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  たびそら > 旅行記 > インド編(2012)


 インド人は見た目と中身がかなりの確率で一致する。ぱっと見がインテリっぽい人はやはりインテリだし、金持ちそうに見える人は実際に金持ちなのだ。農民は農民らしい服装だし、スラム街に住んでいる人はやはり粗末な格好をしている。インドには「金持ちだけどカジュアルな服を好む人」や「見た目だけはパリッとしているのに実は貧乏な人」はまずいないのである。

 この「インド人は見た目が9割」的なわかりやすさは、旅人にはありがたいことだった。何かトラブルが起きたりして、英語が話せる人を探さなければいけないようなときにも、メガネをかけたインテリっぽい若者や、恰幅のよいスーツ姿のビジネスマンといった「いかにも英語が話せそうな人」に声を掛ければよかったのである。

 別の言い方をすれば、インドという国は日本以上に外見が重要だということ。まず外見ありき。自分の立場にふさわしい格好をしていなければ、他人に軽んじられてしまう社会なのだ。だからインド人のファッションは、自分が属している階級を外に向けて発信することを最大の目的にしている。





 インド人が見た目を重視しているのは、町の商店街の多くが服飾店やジュエリーショップや靴屋などで占められていることからもよくわかる。家電販売店や携帯電話ショップも増えてきてはいるが、いまだに圧倒的に数が多いのはファッション関係の店なのである。





 もちろん日本社会にも「ふさわしい格好をするべきだ」という無言の圧力はあるけれど、インドに比べるとそのプレッシャーははるかに弱い。そぐわない格好をしていても、それだけで社会からつまはじきにされるようなことはない。日本における外見の差は、経済的な格差よりも「趣味」や「世代」による差の方がはるかに大きい。そしてそのことは、日本社会の「平等化」と「大衆化」がどれほど進んでいるかを端的に示している。



 インドでの宿探しも、ポイントはやはり見た目だった。第一印象を頼りに即決するのが基本。インドでは「宿も見た目が9割」なのである。

 まず注目すべきは宿のロケーションだ。これはできるだけ静かな場所がいい。交通量の多い通りに面していると、車のエンジン音やクラクションノイズによって安眠を妨げられることになるからだ。しかし安宿というのはたいてい人が集まる繁華街に建てられているから、この条件を満たすのはなかなか難しい。

町の中心は騒々しいので避けた方がいいのだが…

安宿のトイレの基本は和式(インド式)だが、この宿はなぜか洋式とインド式がどちらも揃えてあった。まさか二人同時にするってわけじゃないだろうが。
 しかし表通りに面したうるさそうな宿でも、諦めずにアタックしてみる価値はある。「ウナギの寝床」式に奥行きのある建物なら、奥の静かな部屋を確保できるかもしれないからだ。

 次に注目するのはレセプションだ。これが立派すぎるところはなるべく避けたい。カウンターが大理石だったり、天井からシャンデリアがぶら下がっているようなところは中級以上の宿なので、僕にとっては予算外なのだ。値段を聞く前に(確実に1000ルピー以上を提示される)退散した方が無難だろう。

 僕が狙い目にしていたのは、比較的新しいビジネスホテルだった。無駄なところにお金はかけていないが、部屋は新しく、必要最低限のファシリティーを整えているところ。急速に経済発展を遂げて、中所得者層が増えているインドでは、こうした新しくて快適なホテルがそれこそ雨後の竹の子のように増殖しているのだ。

これはかなりいい感じの宿だ。ベッドも清潔で、掃除も行き届いている。

こちらもいくぶん暗い部屋だが悪くはない

新しいビジネスホテルの外観

 ビジネスホテルで重視する必要がないのは、受付係の人柄である。たとえレセプションが無愛想でも気にしてはいけない。シビアに部屋の良し悪しだけを判断材料にしたい。インドの場合、従業員の愛想と部屋の質とのあいだには何の相関関係もないからだ。従業員がとてもにこやかで好感が持てるのに、部屋はろくに掃除もされていないし、備品は壊れまくっているということが実によくあるのだ。

