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  たびそら > 旅行記 > バングラデシュ編(2013)


進化したリキシャ


 バングラデシュを代表する乗り物といえば、なんといっても「リキシャ」である。リキシャとはインドやバングラデシュを走っている三輪自転車タクシーのことで、車夫がペダルを漕ぎ、とても安い料金で短い距離を移動する「庶民の足」だ。ちなみにリキシャという呼称は日本の「人力車」に由来するのだとか。



 僕は2010年にリキシャに乗って日本を一周する旅を行ったこともあって、この乗り物には強い思い入れがある。自称「リキシャを語らせたら日本で一番話が長くなる男」である。いや、ほんとに。

 リキシャの魅力は「合理性から遠く離れた過剰さ」にある。無意味に派手なデザイン。総重量が80キロにも達する無骨なつくり。空力を完全に無視したフォルム。そうした「B級感」や「キッチュさ」こそがリキシャの持ち味であり、良くも悪くもバングラデシュという国を表すシンボルとなっているのである。



 しかし最近になって、そのリキシャに新しい変革の波が押し寄せているという。モーターとバッテリーを搭載した「電動リキシャ(オートリキシャ)」なるものが、急速に普及しているというのだ。

 その真偽を確かめるべく、僕はバングラ第二の都市チッタゴンに向かった。そして街を走るリキシャを一台ずつのぞき込んで、驚くべき事実を知ったのである。なんとこの街を走るリキシャの60%以上が、すでに「電化」されていたのだ。4年前に来たときには、電動リキシャなんて一台も見なかったというのに。

【動画】チッタゴンの街を駆け抜ける電動リキシャ。ペダルがまったく動いていないことに注目。

 電動リキシャの仕組みはとてもシンプルなものだ。フレームに取り付けたモーターの力を、チェーンを介して車軸に送る。ただそれだけである。既存のペダルもそのまま残っているので、もしバッテリーの残量がなくなったら(そういうことはほとんどないようだが)ペダルを踏んで走ることも可能だ。つまり人力と電力の「ハイブリッド」なのである。

電動リキシャに取り付けられたモーターの力は、チェーンと歯車を通じて後輪に送られる。既存のペダル駆動力も残した「ハイブリッド仕様」だ。

 500Wのモーターには十分なパワーがあり、乗客を3人乗せて緩やかな坂道を上ることもできる。座席の下に収められたバッテリーは8時間の充電で12時間走ることが可能だという。ハンドルに取り付けられたスロットルで操作できるので、誰もが簡単に運転できる。最高時速はおよそ40キロ。加速力もなかなかのもので、混み合った市街地であればCNG(天然ガスを使った三輪タクシー)と変わらない速さで目的地に着くことができる。

バッテリーは座席の下に収まっている

ハンドルに取り付けたスロットルでモーターパワーを操作する。乗り味はバイクと同じだ。

「チッタゴンで電動リキシャが走り始めたのは、2009年頃のことだったと思う」
 と教えてくれたのは、1年前から電動リキシャの製造販売を始めた企業のオーナーだった。
「本格的に普及したのはこの2年ぐらいだね。今じゃうちの会社だけで1ヶ月に100台も売れているんだ。注文がさばけないぐらいの人気だよ。値段が安くなったことが大きいね。去年までは1台68000タカ(8万5000円)したんだが、今年は55000タカ(6万9000円)にまで下がったんだ。中国から輸入しているモーターとパワーコントローラーが安くなっている。バッテリーはバングラデシュ製なんだが、これも将来はもっと値段が下がるだろうね」

リキシャにモーターを取り付ける職人



 昔ながらの人力リキシャは1台14000タカ(1万7500円)程度なので、それと比較すると4倍も高価なのだが、得られるメリットは価格以上だとオーナーは強調する。目的地までの移動時間が短くなるから、運賃を高く設定することもできるし、リキシャ引きの疲労が軽減されることで、一日に運べる客の数も格段に増える。「収入が増えるから、リキシャ代なんてすぐに回収できるよ」とオーナーは自信たっぷりだった。



