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  たびそら > 旅行記 > 東南アジア編


 雨季の東ティモールを旅するのは予想以上に大変だった。特に中部から南部にかけての雨の降り方は激しく、ただでさえ悪い道が雨によってドロドロのぬかるみに変わってしまうからだ。目的の町まで行けるかどうかは、常にお天気次第だった。

ドロドロのぬかるみに変わった道。

 旅人にとって雨は悩みの種だったが、東ティモールの子供たちは大いにそれを楽しんでいた。彼らはスコールが降り始めると、雨宿りをするどころかサッカーボールを抱えて一目散に広場へと駆け出していくのである。もちろん広場は水浸しの状態で、ボールだってまともには転がらないし、全身泥だらけになってしまうのだが、それが楽しくて仕方ない様子だった。

スコールの中サッカーをする子供たち。

 どうせ濡れるんだったら、ズボンもパンツも全部ずぶずぶに濡れてしまえばいい。あとで洗濯するんだからさ。そんな思い切りの良い発想の元、子供たちはまさに水を得た魚のように全力で雨の中を走り回っていた。

 ビケケ県で出会った漁師たちも雨をまったく気にしなかった。
 それは僕が経験した中でももっとも激しい、まるで空そのものが落ちてきたかのようなスコールだった。大粒の雨が地上にあるものすべてを容赦なく叩き、またたく間に道路を泥水が流れる川に変えてしまった。僕は慌てて椰子の木の下に入って折りたたみ傘を差したが、それではとてもしのぎきれなかった。

ひどい雨の中でも平気で歩く人々。

 ところがこの激しい雨の中、漁師たちは海に出て漁を始めたのである。とてもシンプルな漁法だった。船さえも使わない。数人の漁師が海の中で網を広げる。ただそれだけである。雨粒が水面を叩くと、魚が集まってくる習性でもあるのだろうか。

 そうやって漁師たちが網を広げる中、なぜか一人の若者だけが砂浜に残って歌をうたいはじめた。両手を高く広げ、顔を空に向け、口の中に雨が入るのも気にせずに大声で歌っていた。
 最初は子供のようにスコールに興奮しているのだと思っていた。しかし彼は10分経っても20分経っても歌うことをやめなかった。漁のことなんて全然眼中にない。ただただ雨の中で歌をうたっているだった。


 叩きつけるスコールによって海面は白く煙り、灰色の空と海との境界線がぼんやりとかすんでいた。世界のすべてが雨に包まれていた。若者はその中心に立って恍惚の表情を浮かべながら、歌をうたい踊りをおどり続けていた。

 彼は何のために歌っているのだろう。
 何を目的として踊っているんだろう。
 雨乞い?
 それとも豊漁のためのお祈り?
 どれだけ考えてみても、その行動を説明することはできなかった。彼はただ踊りたいから踊り、歌いたいから歌っている。そうとしか思えなかった。


 若者は雨降りをそのままのかたちで受け入れていた。
 天からの恵みであり、同時に厳しい試練でもある雨を、全身で受け止めていた。
 彼は雨と一体化し、共に喜びを分かち合う仲間になっていた。


 なんて自由なんだろう。なんて生き生きとしているのだろう。
 彼のことが羨ましくなった。できることなら自分もすべてを脱ぎ捨てて、裸になって一緒に歌いたかった。

 でも僕にはどうしてもそれができなかった。カメラが濡れないように気を遣いながら、シャッターを切ることしかできなかった。
 僕の一部はどうしようもなく興奮していたが、一部はどうしようもなく冷静だった。それは写真家という「観察する者」の性なのかもしれなかった。



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