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  たびそら > 旅行記 > ミャンマー編(2013)


「安かろう悪かろう」の中国製バイク

 マンダレーには貸しバイク屋がいくつかあるので、外国人旅行者でも気軽にバイクを借りることができた。値段は1日あたり8000チャット(800円)ほどで、これはベトナムやカンボジアなどと比較すると割高だが、べらぼうに高いというほどではなかった。

 問題は借りられるバイクがどれも安い中国製だということだった。しかも状態が良くない。整備不良とまでは言わないが、何年も乗り続けてすっかりくたびれたバイクが目立った。

マンダレーで借りられるバイクはどれも中国製だ

 僕は決して日本製品至上主義者ではないし、メイド・イン・チャイナを目の敵にしているわけでもない。トラブルなく走ってくれさえすれば、中国製だろうが北朝鮮製だろうが気にしない実用主義者である(実際、インドを旅するときはいつもインド製バイクに乗っている。インド製に品質にはおおむね満足しているからだ)。

 けれど中国製バイクには悪いイメージしかなかった。見た目は悪くないのだが、いざ走り出すとしょっちゅうトラブルに見舞われるのだ。長くハードな旅の相棒としてふさわしい相手ではないのは間違いないのだが、ミャンマーでは他に選択の余地がなかったのである。

とめてあるバイクのほとんどは中国製だ

 僕がミスター・トーという男から借りたのは、「KENBO」という中国メーカーのバイクだった。
 健忘? 権謀? ケン坊?
 なんとなく日本語を連想させるような微妙なブランド名をつけているのは、「あわよくば日本製だと勘違いしてもらいたい」という願いの表れなのだろう。もっともこの「KENBO」は数ある中国バイクメーカーの中でも名の通ったブランドであるらしく、ミャンマー全土で積極的に広告展開を行っていた。

ミャンマーで販売攻勢をかけているKENBOの代理店

 しかし中国人というのはすぐに先行者の真似をしたがるようで、KENBO人気が盛り上がっているとみるや、たちまち「ANBO」だとか「SUNBO」といった類似のブランド名を冠したバイクを作ってしまうのである。このような節操のなさというか、したたかに「三匹目のドジョウ」を狙う図太さは中国メーカーならではのものだろう。

 彼らは自社製品に対する誇りやオリジナリティーなんかよりも、いま売れているブランドに「間違えられる」可能性の方を優先するのだ。それにしても「ケンボー、アンボー、スンボー」なんて、なにかの冗談みたいだ。「ヤンボー、マーボー、天気予報」じゃないんだからさ。

「日本製バイクが素晴らしいっていうのは知っているよ」
 と僕にバイクを貸してくれたミスター・トーは言った。
「でもメイド・イン・チャイナに比べると高すぎるんだ。ホンダのバイクなら150万チャット(15万円)もする。中国製ならたった45万チャットだからね」

 なるほどね。価格差が三倍もあっては勝負にならない。いくら品質に明らかな違いがあっても、この圧倒的な価格差を乗り越えるのは相当に難しいだろう。

 10年ほど前まで、ミャンマーを走るバイクのほとんどはホンダ製のスーパーカブだった。しかし中国との国境貿易が活発化し、関税が引き下げられたおかげで安い中国製バイクがどんどん入ってくるようになると、日本製バイクのシェアは急激に低下した。そして、あれよあれよという間に、中国製バイクがミャンマー市場の9割を占めるまでになったのである。

 「日本製バイクが独占していた市場を安い中国製品が奪う」という状況は、かつてベトナムでも起きたことがある。ベトナムの場合は、中国製バイクの「安かろう悪かろう」な品質が知れ渡るにつれて、再び日本製バイクのシェアが回復したのだが、今のところミャンマーで同じような逆転劇が起こる気配はない。経済成長著しいベトナムと違って、まだまだバイクが高嶺の花であるミャンマーでは、「品質よりも価格」という考えが支配的なのである。

LUOJIAというメーカーも人気だった

 中国の影響力の強さを感じるのはバイクだけではなかった。たとえばマンダレーの街にあるホテルやレストランや貴金属店の多くは中国系資本で経営されていたし、中国人旅行者も急増していた。僕が泊まっていたホテルも客の半分は中国人だったので、フロント係も流ちょうに中国語を話す人が多かった。

マンダレーの街には中国系資本の貴金属店が目立つ

 ミャンマーの軍事政権に対する経済制裁が強まった10年ほど前から、ミャンマーと中国は経済面でも政治面でも結びつきを強めていた。欧米中心の国際社会から孤立していたミャンマー政府に、中国政府が救いの手をさしのべた格好だった。

