スリランカ南部の沿岸を反時計回りにぐるりと周り、ヤーラ国立公園のそばにあるキリンダという漁村まで行ってから、内陸のティッサマハーラーマという町を訪れた。沿岸部から十キロ近く離れたこの町には、津波とは全く縁のない淡々とした日常があった。

下校途中の小学生。田んぼの向こうに白い仏塔が見える。

 僕は宿で自転車を借りて、ティッサマハーラーマの周囲を走ってみることにした。蓮の花が水面に浮かぶ広い貯水池があり、青々とした伸び盛りの稲の植わった水田が広がり、白いドーム型の仏塔を持つ大きな寺院があった。純白の制服姿の小学生達が笑い合いながら下校していた。小川では若い男達が水浴びをしていた。ツナミエリアを歩き回った後に、このような静かでのんびりとした光景の中にいると、昨日までとは全く違う国に来てしまったのではないかという気さえした。

 夕暮れ時にヤータラ・ダーガバというお寺のそばを通りかかると、子供達が小さな皿を油で満たした灯明に蝋燭で火を灯している姿に出会った。仏塔の前には大きく枝を広げた菩提樹があり、灯明はその周りを取り囲むようにして並べられていた。

「今日はツナミから一ヶ月だからね」
 と英語を話すおじさんが教えてくれた。今日、一月二十六日は、津波被害から一ヶ月を記念する供養が行われるのだという。一ヶ月供養は、ここだけではなくスリランカ全土の寺院で一斉に行われることになっているらしい。
「あんたも手伝うかい?」とおじさんに言われたので、僕も子供達に混じって灯明をつけて回るのを手伝った。風が強い上に灯明の数は何百個もあるから、全部つけ終わるのに三十分以上もかかった。


 全ての灯明がついた後に、一人の僧侶がやってきた。お付きの人に傘を差し掛けられている。日が暮れているので日差しはないし、雨も降っていないのだが、それでも僧侶には傘を差し掛けるというのが決まりなのだろう。彼は用意された飾り付きの椅子に座り、マイクを通して集まった一同に説法を始めた。シンハラ語で行われる説法はもちろん僕には全くわからなかったが、「ツナミ」という言葉が何度か出てくるたびに、集まった人々の表情が硬くなるのはわかった。

 説法が終わると、集まった全員で読経が行われた。お経のリズムやひとつひとつの言葉の耳障りは、日本の般若心経にどことなく似ているように感じた。スリランカは南伝の上座部仏教の本家であり、日本に伝わる大乗仏教とは大昔に分かれているのだが、やはり源は同じだということなのだろう。

 人々は菩提樹を取り囲むように輪になって座り、両手を合わせてお経を合唱した。その横顔は灯明の揺らめきによって、とても幻想的に見えた。ふと夜空を見上げると、菩提樹の枝の向こうにオリオン座が輝いていた。そうだ、今は冬なんだなぁと僕は思った。南国スリランカに来て以来、季節のことなんてすっかり忘れていたのだ。


 手を合わせて祈る人々の横顔を眺めながら、僕はゴールの町で目にした不思議な光景を思い出していた。瓦礫の山と化した家々のそばに、ヒンドゥー教の神様の彫像が全くの無傷で立っていたのである。津波の後に修復されたのかとも思ったが、そうではないらしい。

「これは奇跡ですよ」
 シャベルを手にして瓦礫の後片付けをしていた若者が、手を休めて説明してくれた。
「像を囲んでいた壁はボロボロに崩れているのに、この像には傷ひとつ付かなかったんですからね。しかも崩れた壁と像との間には、指一本入らないほどの隙間しかない。まさに奇跡ですよ」
 彼は何度も「イッツァ・ミラクル」と言った。確かに像が何かの力で守られていたのだと言われれば、そう信じたくなるような光景ではあった。

神仏の力が破壊から救ったのだろうか。

 このような仏像や神像にまつわる小さな奇跡の物語はここだけにとどまらず、あちこちで耳にした。「最初の津波が来たとき、ちょうど神棚にまつられている仏像の足元で、ぴったりと増水が止まったんだ」とか、「津波後に壊れた家財道具を整理していると、衣服に包まれて無傷の仏像が出てきた」といった話である。
 あるおばあさんは、「津波が起こった九時三十分は、いつもならまだ寝ている時間なのよ。でも、その日は仏教徒にとって大切な満月の日だったから、お経を読んでいたの。だから津波に気付くことができたのよ」と言った。人々はそれぞれの身に起きた奇跡の物語を信じ、そこにある種の救いを求めているようだった。


 読経と説法は長い間続いていた。もう一時間は続いているだろうか。僕の前にいる母親がむずがり始めた赤ん坊をあやしている。子供達はそろそろ飽きてきたのか、隣の子にちょっかいを出したりしている。それでも大半の人達は、両手をしっかりと顔の前で合わせたまま、僧侶の後についてお経を唱えている。

 僕は目を閉じて、今までに通ってきたツナミエリアの惨状をひとつひとつ思い出していった。カルタラ、ヒッカドゥワ、ゴール、ウェリガマ、ハンバントタ、キリンダ。これら破壊された町を歩いているときに、僕の頭に何度も浮かんだのが「Life goes on」というフレーズだった。悲しみ、嘆き、怒り。そういうものを乗り越えて、やはり人は生き続けなければいけない。朝が来て、夜が来て、また朝が来る。津波のあとも日常は続いていくのだ。

 そしてやはり祈った。僕は仏教徒ではないけれど、せめて何かに向かって祈る気持ちだけは、この場にいる人々(そして同じように祈っているだろうスリランカ全土の人々)と共有したかったのだ。
 津波の起こった日は満月だった。そして津波からちょうど一ヶ月後に僕らを照らし始めたのも、ほぼ満月に近い明るい月だった。


メルマガで「たびそら」を読もう→ Email :