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  たびそら > 旅行記 > インド編


 過激さで言えば、タミル・ナドゥ州のティルシェンドゥールで行われていた祭りも相当なものだった。
 それは南インドの収穫祭「ポンガル」の前日に行われていた祭りで、ヒンドゥー教の神様である「ムルガン」を信仰する人々が各地から集結し、列をなして寺院の本堂のまわりをぐるぐる回るというものだった。


 まず目を引くのは、行列の先頭にいる男である。彼は地面に寝転がって、体を丸太のようにゴロゴロと回転させながら進んでいく。スピードは速い。坂道を転がる酒樽ような勢いだ。一種のトランス状態になっているらしく、目を閉じたまま一直線に転がっていく。この男の後ろには、彼の体に白い粉を振りかける役目の男が控えている。この粉は擦り傷を防止するためのものだそうだ(が、僕の目には天ぷらの下ごしらえをしているように映った)。

 この「転がり男」も痛そうだったが、それよりもさらに上を行くのが列の最後を歩いている「串刺し男」だった。彼は直径が1センチ近くもある太い鉄の棒を頬にずぶっと突き刺した状態で歩いていたのだ。これは見るからに痛い。「矢ガモ」ならぬ「矢男」である。よく失神しないものだと思う。パキスタンで見た「アーシュラー」も過激この上ない祭りだったが、それに匹敵する痛さであった。



 この過激きわまりない行列は、長い回廊をゆっくりと一周すると、本堂の前で輪になって踊る。緑色の腰布だけを身につけた男たちが、燃え上がる火柱のまわりを激しく踊りながら回るのである。仲間が踊りをおどるあいだ、「転がり男」は寝そべったままじっと目を閉じていた。「串刺し男」の方は顔を斜め上にあげ、苦しそうな表情のままで待機していた。
 踊りが終わると、一行は本堂の中へと消えた。そこでムルガン神に捧げる儀式が行われるとのことだが、異教徒の立ち入りは禁じられているので、その儀式がどういうものであるのかはわからなかった。


「この祭りには一体どんな意味があるんですか?」
 僕は寺院で知り合ったクマルという名前の若者に訊ねてみた。彼もムルガン神を信仰する一人で、遠くの村からバスで4時間もかけてこの寺院にやってきたという。
「祭りの意味ですか?」
 彼は困ったように顔をしかめて、しばらく考え込んだ。
「さぁ・・・わかりません。意味なんてないんじゃないですか」
 そんな答えが返ってくるんじゃないかという予感はあった。祭りに意味なんてないと言われたのは、これが初めてではなかったからだ。

 もともと何らかの意味はあったのだが、年月を経るにしたがって忘れ去られていったのか。それとも最初から意味なんてなかったのか。そのあたりのことはよくわからない。いずれしても、信徒にとって大切なのは祭りの意味を問うことなどではなく、昔から受け継がれてきた儀式に参加し、それを次の世代へと伝えていくことなのだろう。

 「アイヤッパの火渡り」や「蛍光灯割り」にも見られたように、インドの祭りには「自分の体を痛めつけて、神への信仰心を示す」ような儀式が多い。まさに「熱狂」という言葉が相応しいような体の芯から沸き起こってくる熱い信仰が、人々を痛みへと駆り立てているのだ。その痛みが大きければ大きいほど、信仰の強さが証明される、とでも言うように。


 特定の信仰を持たない僕のような人間にとって、このような「揺るぎなき信仰」は大いなる謎である。彼らが何に熱狂し、どうして自らを痛めつけるのか。その根っこの部分を理解することはできない。
 しかしヒンドゥー教徒ではない僕にも、その場を支配する圧倒的なエネルギーを感じることはできた。頭ではなく、皮膚を通した身体感覚として。

 祭りの熱気が最高潮に達すると、その場の空気がびりびりと震えるのがわかった。誰かが感じた痛みが、その場に居合わせた人々に次々に伝播し、やがてそれが大きな波となって祭り全体を包んでいくのだ。痛みを媒質にした「場の共振性」。それによって拡散した感情の波は、ふたたび炎の前で踊り狂う男たちの元に凝縮され、激しく渦を巻きながら空へと昇っていくのだった。


 単純にすごかった。体の奥が熱くなった。
 確かに「意味」を問うなんてナンセンスなのだと思った。
 祭りとは考えるのではなく、感じるものなのだ。渦の中に身を委ね、巻き込まれるものなのだ。


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