電動リキシャ誕生の物語


 リキシャで日本を一周していたとき、何度となく「こいつに電動アシストがついていれば、さぞかし楽だろうなぁ」と思ったものだった。リキシャという乗り物は重量が80キロもあるせいで、平らな道でも立ち漕ぎが必要なほどペダルが重かったのだ。変速ギアもないから、ちょっとした上り坂でもリキシャを降りて歩かなければならなくなる。バングラデシュは平坦な国なのでまだマシだが、山の多い日本では致命的な欠点だった。(一番大変だったのは箱根越えだった・・・)

 リキシャの欠点はペダルの重さだけではなかった。効きの悪いブレーキや、空気抵抗を受けまくる幌、座り心地の悪い座席などなど、数え上げたらきりがないほど問題だらけの乗り物だったのである。

リキシャの座席を作る職人

 どうしてリキシャはこんなにも乗りにくく、壊れやすいのか。リキシャ工房の職人たちに訊ねてみたことがある。
「なんとかできないのかい?」
 しかし職人たちはこう口をそろえた。
「リキシャってのはこういうものだからね」
 昔からペダルは重かったし、座席は硬かったし、ブレーキの効きも悪かった。それでもみんな乗っているんだから、いまさら変える必要なんてない、ということらしい。

 以前からあるものを何の疑問も持たずにそのまま継承する。ほとんどのリキシャ職人がこうした既成概念の枠の中で仕事をしていた。問題点を改善し、よりよい製品を作ろうという人は見当たらなかった。だからこそリキシャは何十年ものあいだほとんどその姿を変えなかったのである。生きた化石シーラカンスのように。



 実際のところ、電動リキシャで使われているテクノロジーは目新しいものではない。昔からあるモーターとバッテリーを組み合わせただけだから、10年以上前に普及していても不思議ではないのだ。それができなかったのは「リキシャとはこういうものだ」という思い込みにとらわれていたからだと思う。「コロンブスの卵」の例にあるように、既成概念を打ち破るのはそう簡単なことではないのだ。

 「リキシャとはこういうものだ」という先入観を打ち砕き、電動リキシャが生まれるきっかけを作ったのは、中国で開発された「電動輪タク」だった。後部座席に6人の客を乗せられる電動輪タクは、10年ほど前からバングラデシュにも輸入されるようになり、主に地方都市で普及していたのだが、13万タカ(16万円)以上という価格がネックになって、爆発的人気には至らなかった。

中国製の電動輪タクは本格的な普及には至らなかった

 電動リキシャは、この電動輪タクの部品をそのまま流用し、値段を半額以下に抑えたことで一気に広まった。外観や乗り方が既存のリキシャと同じだったことも、普及の手助けになったのだろう。つまり電動リキシャの誕生には、それとほとんど同じ機能を持つ電動輪タクの登場が不可欠だったわけである。残念ながら「バングラ人オリジナルの発明」とはとても呼べない代物なのだ。

電動リキシャのパワーコントローラーには中国語の文字が見える。部品はすべて中国からの輸入品なのである。

 これがもし日本だったら、状況はずいぶん違っていただろう。国民的乗り物が何十年ものあいだ何の変化も加えられないまま放置されるなんてことは、日本ではあり得ないはずだ。技術者がアイデアを競い合い、少しでも安全で快適な乗り物にしようと努力するだろう。

 日本の企業は小さな改善を積み重ねて、現行の製品をバージョンアップしていくのが得意だと言われる。自動車の燃費を何十年にもわたってこつこつと改善してきた歴史がその代表例だ。それに対してアメリカ人は大胆な発想の転換で、まったく新しい製品と新しい市場を作り出すのが得意だ。パソコン、インターネット、検索エンジン、スマートフォン、SNSなどは、数多くの失敗を繰り返しながら生まれた革新的なイノベーションの好例だ。

 そんなわけで、ビジネス誌には「日本人にはイノベーティブな発想が欠けているから、アメリカ人を見習うべきだ」という主張が載ることになる。しかし広く世界を見渡してみれば「イノベーションどころか、小さな改善を積み重ねることができる国民ですら稀だ」という事実が浮かび上がってくる。

