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  たびそら > 旅行記 > バングラデシュ編


 人口過密なバングラデシュの中でも、首都ダッカは特に「濃い」街である。驚くほど人が多く、しかもとんでもなくエネルギッシュ。唖然とさせられること、腹立たしい出来事には事欠かないし、その一方で見ず知らずの人からいきなり握手を求められたり、お茶をご馳走してもらうこともある。

 ダッカはラビリンスだ。旧市街の細く曲がりくねった路地の先に何が待ち構えているのかは、まったく予想できない。首をかしげたくなるような不条理な出来事かもしれないし、笑い出さずにはいられないコメディーの一場面かもしれない。

 ダッカという迷宮に迷い込んだら最後、旅人は気持ちを休める暇もなく、次々と目の前で繰り広げられる出来事に対処していかなければいけない。そんなアクシデントを心から楽しむことができたなら、きっとあなたはダッカの虜になっているはずだ。

 この迷宮にはすぐにそれとわかる宝物があるわけではない。はっきり言ってガラクタばかりだ。でも見る角度を少し変えてやれば、そのガラクタが宝物になることもある。ダッカに巣くう変人たちとの出会いは、僕にとって宝さがしみたいなものだったのである。

大量のカボチャに囲まれた男。こんな光景に出会えるのも迷宮都市ダッカならでは。



 24時間眠らない生鮮卸売市場・カウランバザールで、ヘンな格好のおじさんを見かけた。飾りひものたくさんついた真っ赤な衣装を着て、同じくド派手な装飾を施した長い竹馬に乗り、ピピーと笛を吹きながらのっしのっしと通りを練り歩いていた。サーカスのピエロそっくりだったが、顔つきはやたらシリアスである。そのギャップの大きさがあまりにも異様で、僕はすぐに彼の後を追った。

[動画]謎の竹馬おじさん

 竹馬おじさんはピエロでも大道芸人でもなかった。1メートルを超えるような大きな竹馬に乗れること自体が芸と言えば芸だが、彼の目的は道行く人々に対して何かを訴えることにあるようだった。

 彼は駐車してあったトラックの荷台に腰掛けて、真剣な面持ちで演説を始めた。もちろん僕にはその内容はよくわからなかったが、「深刻な危機が今まさに迫っている」とでも言いたげな切実さは十分に伝わってきた。演説を聴いていた男が「イスラムに関係したことを話しているんだ」と教えてくれた。この竹馬おじさんはイスラム教の聖者だというのだ。しかし宗教的なメッセージを発するには、いささか格好が派手すぎるようにも思えた。そもそもイスラム教は偶像崇拝を禁じているし、彼のように「悪目立ち」することを嫌っているはずだ。

聴衆の前で演説する竹馬おじさん

 しかしおじさんのメッセージに真剣に耳を傾ける人は多かった。少なくとも「気が触れた人のたわごと」だと鼻で笑うような人は誰もいなかった。言っていることはまともなのだろう。演説が終わると、男たちが先を争うようにして10タカ札を差し出し、それと引き替えにおじさんからカラフルな飾りひもをもらっていた。御利益があるのだろう。

 おじさんは20本ほどの飾りひもを売り終わると、場所を変えるために再び竹馬に乗って歩き始めた。交通整理の警官のように威勢よく笛を鳴らし、通りを歩く人々を蹴散らしながら大またで歩いていく。そしてまた別のトラックの荷台に腰掛けて、熱い演説を始めるのだった。


 謎だらけだった。彼が本物の聖者だとは思えなかったが、ピエロを装ったしたたかな商売人にも見えなかった。
 人々の注目を集めるために道化を演じ、寄付金を募っている。それは何とかわかるのだが、それではなぜ竹馬に乗るのか、聴衆に何を訴えていたのか、飾りひもにはどんな御利益があるのかは、結局わからないままだった。



 竹馬おじさんもその一種だと思うのだが、ダッカの街にはいたるところに香具師がいて、独特の口調で口上を述べたり芸を披露したりしながら、あやしげな薬や健康器具などを販売していた。

