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  たびそら > 旅行記 > インド編(2012)


 カルナータカ州で出会ったもう一人の聖者は、アルメールというごくありふれた田舎町に住んでいた。彫金屋や鍛冶屋や仕立屋なんかがぽつぽつと並ぶ小さな商店街が町の中心にあるだけで、それ以外は特に何の取り柄もない町だった。





 聖者が住んでいたのは、町の外れにあるヒンドゥー寺院だった。900年も前に建てられた由緒あるお寺らしいのだが、建物の中は最近改修されたばかりらしく、壁も床材も真新しかった。ヒンドゥー寺院にはつきものの野良牛や野良犬(ときには野猿)たちが我が物顔で寝そべっていることもなく、日本の神社のようなひっそりとした静寂に包まれていた。

 聖者はオレンジ色の袈裟を着て、きれいに掃き清められた床の上に一人で座っていた。突然の訪問にもかかわらず、彼は人なつっこい笑顔で僕を迎えてくれた。

 実はこの寺院を訪ねることになったのは、商店街で知り合った若者が「ぜひあんたに会わせたい人がいるんだ」と勝手に道案内をはじめたのがきっかけだった。インドを旅していると、彼のようにちょっとばかり強引でお節介な男に出会うことがある。そういうとき僕はたいてい相手の言うままについていくことにしている。(観光地でない限り)それが悪い結果に結びつくようなことはほとんどなかったからだ。このときもそうだった。僕らはいくつもの角を曲がり、路地を通り抜け、洗濯している女や雑草を食べている山羊のそばを通って、ようやく古い寺院の前までやって来たのである。





 ジャガデーヴァ・マッレボンマイヤ・スワミジーという長い名前を持つ聖者は、とても流ちょうな英語を話した。彼は大学の修士課程を卒業したインテリだったのだ。しかし彼もまた思うところあって世俗を捨て、信仰とともに生きる道を選んだのだった。

オレンジ色の袈裟を着た聖者ジャガデーヴァ
「普通の仕事に就き、お金を稼ぎ、家族を持ち、レストランで食事をし、新しい家を買う。私はそういう人生に満足できなかったんです。欲望というものは限りがありません。それは海のようなものです。どこまで行っても終わりがない。例えばあなたがいい車を買ったとしましょう。でもあなたはそれで決して満足はしない。もっといい車に乗りたくなるはずです。欲望は満たされることなく、常に新たな欲望を生み出します。本当に満足できる人生というのは、欲望から離れたところにあります」

 ジャガデーヴァさんの生活は瞑想にはじまり、瞑想に終わる。一日に必ず三度は瞑想を行うという。床に座り、目を閉じて、呼吸を深くしながら、1時間から2時間ほど瞑想する。自分の欲望と静かに向き合い、そこから離れるために。

 ジャガデーヴァさんが履いているサンダルはユニークなものだった。「鼻緒」に相当する部分がなく、丸い突起を足の親指と人差し指で挟んで履くというのだ。当然、かなり歩きにくいはずだ。

「ええ、もちろん最初の何ヶ月かは苦労しましたよ。指の付け根も痛くなりますしね。でもしばらくすると慣れてくるんです。聖者はみんなこのサンダルを履いています。ブッダもガンディーも履いていました。こうやって足の指を鍛えると、性欲をコントロールできるからです」

性欲をコントロールできるというサンダル

 俗世間を離れた聖者にとっても、性欲のコントロールはとても難しい問題のようだ。本能的に備わっているものを理性で押さえつけるのは、誰にとってもたやすいことではない。あのマハトマ・ガンディーでさえ、性欲を制御しきれずに失敗したことを包み隠さずに語っている。しかしジャガデーヴァさんはこのサンダルを使うようになってから、性欲に煩わされることがなくなったという。もちろん勃起もしない。

「あなたも一度試してみたらどうですか? 無駄な性欲に振り回されることがなくなって、とても平穏な気持ちになりますよ」
「いえ、結構です」
 僕は笑って断った。すべての我欲を捨て去り、平穏な気持ちで生きるというのも、それはそれで悪くないと思う。でも、ときには性欲に振り回され、煩悩に悩まされる人生の方が、自分には合っているような気がする。