 これはおそらくカースト制に関係したことなのだろう。分業意識の高いインドでは、受付係はあくまでも受け付け業務しか行わないし、掃除やベッドメイクをする人はそれだけしかやらない。だから宿のある面はとても優れているのに、それ以外はまったくダメということが起こりうるのだ。



「インドの宿に静けさを求めるのは、インドの列車に時刻表を守らせるのと同じぐらい難しい」
 ということわざがある・・・というのは嘘です。僕が今考えました。

 しかしまぁ実際のところ、インドの安宿で静けさを得るのは本当に難しい。実に様々な騒音が、あの手この手で静寂を打ち破ろうとするからだ。駅に近い宿なら列車の警笛が聞こえてくるし、映画館のそばにある宿なら映画のBGMや効果音が鳴り響いてくる。天井からぶら下がっているファンが半分壊れていて、ギィーギィーという不快な音を出し続けたこともあった。

インドの安宿の多くは賑やかな場所にある

 中にはまったく予想できない騒音もあった。たとえば古い手動開閉式のエレベーターの扉が開けっ放しになったときに鳴り響く「ビィー」という不快な警告音は、ボディーブローのようにじわじわと効いてくるタイプの苦痛だった。窓のひさしに巣を作っていたハトが「ホーホー」と鳴きはじめたせいで、夜明け前に起こされたこともあった。リアル鳩時計。誰もモーニングコールなんて頼んでいないのに・・・。

 マハラシュトラ州ブサワルに泊まったときには、夜9時になって突然はじまった政治集会によって、想像を絶する騒音を3時間にわたって浴びることになった。とにかく音がデカイ。デカすぎるのだ。巨大なスピーカーをフルボリュームにして、よくわからない演説や宗教音楽なんかを延々と流し続けるのだった。

 iPodを耳栓代わりにしてみても効果はなかった。スピーカーの重低音がホテルの壁を揺さぶり、ベッドを揺さぶり、そして体をも揺さぶるのだ。防ぎようのない音の波。あまりのうるささに集会の主催者に対して軽い殺意さえ覚えたほどである。まったくもう、インド人の「音不感症」にはただただ呆れるしかない。

 ラジャスタン州アブロードでは、夜中の1時を回ってから、廊下に大きな声が響きはじめた。どうやら隣の部屋の男たちが大声で議論しだしたらしい。大人数で泊まりにきたインド人は、部屋に熱気がこもらないために扉を開けっ放しにしているのだが、そのせいで話し声が筒抜けになっているのである。

 しばらく我慢した。真夜中なんだし、そのうちまた静かになるだろう。
 しかし、いつまで経っても議論は終わらなかった。それどころか、ますますヒートアップしていくのだった。ついに我慢の限界に達した僕は、立ち上がって部屋を出た。
「お前ら、うるせぇよ!」
 隣の部屋に入るなり、僕は大声で怒鳴った。5人のおっさんが輪になって座っていたのだが、全員が一斉に振り返って僕を凝視した。

「・・・・」
 誰も何も言わなかった。完全な沈黙。素性の知らない外国人がいきなり部屋に入ってきたのだから、彼らだってびっくりしたのだろう。
「あんたら、いま何時と思ってるんだよ?」
 僕はいくぶんトーンを落として言った。通じないかもしれないけど、一応英語で。

 すると一人の男が自分の腕時計を見て、こう答えたのだった。
「いま、1時30分だけど・・・」
 僕は全身の力が抜けていくのを感じた。おいおい、なにマジで答えてるんだよ。こんな時間にわざわざ隣の部屋に時刻を聞きに来るバカがどこにいるんだよ。もう勘弁してくれよぉ。

「そう、1時30分だ。寝る時間だ」と僕は力なく言った。「俺はあんたらの声がうるさくて眠れないんだ。いいかい、頼むから静かにしてくれ」
 結局、男たちは僕の言い分を理解してくれた。すまなかったな、と謝ってもくれた。まぁ話が通じてよかった。

 しかし部屋に戻ってからも、なかなか眠りにつくことができなかった。眠りを妨げるものはもう何もなかったのだが、怒りをぶちまけたせいで気持ちが高ぶって、目が覚めてしまったのだった。

 結局、夜が白々と明けてくるまで、眠気は訪れなかった。


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