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 ハンモックカフェはひたすら気楽な場所である。
 コーヒー一杯注文すれば、あとは何時間居ても構わない。柱に吊されたハンモックに横になってシエスタ気分を味わうのもいいし、テーブルを囲んで賭けトランプに興じてもいい。日本の喫茶店で長居をしていると、ウェイトレスが頻繁に水を注ぎに来たりして、暗に「追加オーダーはないの?」というプレッシャーをかけられたりするものだが、ハンモックカフェではそういうことは一切ない。完全に放っておいてくれるのだ。

 店の柱にいくつものハンモックを吊り下げたメコンデルタ地方だけに見られるカフェのことを、僕は勝手に「ハンモックカフェ」と呼んでいた。正式名称は知らない。たぶんただの「カフェ」だと思われる。

南国独特の気怠さに包まれているハンモックカフェ。誰も動かない。

ハンモックはどこでも吊り下げられている。市場の物売りたちも、人が来なくなったらハンモックで寝てしまう。
 ハンモック自体は小柄なベトナム人に合わせて作られているので、比較的大柄な僕には少々窮屈である。でも足を思いっきり投げ出して、吹き抜けていく穏やかな風に身を任せているときの心地よさは、何ものにも代えがたい。母親の胎内にいるような、とろんとしたまどろみの中に吸い込まれていく。僕はそれほど寝付きがいい方ではないのだが、ハンモックに横になると1分も経たないうちにストンと意識が落ちていくのだった。

 初めて訪れる土地の、初めて入るカフェ。それなのに、どうしてここまで緊張の糸を緩めてしまえるのか。それが自分でも不思議だった。どうやらハンモックカフェには徹底的に人をルーズにしてしまう魔力があるらしい。

 ハンモックカフェ唯一の欠点は、あまりにも居心地がいいので、次の移動が億劫になってしまうことである。30分だけ昼寝をしようと入ったのに、それが1時間に延び、2時間に延びてしまうのだ。アニメの『一休さん』のように、「慌てない慌てない。一休み一休み」というセリフをつい口にしたくなってしまう。

 ハンモックカフェに入ったときには必ず「カフェダー」を注文した。カフェダーとはベトナム語でアイスコーヒーのこと。ベトナム北部ではホットコーヒーの方がポピュラーなのだが、年中暑い南部ではアイスコーヒーに人気が集中している。

 カフェダーを注文すると、氷をいっぱいに入れた大きなグラスと、コーヒーを溜めるための小さなグラスが一緒に運ばれてくる。小さなグラスの上には、挽いた豆を入れた金属製のコーヒーフィルターがかぶせてあって、そこから濃いコーヒーの滴がポタポタと落ちてくる。待つこと数分。コーヒーの滴が全て小グラスの中に溜まると、それを氷の入った大グラスに注いでかき混ぜる。コーヒーの原液は非常に濃く、砂糖も大量に入っていて甘いので、グラスの中の氷をざくざくと溶かして味を薄めながら飲む。氷の量が圧倒的に多いので、最初はコーヒー味のかき氷を飲んでいるような感覚に近いかもしれない。

カフェダーを頼むと出てくる三点セット

カフェダーの上から緑茶を注ぐと、緑茶風味のアイスコーヒーが出来上がる。
 カフェダーには温かい緑茶を入れたミニポットも必ず一緒に付いてくるのだが、この扱いが謎だった。僕が観察したところ、アイスコーヒーを飲み終わったあとに緑茶を注いで飲む「コーヒー→緑茶」派が主流を占めているようだったが、コーヒーを飲み終わらないうちに緑茶を注いでしまう「コーヒー+緑茶」派も少なくなかった。後者が邪道なのかどうかはよくわからない。いずれにしても、同じグラスで飲むのだから、ふたつの味が混ざってしまうのは避けられない。緑茶っぽいコーヒーか、コーヒーっぽい緑茶のどちらかにはなってしまうのだ。

 僕は「コーヒー+緑茶」派だった。あまりにも暑くて喉が渇いていたので、濃いコーヒーがゆっくりと氷を溶かすのを待っていられなかったのだ。「コーヒーにお茶を混ぜるなんて味オンチのすることだ」と言う人もいるだろう。僕も最初はそう思っていた。でも試しにやってみると、これが意外にイケるのだ。旅の後半になってくると、ただのコーヒーよりも緑茶風味が付いたコーヒーの方を美味しいと感じるようにさえなった。

