フンザの春
桃源郷と呼ばれるフンザ村の春は、その名に相応しい美しさだった。村中に植えられた数百本ものアンズが一斉に花を咲かせるのだ。
人々は穏やかな午後の日差しを慈しむように、道端でお茶を飲みながら世間話に興じていた。
「冬になると、フンザの人々は何をしているんですか?」と僕は老人に訊ねた。
「長い冬」と言ってから、彼はその長さを確かめるように一呼吸置いた。「冬になると、このあたりは深い雪に覆われてしまう。女は家の中に閉じこもって編物をして過ごす。男たちは時々、野生の山羊を狩りに、銃を持って山に登る」
老人は村を囲む切り立った斜面を指差した。草もろくに生えていないような荒々しい崖で、冬の山羊は何をしているんだろう。
「とにかく長く厳しい冬なのさ。だから春が待ち遠しいんだ。今が一番いい季節だよ」
しかし、穏やかな午後の日差しは長続きしなかった。雲ひとつなかった空が鉛色に変わり、谷を吹き抜ける冷たい風がアンズの花弁を散らした。
「山の天気は変わりやすい」
老人は空を見上げて言った。風に散ったアンズの花弁が、老人の肩にも落ちた。
「明日になれば、また晴れるでしょうか?」
「山の天気は誰にもわからん。God knows」
神のみぞ知る。そんな粋な台詞を残して、老人は家へ帰っていった。この村の時間の流れそのもののように、ゆっくりとした歩みだった。