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  たびそら > 旅行記 > インド編(2012)


 言わずとしれたヒンドゥー教最大の聖地バラナシ。
 ここには二千もの寺院と数多くの沐浴場(ガート)の他に、数千年の歴史を持つ火葬場があり、遺体を燃やす煙が幾筋も立ちのぼるのを目にすることができる。ここで沐浴すれば、現世で犯した罪は洗い清められ、ここで死んで遺灰をガンガーに流されれば、終わりなき輪廻の苦しみから解脱できる。ヒンドゥー教徒たちはそう信じているのだ。



 僕がバラナシを訪れたのは11年ぶりだったが、町の様子は2001年当時から、ほとんど何も変わっていなかった。再開発を強固に拒む迷路のように入り組んだ旧市街の石畳も、人がすれ違うのも困難なほど幅の狭い道にどかっと腰を下ろしたまま動かない野良(っぽい)牛の姿も、牛の糞と人の小便にまみれた「聖なる」ガートで行われる早朝の沐浴も、11年前とまったく同じだった。すべての人間にとって避けがたい「死」というものを精神的に支えている聖地は、百年やそこらで簡単に姿を変えたりはしないのだろう。

朝日が昇るのを待ってガート(沐浴場)で沐浴する人々。水は冷たいが半裸になって祈りを捧げる。



 バラナシは幾世代にもわたって同じ演目を演じ続けるひとつの劇場のようでもあった。川の水に体を浸し、朝日に向かって一心に祈り続ける人々も、荘厳な祈りの儀式を行う聖者の姿も、サドゥーなのかサドゥーっぽい格好をしたただの物乞いなのか判別がつかない男たちも、火葬場の灰にまみれながら昼寝をする野良犬も、すべてバラナシをバラナシたらしめている演者であり、十年後も二十年後も同じような光景が繰り返されているに違いなかった。

 聖なるものと俗なるものが隣り合って共存しているのも、バラナシという場所の特徴だった。悠久たるガンガーの流れを眺めながら考え事でもしようかとガートの階段に腰を下ろすと、すぐに怪しげな男たちが近づいてきて「ハッパ買う?」「絵葉書買わないか?」「ボート乗らないか?」と声を掛けてくるのだった。バラナシの歴史について勝手に解説を始めて寄付金をせびる自称ガイドも健在だった。

 いきなり僕の肩を揉み始める男もいた。
「マッサージとヘアカットとシェービング、すべて込みで50ルピーだ。安いだろう。やらないか?」
「いらないよ」僕は即答した。「ヒゲは毎日剃ってるし、髪も伸びたら自分で切ってる。肩こりもない」
 きっぱり断っても、彼は簡単には諦めなかった。今度は「45ルピーだ」とか「待て、40ルピーでどうだ」などとディスカウントを始めるのだ。あぁうっとうしい。ゆっくり考え事もしていられないのだ。
 この「聖なる場所」における「俗なる人々」のしつこさと粘着性もまた、インドの観光地のリアルな姿なのであった。





 しかしガートにたむろする怪しい男たちを除けば、バラナシはさほど警戒する必要のない平和な町だった。特に町で出会う子供たちは「ハロー」「ワン・フォト・プリーズ」と言ってくるだけで、言われたとおりに写真を撮ってあげると素直に喜んで、そのまま立ち去っていくのだった。

 11年前はもっとハードだった。「フォト・プリーズ」よりも「10ルピー」や「1ダラー」と言われることの方が多かった。金をくれ。ものをくれ。みんながそう言っていた記憶がある。

 それが変わったのは、デジカメが普及したおかげなのかもしれない。試しに「お金くれ」と言って嫌な顔をされるよりは、「写真撮ってよ」と言って笑顔が返ってくる方が断然楽しい。子供たちの多くがそのことに気付いたのではないか。

ガートの近くにはポリタンクを売る店があった。巡礼者がガンガーの聖なる水を汲んで持ち帰るために使うようだ。甲子園球児の砂みたいなものだろうか。実際にはガンガーの水は相当に汚染されていて、病原菌も多い。それでも聖水は聖水。ありがたく持ち帰るのである。

ガンガーを一望できる場所に座り込む男と、巡礼者の荷物を狙って歩き回るサル

 激しく変化するインドにあって、バラナシの不変性は驚くべきものだった。まさに「悠久」という表現が相応しい。

 僕らは「変化するもの」に目を奪われがちだ。
 何か目新しいものを追いかけがちだ。
 でも、長い時間をかけてもほとんど変わらないものの中にこそ、その土地に根ざした文化の本質が潜んでいる。バラナシはそのことを教えてくれる。

船着き場をうろつく野良犬と巡礼者に花を売る少年

 バラナシはインドを旅するなら必ず一度は訪れるべき場所だ。できれば若いうちに行った方がいい。
 バラナシに広がる日本の日常とはあまりにも違いすぎる世界は、若くてやわらかい心に強いひっかき傷を残すことになるからだ。

 僕もそうだった。初めてバラナシの地を踏んだ26歳の僕にとって、この町で目にするものすべてが新鮮だった。
 しかし二度目はそうではなかった。体の中に鋭く切り込んでくるような衝撃はもうすでになかった。





 この10年あまりの間に、僕は様々な場所を訪れ、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっていた。それは「成長の結果」でもあるし「好奇心の摩耗」とも言えるものなのだろう。「旅慣れる」ということにはプラスの面もマイナスの面もある。

 いずれにせよ、すべてを新鮮に受け止められた26歳の自分には、もう二度と戻ることはできないのだ。

バラナシの町で「ATM」と書かれた機械を発見。その正体はミルクを出すマシンだった。「自動ミルク配給機」とでもいったらいいのか。実際にはおじさんがミルクを出しているので、自動でもなんでもないのだった。


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