 しかし両国の蜜月関係は、ミャンマー政府に「このままでは中国に牛耳られてしまう」という恐れを抱かせたようだ。中国商人はシビアだし、中国政府は影響力拡大のためには手段を選ばないタフな交渉相手だ。彼らはミャンマーに眠る天然資源を取りに来る代わりに、安い中国製品を大量に運び込んでくる。このままだと完全に中国の支配下に置かれてしまうかもしれない。そんな危機感の高まりが、ミャンマー政府が国際社会に向けて再び扉を開くきっかけにもなったようだ。


「カネがすべてだ」とミスター・トーは言った

 ミスター・トーは30半ばの痩せた男で、いつも暇そうに木陰に座っていた。「コオン」という噛み煙草をくちゃくちゃと噛んでいるせいで前歯が赤黒く染まっているので、笑顔がちょっと怖い。
「コオンは歯にもいいし、胃液の分泌をよくしてくれる」
 と彼は主張するのだが、それが事実かどうかはかなり疑わしい。

 本業は貸し自転車屋だが、僕が「今日の売り上げはどうだった?」と訊ねると、肩をすくめて「誰も来なかったよ」と答えるのが常だった。あまり商売っ気のない男なのである。僕が借りていたバイクもミスター・トーのものではなく、彼の友達が持っているバイクだった。彼は紹介料としてわずかなコミッションを得ているに過ぎなかった。

サイカーの運転手
 ミスター・トーが貸し自転車屋を始めたのは、今から12年前のこと。あるカナダ人旅行者と知り合ったのがきっかけだった。そのとき彼はサイカー(三輪自転車タクシー)の運転手をしていて、たまたまお客として乗せたカナダ人が彼のことを気に入り、自転車をプレゼントしてくれたのだ。こうして彼はマンダレー初の貸し自転車専門業者になったのである。

 スタートは順調だった。外国人旅行者は自転車で自由に町を走りたがっていたし、ライバルもいなかったからだ。しかし成功はそう長くは続かなかった。「この商売は儲かる」と気づいた男が次々と貸し自転車業に参入してきた結果、供給過剰になってしまったのだ。

「そこに追い打ちをかけたのが2007年のデモ騒動さ。あれで外国人が誰も来なくなって、収入がなくなってしまった。しばらくは知り合いに借金をして何とかしのいでいたんだが、ついに借金が返せなくなって、自転車5台を取られてしまった。あのときは本当に参ったよ」
「それで、どうなったの?」
「まぁそのあと何とか他の仕事で稼いだ金で借金を返せたんで、自転車は取り戻せたんだ」
「良かったね」
「まったくだよ。あのときは目の前が真っ暗になったからな。今はまた観光客が増えたから、商売はまずまず順調さ。でも、そろそろこの商売は辞めようと思っているんだ」
「どうして? せっかく観光客が増えたのに」
「はっきり言って利益が少なすぎるんだよ。貸し自転車の相場は1台あたり1ドルだ。毎日お客が来てくれるとも限らない。これでは4人の子供を育てるのは難しい。学費だって払わなくちゃいけないし、毎月の家賃も上がっているしね」
「何の商売をするつもりなの?」
「中国で仕入れてきた電気製品をこっちで売る。そういう商売を考えているんだ。懐中電灯とか電池とか蛍光灯とかね。あっちはそういったものが安いから、かなり儲かるはずだ。問題はアイデアはあってもお金がないってことだ。お金がないと中国へ入ることができないし、買い付けもできない。とにかく必要なのは金、お金だよ。お金さえあれば、何だってできるんだ」

サイカーはミャンマー庶民の足だ





 「カネが全てだ」と言い切るミスター・トーだが、彼は決して「カネの亡者」などではなかった。むしろお金に関して真っ正直な人間だった。例えば、バイクのスターターの調子が悪くて修理屋で直してもらったときも、彼は「修理費用はバイクの持ち主に出させるから、あんたが金を払う必要はない」と言ったのだ。彼にその気があれば、僕を騙すのは簡単だった。僕に修理費用を払わせて、それをバイクの持ち主に黙って自分のポケットに入れればよかったのだ。しかし彼はそうしなかった。

 逆に言えば、ミスター・トーのように正直な人間が貧しさから抜け出せないということがこの国の問題なのだと思う。ちょっとした知恵の働くすばしっこい人間や、もともと権力や財力のある人間だけが得をして、コツコツと働く庶民は報われない。それがミャンマーという国のアンフェアな現実なのである。

夕暮れ時、橋のたもとで客待ちをするサイカーの男たち




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