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  たびそら > 旅行記 > インド編(2015)


インドのスマホ事情


 インドを旅する旅行者が、現地でSIMカードを買ってスマホを使おうとすると、かなり面倒な手続きが必要になる。SIMカード自体は160ルピー(320円)という激安価格で売られているし、2012年にインドを旅したときには簡単に買えたのだが、2014年から手続きが厳格化されたのだ。「外国からインドに潜入したテロリスト対策」という名目での規制強化だが、例によって抜け道だらけのザル法なので、テロ防止効果には疑問符がつく。結局のところ、「まっとうにインドを楽しみたいツーリストだけが損をする」という状況になっているのだ。

スマホで記念撮影はインドでも当たり前の光景だ



 2015年現在、外国人がSIMを購入するときには、パスポートとビザのコピーをキャリア会社に提出し、身元を保証してくれるインド人の知人の住所と電話番号を書くことになっている。そしてSIMを購入した翌日に携帯キャリア会社に電話をかけ、インド人の知人の住所を伝えてから、SIMのアクティベーションを行う。実際にSIMが動作するまでに3日もかかり、その3日間はSIMを買った町から移動してはいけないという。とにかくややこしいシステムなのである。


中国製の携帯電話は550ルピー(1100円)から。ウソみたいに安い。
 そのような煩雑な手続きを避けるために、僕は宿のマネージャーに頼んで、インド人にアクティベーション済みのSIMを購入してもらった。この裏技を使えばすぐにスマホを使えるようになる(もちろんスマホのSIMロックが解除されていることが大前提だが)。インドで売られているSIMは旧型なので、これをiPhone6で使うためには「nanoSIM」の大きさにカッターで切ってもらう必要があるが、これは店側がやってくれるので特に問題はなかった。

 めでたくSIMの購入とアクティベーションが済んでも、これで万事OKというわけではない。インドでは一般にプリペイドSIM(あらかじめ支払った金額分だけ通話やデーター通信が使える仕組み)が普及しているのだが、予めチャージしておいた分を使い切ってしまった後のリチャージは「SIMを買ったところと同じ州」で行わなければいけないという決まりがあるのだ。(スマホではない通話専用の携帯ならリチャージはどこでもできるようだ)

 つまりオリッサ州で購入したSIMを他の州で使い続けるためには、わざわざオリッサ州に戻ってチャージしなければいけないということだ。なぜこんな意味不明な規制があるのかはわからない。もちろんほとんどのインド人は頻繁に違う州を行き来しないから、これでもいいのかもしれないが、常に移動している外国人旅行者にはとても迷惑な規制なのだ。ここでも僕は裏技を使った。SIMを購入したオリッサ州の宿の人と連絡を取って、代理でリチャージしてもらうことにしたのだ。

 「厳格な規則」と「抜け道だらけの運用」というのは、SIM問題に限らずインドのいたるところで見られる現象だ。官僚はやたらと厳しい規則を作りたがるが、実際の運用はいい加減なので、あっちこっちに「裏技」が存在する。裏技の代表例が公務員に渡す「賄賂」だ。そんなわけなので、いつまで経ってもインドでは汚職が減らないのである。

子供も携帯電話を持つようになった

路上のジャンク屋に並べられていた中古の携帯電話。汚れてはいるが、どれもまだ使えるものだ。

携帯の普及によってすっかり見かけなくなった公衆電話



iPhoneは人が羨むアクセサリー


 インドのスマホ市場で圧倒的なシェアを誇っているのはサムスンだ。それに追随するのはインド製、もしくは中国製の格安スマホ。アップルのシェアはとても低く、街中でiPhoneを見かけることはほとんどない。「iPhoneはいいものだが高すぎる」というのがインド人の一般的なイメージなのだ。

サムスンのスマホで僕を撮る男たち。まるで映画スターのような扱いだ。

「iPhoneはステイタスシンボルさ」
 と断言したのは、インドでは珍しいiPhoneユーザーである靴屋の店主だった。彼はiPhone5sを5万ルピー(10万円)で買ったという。インドで売られているスマホの多くは5000から1万ルピー程度だから、iPhoneがずば抜けて高価なのがわかる。

