が話せる人が多い。それはまぁどの国でも同じである。しかしミャンマーでは、それ以外の一般の人々に英語が通じる可能性はかなり低い。限りなくゼロに近いと言ってもいいかもしれない。

 その昔、ミャンマーが英国植民地だった頃は英語教育も盛んで、教師の発音もネイティブに近いものだったそうだ。しかし今では独特のミャンマー訛りが教育現場に浸透し、その結果公立学校で学ぶ英語は「一応は教わるけど、ほとんど役に立たないもの」になり下がってしまったのである。







ムスリムの村にある小学校


 ジピンパウクという村にある小学校は、別の困難に直面していた。

 この村は住民全員がムスリムなので、子供たちは小学校に行く前に「マドラシャー」と呼ばれるイスラム学校に行かなければならないのだ。マドラシャーでコーランの暗唱を1時間ほど繰り返した後、子供たちは公立の小学校に向かう。そして授業が終わるとマドラシャーに戻って、再びコーランを学ぶのだ。

子供たちはマドラシャーでコーランを学ぶ



 それだけを聞くと「ずいぶん勉強熱心な村だな」と感心してしまうのだが、現実はそう甘くはないようだ。
「小学校で使うべきエネルギーがマドラシャーで使い果たされてしまって、大半の生徒は授業についてこられないんです」
 この学校で教鞭を執って6年になるチョーソーウーさんは言う。
「ここはミャンマーでももっともレベルが低い学校のひとつなんですよ。村はとても貧しく、村人は子供たちの教育に熱心ではありません。コーランの暗記だけしていればそれで十分、と考えている人が多いんです」





 カルチャーギャップも問題をややこしくしている。生徒は全員ムスリムだが、先生は全員が外から来た仏教徒なのだ。バックボーンとなる文化が違っているせいで、お互いにコミュニケーションがうまく図れない。先生も生徒のことが理解できていないし、生徒も先生のことがよくわからないのだ。そんな状態では、教科書以上のことを教えることは難しい。

 ミャンマーは国民の大多数が仏教徒だが、インドやバングラデシュから移住してきたムスリムやヒンドゥー教徒も少なくない。山岳地帯には固有の文化を持つ少数民族も数多く住んでいる。「文化摩擦」が教育現場に問題をもたらす例は、この村に限ったことではないはずだ。



この学校のようにビルマ系の子供とインド系のムスリムが一緒に学ぶところも多い。ここでは民族の違いは大きな問題にはなっていない。




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