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  たびそら > 旅行記 > インド編(2015)


大きめの国家


 インドでもっとも人口が多い州がウッタルプラデシュ州である。その数、なんと2億人。日本と韓国と台湾の人口を足したのと同じ規模の人が、ひとつの州に住んでいるわけだ。もはや「大きめの国家」というスケール感である。当然のことながら町の規模も非常に大きく、人口密度も高いので、商店街や市場は活気に満ちあふれていた。現代インドのエネルギーと混沌を感じるのに最適な地域だった。





 そんなウッタルプラデシュ州の旧市街には、ものづくりにいそしむ職人たちの姿があった。金属加工や木工細工やお菓子作りなどなど。「はたらきもの」が大好きな僕にとって天国のような場所だったのである。


鍋を作る職人。鍋の底となる部分を石炭で熱し、ハンマーで叩いて形を作る。




 暗くて狭い路地裏を歩いていると、街の人々は気軽に声を掛けてくる。ただでチャイをご馳走してくれたり、作りたてのスイーツを分けてくれたり、焼いたばかりのケバブを持たせてくれたりした。旧市街の親密圏に異邦人が侵入すると、そこにケミストリーが起きる。だから街歩きは楽しいのだ。

 僕が日本人だと知ると「ラブ・イン・トーキョー!」と言う人がいた。「Love in Tokyo」というは1966年に制作されたインド映画で、当時としては(今もだろうけど)異例の日本ロケを行って大ヒットしたという。日本という国の情報がまだ乏しかった頃、インドの人々に強い印象を残した作品だったようだ。それにしても半世紀近く前の映画を、今も話題にしているのはすごいと思う。








木工の街・サハランプール

 ウッタルプラデシュ州西部にあるサハランプールは、木工が盛んな街だった。旧市街には木工職人の小さな工房が何十軒も並んでいたのだ。この街では精緻な彫刻を施した家具をはじめとして、お皿やボウルなどの食器や、イスラムの聖典コーランを置くための台、子供のためのオモチャなど、様々なものを作っていた。
「サハランプールは世界的に有名なウッドクラフトの街なんだ」
 と街の人は胸を張る。世界的に有名かはわからないが、インドではかなり名の知れた存在のようだ。


精緻な彫刻を施した椅子だが、値段はさほど高くはない。二人がけで8000ルピー(1万6000円)だそうだ。

木のお皿を作る木工職人

若い職人が木くずにまみれながら作っているのは、イスラム教の聖典コーランを置くための台。ムスリムにとって大切な道具だ。

ティッシュボックスを作る職人

大型の電動ノコギリを使って木を切る製材所の男。椅子や机などの家具作りの材料になる。

裸電球がひとつだけ灯る薄暗い工場で、木片を削る職人。幼い頃から身につけた技術をさらに磨いて、自らの工房を構えるのが夢だ。


 木工職人のほぼ全員がムスリムなのも、この街の特徴だった。ヒンドゥー教徒の住人ももちろんいるのだが、別の地区に住んでいるのだ。インドの街はだいたいどこもそうなのだが、ヒンドゥー教徒とムスリムは混ざり合うことなく、地区ごとに分かれて暮らしている。「ここからはムスリム」「ここからはヒンドゥー」という暗黙の境界線があるのだ。これは規則で定めたものではなく、時間が経つと自然と分かれてしまうらしい。「隣人は同じ宗教の人の方がいい」という心情が素直に表れた結果なのだろう。

 職人たちのほとんどがムスリムなのは、彼らが貧しいからだ。もともとカーストが低く、経済的にも恵まれていない人々がヒンドゥー教からムスリムに改宗したという経緯があって、彼らの多くが職人を目指したのである。農業をするには土地がいるし、商売を始めるのには資本がいる。そのどちらも持たない貧しい人々が生きていくためには、手に職を付ける必要があったのだ。













 木工職人たちはその多くが20代から30代だったが、中には10代の若者やまだ小学生ぐらいの子供たちも混じっていた。小学校を卒業するかしないかぐらいの年で、家業の手伝いを始めたようだ。

 ウッタルプラデシュ州には働く子供が多かった。ホテルや食堂には必ず子供のボーイがいて、どちらかと言えばぶっきらぼうに働いていた。おそらく食い扶持を減らすために奉公に出されたのだろう。雇い主からは小遣い程度の給料しか与えていないが、それでも寝床と食事には不自由しないという暮らしを送っている。彼らは「仕方なく働かされている」という意識なので、その勤務態度は褒められたものではなかった。


スイーツ屋で店番をする少年

電気修理屋でモーターを直していた少年。手つきは大人顔負けだ。


 木工の街で働く子供たちには、ホテルのボーイたちとは違って、目の輝きがあった。彼らには「少しでも早く木工の技術を身につけ、職人として独り立ちしたい」という意気込みがあった。木くずにまみれながら働く姿からは、ものを作ることの喜びが伝わってきた。







 インドの児童労働は以前から問題視されている。最近は国際機関の監視の目が厳しくなったこともあって、あからさまな奴隷労働は少なくなっているが、本来なら学校へ行くべき年齢の子供たちが安い労働力としてこき使われているという現実は、早急に正されなければいけない。

 しかし職人の街で働く子供たちは、児童労働の問題とは切り離して考えるべきだと思う。昔ながらの徒弟制度のもと、若いうちに仕事のを覚えて一人前の職人を目指すという生き方は、「子供はみんな学校に行くものだ」という先進国で当たり前とされる価値観に反しているからといって、頭ごなしに否定されるべきものではないからだ。彼らは彼らなりのやり方で、今を懸命に生きている。「働かされる」のではなく「働いている」。ここを自分の居場所だと信じて、努力しているのだ。










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