「私は鳥のように自由です」と彼は楽しげに言った。「好きなときに好きなところへ行くことができるから。欲望に煩わされることがなくなれば、体も軽くなります。自分を縛っている縄をほどくことができるのです」

 このようにジャガデーヴァさんの生活の基本には瞑想があるが、決してそれだけに執着しているわけではなかった。自分の城に閉じこもるだけでなく、多くの人と関わり合いながら社会にとって善いことを行うのが、聖者としての役割であると考えているのだ。

 彼の元には毎日多くの人が相談にやってくるという。健康に不安を抱えた人、お金に困っている人、子供の教育に悩んでいる人。彼は様々な知識と豊富なコネクションを生かして、その悩みに答えている。たとえば重病人にはどの医者に診てもらうのが良いのか助言するし、農業の専門家を招いて、この土地に合った新しい農業のやり方を教えてもらう試みも行っている。彼は共同体のアドバイザー的な役割を担っているのだ。

「この地域の一番の問題は水です。農業は雨水に頼っているので、雨が降らないと収穫量が落ち込んでしまうんです。実際、去年は雨が少なかったので、多くの農民が生活に困り、お金を借りることになりました。今年はその借金が返せない人が続出しています。もちろんこの問題は私の力だけでは解決できません」
「お金が必要なんですね」
「ええ。私はお金を持ってはいませんから。ですからお金持ちの家に行って状況を説明して、援助をお願いしています」

 僕らが話しているときにやってきたのは、鮮やかな黄色いターバンを頭に巻いた農家のおじさんだった。彼の悩みは「喧嘩した弟と何年も絶縁状態が続いているのだが、関係を修復するためにはどうすればいいか」というものだった。

 ジャガデーヴァさんは何度も深く頷きながら男の話に耳を傾け、最後にいくつかの短い助言を与えた。その姿は、問診を重視する誠実な医者のようでもあった。

「様々な悩みを抱えた人たちがここにやってきますが、もっとも難しいのが人間関係の悩み、特に家族の問題です。唯一の正しい答えというものがないからです。粘り強く話し合うことしか解決への道はありません」

 ジャガデーヴァさんは意識的に新しい情報を取り入れるようにしている。新聞を読むのはもちろんのこと、衛星テレビで外国のニュースを見たり、インターネットを使って調べ物をしたりもしている。3000年以上の歴史を持つ聖典から教えられることはたくさんあるのだが、今ここで起きている問題を解決するためには、この時代をよく知る必要があると考えているからだ。

 僕がポケットからiPhoneを取り出すと、彼は身を乗り出して、「それは一体なんですか?」と目を輝かせた。
 新しいガジェットに興味津々という反応も意外だったが、生まれて初めて触れるスマホのタッチ操作をものの5分で覚えてしまったのにも驚かされた。

「なるほど。今どこにいるのかがグーグルマップでわかるようになっているんですね。これはすごいなぁ」
 彼はiPhoneの地図アプリの出来の良さにも感心しきりだった。ノキアやサムスンが圧倒的に強いインドでは、アップルのiPhoneの存在自体あまり知られていないのだ。
「こんな小さなマシンで、どこからでもインターネットに繋がるなんて。世界は狭くなりつつあるんですね」

 The world is getting smaller.
 こういうセリフがさらりと出てくるところに、彼の教養の高さがうかがえる気がした。

 インドには様々な聖者がいる。
 世捨て人のように山の中で孤独に生きるサドゥーもいれば、何も所有せずに裸で修行に励むストイックな僧もいる。そして、ジャガデーヴァさんのように共同体とアクチュアルに関わりながら、自分の知識を人のために役立てている人もいる。

 それぞれのやり方で、それぞれの「道」を追求する聖者たち。
 彼らの多様な生き方は、インドという国のふところの深さとつながっているようにも思えたのだった。


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