写真家 三井昌志「たびそら」 アジア旅行記 フォトギャラリー 通信販売 写真家・三井昌志プロフィール ブログ

 写真家・三井昌志の2冊目の著作「素顔のアジア」は、2004年から2005年にかけて旅した国々を写真と旅行記で綴るフォトドキュメンタリー(写文集)です。
 足かけ2年にわたる旅の軌跡を、アジアの人々への思いを、ぜひこの本から感じてください。

 写文集「素顔のアジア」は絶版になりました。
 本の内容はCD-ROM2004CD-ROM2005でカバーされています。数多くの未公開エピソードと高画質写真も入ったCD-ROMをぜひお買い求めください。




 僕は目を閉じて、今までに通ってきたツナミエリアの惨状をひとつひとつ思い出していった。カルタラ、ヒッカドゥワ、ゴール、ウェリガマ、ハンバントタ、キリンダ。これら破壊された町を歩いているときに、僕の頭には何度も浮かんだのが「Life goes on」というフレーズだった。

 悲しみ、嘆き、怒り。そういうものを乗り越えて、やはり人は生き続けなければいけない。朝が来て、夜が来て、また朝が来る。津波のあとも日常は続いていくのだ。

 そしてやはり祈った。僕は仏教徒ではないけれど、せめて何かに向かって祈る気持ちだけは、この場にいる人々(そして同じように祈っているだろうスリランカ全土の人々)と共有したかったのだ。

「Life goes on」 (スリランカ編)より


 津波で壊滅的な被害を受けたアチェ州ムラボーの復興現場には、絶えず笑い声が響いていた。どの顔も生き生きとしていた。僕は人々の明るさと背後にある凄まじい破壊とのギャップに困惑した。

 ムラボーの町を歩き回る中で、僕はこう考えるようになった。「やるべき仕事がたくさんあるから、人々は笑顔でいられるのではないか」と。
 アチェの復興は人手に頼らざるを得ないから、復興には長い時間がかかるだろう。しかし住民が自分の手と足を使い、汗を流して働くことによって、最悪だった状況は少しずつ良くなっていく。そのような復興への確かな手応えを感じているからこそ、人々は笑顔でいられるのではないだろうか。

 人間にはどんな境遇にあっても明るく逞しく生きていく力が備わっている。深い悲しみの中に喜びの種を見出すことができる。アチェの人々が僕に教えてくれたのは、そんなシンプルな事実だった。

「世界一の笑顔」 (インドネシア編)より


「ここの子供達は毎日を生きるだけで精一杯なんです。ここはあなたの国とは違うんです。例えばパイロットになりたいという子供がいても、ネパールには飛行機がほとんどない。医者になりたくても病院がないんです」
「夢なんて見ない方が幸せだってこと?」
「そうですね。彼女にとってはその方が幸せかもしれません」

 それは僕にとってとても重い一言だった。確かにネパールの山村はとても貧しいし、遠隔地であるために外の世界からの情報もあまり入ってこない。そのような現実を生きる人々には、安易な夢を抱くような余裕はないのかもしれない。
 それでも僕にはサリタが一度も夢を見たことがない子供だとはどうしても思えなかった。夢を見たことのない子供があのような瞳の輝きを持ちうるはずがない。昔も今も、彼女なりの夢を持っているのではないか。今はそれを表に出せないだけなのではないのか。

「まっすぐな瞳を探して」 (ネパール編)より



 頭からつま先まで全身をすっぽりと覆ってしまうブルカは、アフガン人の間でも評判が良くなかった。とりわけタリバン政権によって迫害を受けていた少数民族のハザラ人やタジク人達にとって、ブルカが「抑圧のシンボル」であったのは確かなようだ。

 今ではブルカを被るのも被らないのも、個人の裁量に任されている。ブルカを脱ぐ女性の数は、おそらく今後もっと増えるだろう。
 それでも、バーミヤンの青空の下で見るブルカは、抑圧のシンボルであることを越えた美しさがあった。吹きつける強い風にたなびく青いブルカは、まるで大きく羽ばたく鳥のように見えた。三六〇度どこを見渡しても乾いた土の色しかない土地にあって、その鮮やかなスカイブルーは一瞬にして僕の網膜に焼き付いたまま、いつまでも離れなかった。

「バーミヤン・楽園の風景」 (アフガニスタン編)より