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  たびそら > 旅行記 > ミャンマー編(2013)


ミャンマー人が穏やかな理由


 ミャンマーの国道は舗装もしっかりされているし、交通量も少なくて走りやすい。しかしいつも整備された国道ばかり走っていたのではつまらないので、たまにはわざと田舎道を選ぶことがある。パコックからエーヤワディー川の北側を通ってマグウェの町に向かっていたときも、ちょうどそんな気分だった。あえて悪い道を進むことで何か面白いものに出会えるかもしれないという予感が、僕の頭をノックしたのである。

 しかし、この日の予感はまったくの空振りに終わった。ほとんど人が住んでいない乾燥した草原と丘陵地帯が続くばかりの、とんでもなく退屈な道を走り続けることになってしまったのである。

集落のない丘陵地帯

 ミャンマーの田舎は人口密度が低く、集落が少ない。灌漑農業が盛んな中部の穀倉地帯を除けば、人も家畜もあまり見かけない茫漠とした土地が続くところが多いのだ。

 こうした光景はインドやバングラデシュといった南アジアの国々ではあまり見られない。南アジアでは田舎にもギチギチに人がいて、余裕がないのだ。耕作できる限界まで土地を利用している。しかし人口密度が低い(インドの5分の1しかない)ミャンマーには、手つかずの土地が残されている。町も空き地だらけでスカスカな印象なのだ。

 ミャンマー人が穏やかなのは、土地に余裕があるせいなのかもしれない。退屈な道を走りながら、僕はそんなことを考えていた。お隣のバングラデシュのように常に人と人とがぶつかり合ったり、競い合ったりする必要がなく、のんびりと穏やかに暮らしていける。そうした環境が人の性格にも影響を及ぼしているのではないだろうか。

ミャンマー人が穏やかなのは、土地に余裕があるからなのかもしれない







 道の悪さにも苦労した。もともと交通量の少ない道だから状態が良いわけがないのだが、ここまで大変だとは思わなかった。穴ぼこだらけの道が続くのにもうんざりしたが、それ以上に困ったのは、橋のない川を自力で渡らなければいけなかったことだ。

 ミャンマーの田舎道には、川と交差する場所にあえて橋を架けずに、バイクや車にそのまま川底を走らせる「渡河ポイント」がいくつもある。まだ雨季が終わって間もない11月には結構な量の水が流れている川もあって、渡っている途中にエンジンが止まりはしないかとヒヤヒヤした。

渡河ポイントには思わぬ危険が潜んでいる

 橋を架ける予算がないということなのだろうが、「下手に橋なんて架けても洪水で流されてしまったら元も子もなくなってしまう。だったら最初から橋なんか架けない方がいいじゃないか」というやや捨て鉢気味な発想も見え隠れしていた。

 実際、大きな橋が流されてしまった場所も通りかかった。地図の上ではちゃんと橋が架かっているはずなのに、その橋が消えているのである。コンクリートの橋脚だけがいくつか残されていたが、あとはすべて洪水で流されてしまったようだ。

 おいおい、引き返せっていうのか?
 一瞬、途方に暮れた。川は十分に水位があって、自力で渡ることなど不可能だし、ここが通れないとなると、100キロ以上戻らなければいけない。勘弁してくれよ・・・・・・。

 しかし念のために橋のたもとまで行ってみると、ちゃんと渡し船がいて、バイクごと対岸に渡してくれた。
 やれやれ、助かった。

 わずか1分ほどの船旅の運賃は1000チャット(100円)。ちょっと高い気もしたが、文句を言えるような立場にはなかった。渡してくれただけで十分ありがたかった。

壊れた橋の代わりに渡し船がバイクを渡してくれた

 集落もまばらにしかない道だから、ガス欠も心配だった。前にも書いたようにバイクの燃料計は壊れているから、いつどこでガソリンが切れるかわからないという不安を常に抱えていたのだ。

 もうやばいんじゃないか、止まっちゃうんじゃないか、というところでようやく国道に合流できたときには心底ほっとした。国道に出ればもうこっちのもの。交通量も多いので、ガソリンスタンドを見つけるのに苦労はいらない。

 ガソリンスタンドの従業員は20歳そこそこの若い女の子が多く、バイクから荷物を下ろすのを手伝ってくれたり(荷物を下ろさないと給油口が開かない)、冷えたミネラルウォーターを一本サービスしてくれたりと、とても感じが良かった。ガソリンの価格はほぼ横並びなので、サービス競争が激しくなっているようだ。

ガソリンスタンドの女の子

 不思議なのは、次々と新しいガソリンスタンドがオープンする中で、いまだにペットボトル入りガソリンを売る屋台が堂々と営業を続けていることである。

ペットボトルにガソリンを入れて売る屋台もまだあちこちにある

 値段はスタンドの方が安い。スタンドで給油すると1リットル950チャット(95円)ほどだが、屋台だと1リットル(よりもいくぶん少なめ)で1000チャットなのだ。品質の面でもスタンドの方が信頼できるし、ペットボトル売りだと「満タンにしてくれ」といった融通も利かない。屋台が勝っている要素なんてひとつもないのだ。

ミャンマーにも新しいガソリンスタンドが次々に作られていた

 スタンドがまばらにしかない田舎で、日々のちょっとした給油需要に応えている店なら、まだわかるのである。しかしガソリンスタンドのすぐ隣で平然と営業しているガソリン屋台はいったいどういうつもりなのだろう?

 わからない。僕には全然わからない。ただの惰性か、あるいは僕の知らない奥の手を使って客を呼び込んでいるのか。まったくもって謎である。



牛車の歩み

 ミャンマーのガソリン価格は1リットル100円とアジアの中では平均的な水準だ。しかし小学校教師の月給がたった4000円というこの国では、決して気軽に給油できるわけではない。

 今でも農民の多くが牛車を使っているのは、燃料費がかからないからだ。牛はその辺の草を食べさせていれば働いてくれるし、「副産物」として出てくる糞も畑にまく肥料として使える。まさにエネルギーの地産地消。わざわざサウジアラビアから運んできた石油を燃やす必要はないのである。





牛車を作る男。木製の車輪は大きくて重いが、丈夫で長持ちする。

 牛車はミャンマーの乾いた土地に適した乗り物だ。バイクや自転車だとタイヤが空回りしてしまうような柔らかい砂地の道でも、牛のしっかりとした歩みなら進んでいけるのだ。

 牛の歩みは遅い。ものすごく遅い。
 「効率」と「スピード」を求め続ける資本主義社会が許容できるようなペースではない。
 しかし、穏やかな時間が流れるこの国の人々は、牛歩の遅さを悠然と受け入れている。

 のんびり行こうや。多少時間がかかったって、最後にはちゃんと目的地に着くんだからさ。
 畑仕事を終えて家路につく農夫の背中は、そんなことを語っていた。




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