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  たびそら > 旅行記 > ミャンマー編(2013)


首都ネピドーへ


 バゴーからタウングーという町を通って、首都ネピドーへ向かった。
 タウングーを過ぎたあたりから、空気の質ががらりと変わった。湿気をたっぷりと含んだ熱帯の風が、からっと乾いた爽やかな風へと入れ替わったのだ。光は透明になり、空は青みを増した。すばらしい光の下で、多くの農作業を写真に収めることができた。

青空の下でトウガラシを収穫する

トンボを使って畑をならす男

トンボを使って畑をならす男

ブリキ製のじょうろを使ってタマネギ畑に水をやる人々

刈り取った稲穂を肩に担いで運ぶ



 首都ネピドーに近づくにつれて、軍人と警官の姿が目立つようになった。他の町とは明らかに様子が違う。ピリピリした緊張感があたりに漂っていた。

 ネピドーはもともと何もない森林地帯に唐突に造られた都市である。遷都にあたっては占いを使ったとか、中国の故事に倣ったといった噂があり、建前としては計画都市だが、実際には合理的な計画に基づいて造られたわけではないともいわれている。そもそも首都機能をわざわざヤンゴンから移す必要があったとは思えない。時の為政者の気まぐれで実行されただけなのではないか。

 ネピドーは道幅が無駄に広い(場所によっては16車線もある!)のが特徴で、そのわりに人影がまばらにしかないので、非常にアンバランスな印象だった。

 僕は首都機能だけの街なんかには全然興味がないので、ネピドーはさっさとパスするつもりだったのだが、警察の検問に引っかかってしまった。テロへの警戒なのか、密輸の防止なのかわからないが、国道を通る車両を片っ端からチェックしていたのだ。

 幸いなことに、警官の態度は高圧的なものではなく、とてもにこやかで紳士的だった。僕が外国人だとわかると、片言の英語で「パスポートを見せてください」と言った。パスポートを手渡すと、警官は僕を検問所の中に招き入れて、お茶を一杯ごちそうしてくれた。

「ここを通る外国人はパスポート番号をチェックすることになっているんです。あなたはミャンマーで働いているんですか?」
「いいえ、旅行者です」
「そうですか。これからどこへ?」
「マンダレーに向かいます」
「気をつけてくださいね。ミャンマーの道路は危険で一杯だ。あなたの国とは違いますから」

 そんなごく普通の会話を交わした後、パスポートが戻ってきた。どうやらチェックは無事に終わったようだ。
 僕がバイクにまたがると、警官は軽く手を上げて挨拶してくれた。
 気をつけてね。ありがとう。

 ほんの2、3年前まではこんな風にすんなりと検問所を抜けることは不可能だった。ミャンマー政府は外国人が立ち入り可能な地域を細かく設定していて、バイクで自由に移動するようなイレギュラーな旅行者を警戒していたからだ。特に中央政府からの分離独立を目指す少数民族が住む山岳地帯にはできるだけ外国人を入れたくないというのが、彼らの本音だった。外国人ジャーナリストがゲリラと接触して、政府に不利な情報を流されては困るからだ。

 今回の拍子抜けするほどあっさりとした検問の様子は、ミャンマーという国の変化を証明するものだった。外国人をなるべく排除し、国民の行動に目を光らせ、規制を強化して国家体制を維持するのではなく、国を開いて外国からの投資を呼び込んだ方がいい結果を生む。そのような認識のもと、政策の方針転換が行われたのだ。

 「外国人に優しく接しなさい」というお達しが政府から出されているのかはわからないが、空港の入国係官の態度も驚くほど丁寧だった。僕のパスポートを見るなり「おはよございます!」と日本語で挨拶してくれたのだ。英語、フランス語、タイ語や中国語などの挨拶もひと通り覚えているようだった。

 こんな心遣いができるイミグレーションは世界でも珍しい。どの国でも入国係官というのはぶすっとふてくされて座っていて、パスポートもぽいと投げてよこすのが普通なのだ。玄関が変われば、その国の印象も変わる。他の国のイミグレーションにもぜひ見習って欲しいものだ。



日本刀はいかが?

 ネピドーから90キロほど北上したところにあるヤメテインの近郊に、刃物を並べた露天があった。他の地域では見たことがない刀専門の露天商が20以上も軒を連ねていたのである。並べられていたのは農作業で使うクワやナタだけでなかった。なぜか日本刀も売られていたのだ。

 僕が物珍しそうに刀を眺めていると、商店主の男が話しかけてきた。
「これはジャパン・ケンシの刀だ」
 確かに少し後ろに反り返ったフォルムは日本刀のものである。どうやら「第二次世界大戦当時に日本軍が使っていた古い刀を売っている」という触れ込みらしい。



 しかし男の言葉をそのまま信じるわけにはいかなかった。60年以上前の刀にしては新しすぎるし、作りも粗雑だったからだ。「なんでも鑑定団」の鑑定士なら即座に「いい仕事してませんねー」と言うだろう。おそらく日本刀をまねて地元の鍛冶屋がこしらえたものか、中国から輸入されたコピー品ではないか。

 この日本刀の言い値は3万チャット(3000円)。ミャンマーの物価を考えればかなり高いが、果たして買う人などいるのだろうか。というか一体誰が日本刀なんて買うのだろうか。僕には見当もつかなかった。



美しいバラにはトゲがある

 ターズィ周辺の村にも働き者の女たちがたくさんいた。
 舗装用の砂利を作る採石場は、ひどい騒音とすさまじい埃をまき散らす過酷な職場だったが、ここでも若い女たちが進んで力仕事を引き受けていた。

採石場は過酷な労働現場だ





 採石場で働く女たちの中に、素晴らしい笑顔の持ち主がいた。まだ二十歳前だろうか。白い歯を思いっきり見せて笑ってくれた。

 僕は彼女と言葉を交わしたわけではない。そもそもこの轟音の中では言葉なんてまったく聞こえないのだ。僕はまたまたそばを通りかかって、カメラを向けただけだった。それなのに彼女は混じりっけなしの100%の笑顔を向けてくれたのである。

 不思議な気持ちだった。シャッターを切ったあとも、彼女の中の何かに触れたという感触が僕の手の中にしっかりと残っていた。


 稲刈りをする女たちを撮ろうと田んぼに近づいたときには、ひどく痛い思いをした。

 バイクを道ばたに止めて田んぼに降りようと歩き始めた途端、左足の裏に激痛が走ったのだ。
 痛っ。
 どうやらトゲを踏んづけてしまったらしい。

 乾燥地帯の灌木のトゲは想像以上に危険である。植物とは思えないほど硬く、ゴム製のサンダルなんか簡単に貫通してしまうのだ。バイクのタイヤを貫通してパンクさせることすらある。

 鋭く尖ったトゲは、かかとの真ん中あたりにぐさりと突き刺さっていた。子供の頃に画鋲を踏んだ経験をお持ちの方は、どの程度の痛みかわかるだろう。

 涙が滲んでくるほどの痛みだったが、いつまでも痛がっているわけにはいかなかった。なにしろすぐ目の前には、僕がずっと求め続けていた稲刈りの現場が待っているのだから。

 僕は足を引きずるようにして田んぼに降り、女の子たちにカメラを向けた。僕の身に起きたアクシデントのことなどまったく知らない彼女たちは、期待通りの笑顔を向けてくれた。





 「美しいバラにはトゲがある」って話はどうやら本当のようだ。
 鋭く尖ったトゲの痛みを恐れていては、本当に美しいものは手に入らないのだ・・・・・・たぶん。


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