カンボジア随一の名所・アンコールワットを訪れる観光客の数は、ここ数年で大幅に増加した。ドイツ人や中国人も目立っていたが、一番多いのは日本人だった。2003年にカンボジアを訪れた外国人旅行者70万人のうち、日本人が8万8千人を占めて第一位だという。内戦が終結してかなりの年月が流れ、国内情勢も安定してきたので、「カンボジアは安全な国だ」という認識が一般にも広がったのだろう。

 観光客の質もがらりと変わった。今までカンボジアを訪れる旅行者の主流だった若いバックパッカーは目立たない存在になり、団体バスツアーでやってくるお年寄りばかりが目に付くようになった。この傾向は以前よりも遙かに多くのお金がこの土地に落ちるようになったことを意味している。なにしろバックパッカーというのは「いかに節約して旅をするか」が一大任務のような旅行者だからだ。

 観光客の増加に伴って、アンコールワット観光の根拠地であるシェムリアップの町は大きく発展していた。三年前にはひとつも見かけなかった信号機が新しく作られ(守らない人も多いから、効果のほどは疑問だけど)、郊外には高級ホテルの建設ラッシュが続いていた。道のいたるところに大きな穴ぼこが空いていて、そこを走る車が激しい縦揺れに襲われるために「ダンシングロード」と呼ばれていた国道6号線も、舗装が行き届いてずいぶん走りやすくなっていた。



 しかし経済的に発展し、豊かな消費生活が生まれつつある町とは対照的に、郊外の農村には昔と変わらないのどかな田園風景が広がっていた。水田と椰子の木が続く道を、ノロノロとしたスピードで進む二頭立ての牛車。井戸から汲んできた水をバケツに入れて家まで運んでいる子供。死んだように眠っているのか、眠ったように死んでいるのか、見分けのつかないような野良犬。そのような平穏で退屈な光景が延々と続いているのだった。

 モムとレアの住む家もそんな農村の一角にあるのだが、四人の娘のうちレアを除く三人が近くにあるバコン遺跡で観光客相手の物売りをして家計を助けているので、一家の暮らしは付近の農家によりもいくらか豊かだった。家屋は土台にコンクリートを敷いた二階建てだし、家の中には白黒テレビやラジカセなどの電化製品も揃っていた。村にはまだ電気が通っていないのだが、その代わりに各家庭のバッテリーを自家発動機を使って充電する「バッテリー屋」がいて、そこにお金を払って電気を買うというシステムになっているのだ。

 驚いたことにモムの家には携帯電話まであった。発展を続けるシェムリアップの町だけにとどまらず、携帯電話の普及は農村にまで及んでいるのだ。しかし電気も水道も通っていない村の中で、携帯電話を使って連絡を取り合っている姿は、僕の目にはかなり奇妙なものに映った。

 僕らは文明の利器の導入というものを、つい段階的なものとして考えがちだ。たとえば、まず最初に水道が来て、それから電気が来て、冷蔵庫が来て、テレビが来て、コンピューターが来て、携帯電話が来る、というように。しかしカンボジアの農村のように、ごく最近まで昔ながらの暮らしを続けていたところでは、大がかりなインフラを必要としない最新技術から先に普及していくのである。下水道が来る前にVCDカラオケが普及し、電気が通る前に携帯電話で話をする。

 こうした「間に合わせの」電化はあくまでも個人の現金収入に頼ったものだから、その恩恵に預かっている家庭はまだまだ少ないのだけど、アンコールワット観光の発展が農村の経済にまで影響を及ぼし始めているのは間違いなかった。



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