 カフェダー以外にも、ベトナムでは実に様々なところで氷が使われている。コーヒーやサトウキビジュースなどの飲み物に氷を入れるのはもちろんのこと、甘味屋で出されるプリンの上にも砕いた氷がのせてあったし、食堂で出てくる「化学おしぼり」の袋にもなぜか氷が添えられていた。ひんやりとしたおしぼりで顔を拭いてひとときの涼を取ってください、という意味のサービスなのだろう。しかし氷入りのビールだけは勘弁してほしかった。ビールはコーヒーみたいにあらかじめ濃く作っておくことができないから、やたら水っぽくなって飲めたものではなかったのだ。

 農村では電気冷蔵庫というものがまだあまり普及していないから、食料品を保存するのも氷の役目である。ベトナム戦争終結直後に、ベトナム政府は「今後5年以内に、全ての家庭にテレビと冷蔵庫を行き渡らせる」という目標を掲げたというのだが、それは30年経った今でも達成されていない。テレビは安い製品が出回るようになったおかげで大半の家庭に普及したのだが、冷蔵庫の普及率は相変わらず低いままである。その日食べる食料は市場で新鮮なものを買えばいいし、冷たい飲み物は氷を入れて作ればいいと考えている庶民には冷蔵庫なんて必要ないのだ。もっとも、いま仮にベトナムの全家庭に電気冷蔵庫が普及したら、たちまち電力事情がひっ迫するのは間違いないところだが。

氷作りの現場。あまり衛生的には見えなかった。

 旅行者にとって、ベトナムの氷は「危険物」のひとつである。生水を飲んでお腹を壊す危険性はミネラルウォーターを買うことで回避できるが、ありとあらゆる場面で使われている氷を避け続けることは、ほぼ不可能だからだ。ベトナムの氷には衛生的な水から作った氷と、生水から作った氷の二種類があるらしいが、砕いてグラスに入れられた後からそれを見分けるのは難しい。外国人観光客が多く訪れるようなカフェであればたぶん問題ないだろうが、地元の食堂で出てくる氷はかなりデンジャラスだ。短期旅行者なら避けるのが無難だろう。

 僕が実際に目にした製氷工場も衛生的とは言い難かった。氷は長さ1メートルほどの細長い羊羹型の筒の中で作られているのだが、原料となる水が一体どこから引かれてきたものなのかよくわからなかった。出来上がった氷の扱いも雑で、地べたにそのまま置いていた。これなら雑菌が入り込む余地はいくらでもありそうだった。

 製氷工場で作られた氷は船で運ばれていた。メコンデルタ地方の家屋の多くは運河のそばに建てられているので、船で運搬するのがもっとも便利なのである。運送コストだって安いに違いない。

 不思議なのは、工場で作られた氷を船まで担いで運ぶ「氷運び人」の存在だった。運搬船が停泊している運河と製氷工場のあいだには、一本の国道が走っている。バスやトラックやバイクなどが頻繁に往来する交通量の多い道だ。つまり「氷運び人」たちは重い氷を肩に担いだまま、バスやバイクを避けて国道を横切るというかなりアクロバチックなことをしなければいけないのだ。しかも彼らはそれを一日に何十回、何百回と繰り返すのである。

製氷工場から運河まで氷を運ぶ職人たち。交通量の多い道路もなんのその。

 どうしてこんなにも面倒で危険な作業を、何人もの男が続けなければいけないのか、僕にはさっぱりわからなかった。氷を移動させるレールか何かを、道路の上に作れば問題は解決するんじゃないだろうか?
 そんな疑問をベトナムに長年住んでいる日本人にぶつけてみると、「そんな仕組みを作ったら、『氷運び人』の仕事がなくなって、失業しちゃうじゃないですか」と言われた。確かにその通りである。きっと「氷運び人」の賃金はレールを作るコストよりもずっと安いのだろう。


このレールの先に氷運搬船が待っている。

 とまぁ、その存在自体が不思議な「氷運び人」ではあったが、仕事ぶりは実に見事だった。レールの上を滑ってくる氷を肩でキャッチするときの無駄のない動きや、国道を走るバイクの列を巧みに避けるときの軽やかな身のこなしなどは、一種の職人芸の域に達していた。しかしそれはそれとして、「この技術を何か別のことに生かせないのか?」と考えてしまうのは、僕だけではないと思う。


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