自慢のiPhone5sを見せてくれた靴屋の店主

iPhone6の看板を出している携帯ショップがあったが、店で聞いてみると在庫はないので取り寄せになるという。日本で買うより2,3割高い値段だった。

「誰も持っていないから、俺はiPhoneを買った。使い方はよくわからないけどね」
 実際のところ、彼はiPhoneを使いこなせてはいなかった。TouchID(指紋認証)のことも、ビデオのスローモーション撮影のこともまったく知らなかった。「新しいiPhone6はプロジェクターになるんだろう?」という出所不明のガセネタを信じてもいた。それでも彼はiPhoneに満足していた。「人が持っていないモノを俺だけは持っている」という特別感が何よりも大切なようだった。

ロンドンに住んでいる親戚から譲ってもらったというiPhone4sを向けて写真を撮る男。

 iPhoneユーザーが過半数を占める日本のスマホ市場は世界的に見ても異常だが、iPhoneユーザーが1%にも満たないインドの状況もまた特殊である。今のところインドにおけるiPhoneは「人が羨むアクセサリー」の域を出ていない。ダイヤの指輪のように輝きを放ってはいるが、大して役には立たないよね、という立場なのだ。



No Trouble No Life


 わざわざ強調するまでもないことだけど、スマホは旅を快適にしてくれる道具だ。僕は旅先でホテルの予約をしないので、新しい町に到着するとまず宿を探すために町のあちこちをバイクで走り回っているのだが、グーグルマップに「Hotel」や「Lodge」と入力すると宿が集中しているエリアが一発でわかるので、宿探しが劇的に楽になった。天気予報がリアルタイムでわかれば旅の計画も立てやすくなるし、GPSロガーを使って一眼レフカメラで撮った写真の場所を記録できるようになったのも画期的だった。

 インドでもグーグルマップの情報量と精度は驚異的だった。たとえばこれはタミルナドゥ州の片田舎を走っていたときに撮った写真なのだが、このような轍に近い未舗装の道であっても、グーグルマップ上に誤差なく表示されていたのだ。これには本当に驚かされた。

こんな細い道でもグーグルマップにはしっかりと記載されている

 細く曲がりくねった田舎道を躊躇なく進めたのは、グーグルマップでこの道の先が国道に繋がっていると知っていたからだった。旧市街の路地裏をずんずん歩いて行けたのは、GPSで自分の位置を正確に掴んでいたからだった。スマホのお陰で旅先で道に迷うことがなくなり、自分が行きたい場所に確実にたどり着けるようになった。

 今や世界中のありとあらゆる街やありとあらゆる辺境がマッピングされ、その情報はクラウド上に蓄積・共有され、それをスマートフォンで確認しながら旅を進めることができる。10年前には考えられなかった世界が現実のものになっている。


携帯ショップの店先で、食い入るように動画を見つめるムスリムの子供たち。現代的な光景だが、懐かさを感じる場面でもある。


 スマホがまだなかった頃、僕が頼りにしていたのは不確かなロードマップとコンパスだけだった。地図には間違いが多かったし、自分がどこにいるのか知る術もなかった。町の規模も地形もわからなかった。そんな「半分目隠しされた状態」で旅することは確かに怖かったけど、胸躍る経験でもあった。未知なるものへの恐怖が、自分の奥底に眠る好奇心を強く刺激していたからだ。

 情報の不足分は、想像力と好奇心とそして周りの人に助けてもらうことで補えた。本当に困っているときは、必ず誰かが助けてくれた。だから道に迷うことをそれほど恐れてはいなかった。

 確かにスマホの普及によって得たものは多いが、失ったものも少なくないと思う。正確な情報が簡単に手に入ることによって、道に迷う場面は少なくなり、時間を効率的に使えるようになったけど、それが地元の人たちとの「思いがけない出会い」を減らしているような気がするのだ。

 旅人は五感をフルに使って前に進む。その土地に吹く風を受け、降り注ぐ光の強さを感じ、漂うにおいを嗅ぎながら。スマホはその手助けをしてくれるに過ぎない。旅の主体となるのは、あくまでも自分自身の感覚なのだ。

 感覚を研ぎ澄ませ、未知なるものへの好奇心をみなぎらせて、前に進もう。
 そこからすべてが始まるのだから。



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