 とりわけ多くの男たちの注目を集めていたのは、ヒルから作った秘薬を売る香具師だった。ベンガル語でジョークと呼ばれるヒルは、体長が10センチほどもあった。水を張ったプラスチックの桶に、その大型ヒルが100匹以上も放たれて、ヌラヌラと動き回っているのである。これはぞっとするほど気持ち悪かった。見ているだけで手の平がじっとりと汗ばんできた。

[動画]ヒルから作った秘薬を売る香具師

 僕は以前このジョークに血を吸われたことがある。田植えをしている人々の写真を撮っていたときのことだ。ふと気がつくと、ふくらはぎにこの巨大ヒルがくっついていたのである。ヒルというのは噂通りいったん吸い付いたら簡単には引き剥がせない。そのときもエイッと力を込めて引っ張ると、皮膚の一部も一緒にべりっと剥がれてしまって、ずいぶん痛い思いをした。それ以来、ヒルには良いイメージを持っていない。

 このジョークから作った薬は、(冗談抜きで)とてもよく効くのだそうだ。
「ジョークから搾り取った油がこの薬にはたっぷり入っている。どこに塗るのかって? そりゃあんたたち、決まっているだろう。アソコだよ」
 香具師は真剣な顔で股間を指さした。なるほど。これは精力剤もしくはバイアグラ的な薬なのである。

様々な植物から作られた怪しげな薬を売る男。彼も香具師の一人だ。
「あんたたちの中で夜の生活に困っている人はいないかな? いや恥ずかしがることはない。男は30を超えると誰でも衰えるものなんだ。でももう心配はいらない。これさえ塗れば今夜からギンギンだ。間違いない。奥さんがヒーヒー言うぐらい素晴らしい効果がある。これで家庭円満。さぁ買った買った。今ならサービス特価だよ」

 なんてことを言っているらしい(半分以上は僕の想像だが)。効果のほどは未知数だが、スッポンやヘビは精力剤として珍重されているから、ヒル薬が効いても不思議ではない。実際、男たちはとても真剣な表情で口上に聞き入っていたし、そのうちの何人かは薬を買い求めていた(サクラかもしれないが)。

 僕も盛んに勧められたが、さすがに断った。「タダで持っていけ」と言われても「イヤだ」と答えたと思う。たとえ効果が絶大でも、あの気持ち悪いヒルから作られた薬なんて絶対に塗りたくはなかったのだ。



 ダッカの路上で、占い師に手相を見てもらったことがある。占い師といってもただのオッサンで、威厳やオーラがあるわけではなかったが、片言の英語を話せるということだったので、ものは試しと占ってもらうことにしたのだ。

[動画]ダッカの手相占い

 結果は素晴らしいものだった。
「あなたは人生で成功するだろう」
「金運もいい、ビジネス線もいいな」
「健康面も問題ない」
 などなど、すべてにおいて「ベリーグッド」だと断言するのである。

 しかしあまり嬉しくはなかった。このおじさん、聞かれたことすべてに「いいよ」と言っているだけなのである。ただのイエスマン。そんなんだったら僕にもできるよ。

 言うまでもないことだが、結婚運も良かった。「妻は一人、子供は三人できるよ」と彼は言った。三人は多すぎるよとも思ったが、もちろんおじさんは日本の家族事情のことなど知らない。

「それじゃ、今度の選挙はどうなりますかね?」
 と僕は訊ねてみた。実は議会選挙が二日後に迫っていて、街はその話題で持ちきりだったのだ。事前予想では「アワミ連盟」と「BNP」という二大政党が僅差で競り合っており、どちらが勝ってもおかしくない状況だった。占い師の実力を知る上でうってつけの質問だと思ったのだ。

「それはわからん」とおじさんはきっぱりと言った。「私にわかるのは手相を持った人の未来だけだ。選挙の結果なんて、手相占いではわからんよ」
 わからないものはわからない。実に潔い答えだった。
 それを聞いて、おじさんのことをちょっと見直した。ただのイエスマンなどではなく、深遠なる洞察力を持った本物の占い師なのかもしれない。
 もっとも「もし予想が外れたら信用がガタ落ちになるから、口をつぐんでおこう」というしたたかな計算が働いただけなのかもしれないが。


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