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  たびそら > 旅行記 > ミャンマー編(2013)


織物の村のメイド・イン・ジャパン


 織物の村には「カシャン、カシャン」という小気味よい音が響いていた。いかにも「ものづくりの村」らしい活気ある雰囲気だった。西陣の町もかつてはこのような賑わいに包まれていたのだろうか。そんなことを考えながら、村の中をゆっくりと歩いた。

 工場の中に一歩足を踏み入れると、「賑やかな音」は「凄まじい騒音」に変わった。高架橋の下で特急列車が通り過ぎるのを待っているときのようなものすごい騒音が、途切れることなく続いているのだ。人と話をするときには耳元に口をつけて大声で話さないと伝わらないないぐらいうるさかった。







 農村の織物工場で働く女工たちと聞いて、かつての「女工哀史」のような過酷な労働環境をイメージするかもしれないが、ここで働く女性たちはわりとのんびり働いていた。確かに騒音は凄まじいのだが、仕事自体はさほど忙しそうではない。織機の自動化もかなり進んでいるようで、糸やパンチカードを交換する以外の暇な時間は、それぞれが自由に使っていた。職場の雰囲気は「ゆるい」と言ってもよかった。



花飾りを身につけた女性
 ある女の子は、空き時間に花飾りを作っていた。摘んできた生花に針で糸を通して作る花飾りは、ミャンマーの女性たちの頭を飾るアクセサリーだ。生花だから、半日もすればしおれてしまう。しかしだからこそ移ろいやすく可憐な美しさがあって、僕はこの花飾りを身に着けている人を見るのが好きだった。

 工場の中で本を読む人も多かった。この凄まじい騒音の中でも平気で本を読めるということに驚いてしまうのだが、なかなかどうして人間の「慣れる力」というのは侮りがたいものなのである。


工場の中で花飾りを作る女工

暇な時間に本を読む

 女工たちが読んでいたのは、近所の貸本屋で借りてきた漫画や小説だった。ミャンマーには安い料金で本を貸してくれる貸本屋がどの町にも必ずひとつはあって、けっこう繁盛しているのである。1冊の本を1日借りるのに100チャットから200チャット(10円から20円)払うというから、娯楽の中でも安い方だと思う。貸本屋の主に聞いてみると、一番人気なのは若い女性に好まれる恋愛小説で、ファッション雑誌やヒーローものの漫画なども売れ筋だということだった。

貸本は安く楽しめる娯楽としてミャンマーに定着している

 東南アジア諸国の中でも、ミャンマー人はもっともよく本を読む国民ではないかと思う。識字率が92%と高く、そのわりに他の娯楽(例えばカラオケや衛星テレビなど)がまだ一般には普及していないからだろう。

 日本や欧米では、
1.まず活字メディアが庶民に浸透し、
2.それからラジオという音声メディアが広まり、
3.続いて映画やテレビなどの映像メディアが普及し、
4.最後にインターネットというパーソナルな情報メディアに至る
 という歴史を辿ってきたわけだが、アジアの貧しい国々の多くは、0から一足飛びに3または4へと移行することになるから、どうしても活字文化がかすんでしまうのだ。

 ミャンマーでも最近町中でレンタルDVD屋を見かけることが多くなり、それに伴って貸本業が衰退しつつあるようだが、なんとかもうひと踏ん張りしてもらいたい。活字文化の中で育ってきた僕は、そんな風にも思うのだった。

派手なポスターが目印のレンタルDVD屋は近年急速に増えている


 織物工場に話を戻そう。
 実はこの工場で使われている織機はすべてメイド・イン・ジャパン、日本製だったのである。どの機械にも「HIRANO SEISAKUSHO」という文字が入っていたのだ。
 ヒラノ製作所?
 まったく耳にしたことのないメーカーだが、気になったので後で調べてみた。



 Wikipediaには、
「平野製作所は1920年に愛知県名古屋市中川区に織物機械のメーカーとして誕生した。1930年代に入るとオート三輪の製造にも着手している。戦後、1953年にスクーターの製造も始め、1960年には日本初の折り畳みスクーター、ヒラノバルモビル50を発売した。1961年には繊維不足により繊維業不況が起こったため資金繰りが悪化し会社は倒産した」
 とあった。つまりこの工場で使われている織機は、少なくとも50年以上前に製造されたものだったのだ。どおりでクラシカルな機械だったわけだ。

 半世紀も前に製造中止になったにも関わらず、未だに現役で使われ続けているヒラノの織機の品質にも驚かされるが、それをしっかりメンテナンスしている地元の職人たちの技術もすごいと思う。

ヒラノの織機を修理する職人たち

特に摩耗の激しい歯車はスペアがたくさん作られていて、適宜交換されている

 50年ものあいだ毎日酷使されてきた機械だから、おそらくフレームとエンブレム以外の部品のほとんどが、すでに日本で作られたものではなくなっているはずだ。確かに外側はメイド・イン・ジャパンのままだが、その中身は現地の職人たちの手で少しずつメイド・イン・ミャンマーの部品と交換されていったのである。まるで人間の細胞が毎日入れ替わるように。

 この機械の中には設計者の魂が宿っている。それは会社が潰れても、設計者自身が亡くなった後も、職人たちの手で大切に守られている。


大きな工場では、糸の染色から、糸車への巻き付け、織り、出来上がった布を縫ってロンジーに仕上げて折りたたむまでを自社で一貫して行うところもあった。

染色する前の糸を洗う男。無口で無愛想だがその仕事ぶりは実にカッコいい。

糸を鮮やかな色に染めてしぼる。力がいる作業だ。





完成したロンジー(巻きスカート)を折りたたむ職人。ちなみにロンジーは一枚2300チャット(230円)で売っているそうだ。


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