 この世界は「横並び」がデフォルトなのだ。競争よりも共存を目指し、先行者よりも「二匹目のドジョウ」になることを狙う。それが人間の――もっと言えば生物の――本質なのではないだろうか。

 革新的な技術はもちろん素晴らしい。でも「今あるものをよりよいものに作り替えていく」という地道な努力もまたこの世界には必要なものなのだ。



電動リキシャが開く未来


 ここに電動リキシャの可能性を感じさせる一枚の写真がある。



 お気づきだろうか?
 このリキシャ引きの両足が切れていることに。

 彼の姿を最初に見たとき、僕はまず我が目を疑った。
 信じられなかったのだ。「足のないリキシャ引き」がいるなんてことが。

 しかしそれは僕の見間違いでも空想上の産物でもなかった。彼は電動リキシャという新しいテクノロジーのおかげで、足がなくてもリキシャを運転できるようになったのである。

 福祉制度が整っていないこの国では、彼のような身体障害者の多くが物乞いをせざるを得ない状況に追い込まれている。自らの障害を「武器」にして、道行く人にお金を恵んでもらう。哀れみと蔑みの目で見られることと引き替えに、いくばくかの小銭を受け取る。そうすることでしか生きていけない人々が大勢いるのである。



 「足のない男」がリキシャを引くことで得ているのはお金だけではない。健常者と同じように働くことによって、彼は自尊心や生きがいを感じることができているのだと思う。

 大いなる可能性を秘めている電動リキシャだが、その普及にはまだ課題も多かった。実は首都ダッカではいまだに電動リキシャの走行が禁止されているのだ。ただでさえ電力需給が逼迫しているダッカで、もし電動リキシャが普及したら、停電が頻発しかねない。政府はそれを恐れているのである。1台の電動リキシャが必要とする電力は微々たるものだが、それが何十万台にもなれば無視できなくなるというわけだ。

 もともと政府はダッカからリキシャを排除する方向で規制を強めていた。スピードが遅いリキシャは渋滞の原因ともなるので、ダッカを近代的な街に発展させたいと願う人々から目の敵にされているのだ。すでに幹線道路の多くはリキシャの走行が禁止されている。カルカッタから人力車が閉め出されたように、バンコクからトゥクトゥクが消えつつあるように、ダッカからリキシャが消える日もそう遠くはないだろう――2,3年前まではそう考えられていた。

リキシャ引きは肉体を酷使する過酷な仕事だ。電動リキシャは彼らのタフな人生を楽にすることができるだろうか。

 しかし電動リキシャの登場で、この状況が変わる可能性が出てきた。ガソリン車やCNGと同レベルの加速性能を持つ電動リキシャは、渋滞の原因にはならない。しかも騒音も排気ガスも出さない極めてエコな乗り物なのである。確かに電力は今よりも必要になるだろうが、トータルのエネルギー効率で見ればガソリン車よりも優れているのは明らかなのだから、むしろ積極的に電動リキシャを推進するべきだと思う。

 政府が本気で取り組めば、てんでばらばらな電動リキシャに統一規格を設けて、関連産業を国内で育てることもできるはずだ。モーターやパワーユニットを中国からの輸入に頼らず、国内で作れるようになれば、新しい雇用も生まれるだろう。

リキシャに独特のペイントを施す職人

 そのうえでリキシャの特徴である派手でキッチュなデザインは、さらに趣向を凝らしたものにしていけばいい。そうすればユニークな乗り物として外国人旅行者にも大いにアピールできるだろうし、ダッカのイメージ向上にも一役買うはずだ。

 新しいテクノロジーと古い伝統とが融合した電動リキシャが、バングラデシュの新しい未来を切り開くかもしれない。

ダッカの東にあるリキシャの墓場。使い物にならなくなったリキシャがおよそ千台近くも捨てられている場所である。電動リキシャの普及は、このような古いリキシャの再生の道を切り開くかもしれない。


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