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■ 旅の質問箱「洗濯問題、その他」

実は最近「旅」をしてみたいのです!!
前からどこかに行ってみたいと思っていたのですが、三井さんの写真集やblog閲覧してみて、切に旅をしてみたいと感じます。
春休みに近場で良いから行こうと思ったのですが、、、、パスポートがまだとれなくて今回は諦めました。。。夏にしぶしぶ変更です(泣
そこで三井さんに質問なんですが

1、いくらカメラが言語になるからといっても少しは言語もできないとキツくないですか?(宿舎での交渉など)
2、カメラなどの充電はどのようにして行っているのですか?日本と違ってコンセント違いますよね?
3、着替え等の洗濯はできるんですか?
4、食に対してちゃんと対処することができていますか?
5、最低限必要な持ち物はなんだと思いますか?(一眼はもちろんですよね☆)

皮を覆った日本人みたいな質問ばかりですいません。
「そんなの行って体験してみろ!」って言いたくなりますよね・・・
本当に稚拙ですみますん。でもやっぱり不安感が拭いきれないんです。。。
(ちなみに今はミャンマーに行ってみたいと思っています^^)


■ 三井の答え

 確かにすごくベーシックな質問ですが、あなたがまだ旅を一度もしたことがなくて、日本語の通じない外国を旅するという状況がなかなか想像できないのだとしたら、不安に襲われるのも無理のないことだと思います。僕だって、最初の旅に出るまでは不安でした。まぁ洗濯の心配まではしていなかったけれど。

 さて、僕の答えですが、
 (1)については全然きつくありません。旅行記にも何度も書いているけれど、我々にはボディーランゲージがあります。ノープロブレムです。

 (2)については、世界対応の変換プラグがありますから、それを買えば問題ありません。僕は「サスコム」というやつを使っていましたが、この製品の方が安くて小さくていいみたいですね。

 (3)の洗濯は、もちろん自分で洗っていますよ。観光地などではランドリーサービスもあるけれど、あまり使いませんね。僕のようにほぼ毎日違う宿に泊まる移動派の旅人には、洗濯したはいいけれど、次の日の朝までに乾くかどうかが、切実な問題だったりします。幸いにしてフィリピンの宿には小型の扇風機が備えてある場合が多いので、風の力を借りて一晩で乾かすことができます。乾かない場合には(スマトラ島ではだいたいそうでしたが)、生乾きの衣類をそのまま着て出かけます。そうするとそのうちに乾いてきます。あまり気持ちの良いもんじゃありませんが、シャツが臭くなるよりはマシなのです。

 (4)の食べ物については、かなり個人差があるのではないかと思います。こればっかりは、あなたが実際に旅に出てみないことにはわからない。幸いなことに、僕は何を食べても平気だし、生水を飲んでもお腹を壊したことはありません。ひとつはっきりと言えるのは、旅の期間が長くなれば体は自然と現地にアジャストするものだということです。

 (5)の必需品も人によって違うでしょうね。僕にとって絶対に必要なのはカメラとパソコンですが、それは写真家としての装備であって、旅人全般に言えることではありません。それ以外では・・・特に思いつかないですね。ほとんどのものは現地で手に入りますから。もし、あなたが使い捨てコンタクトレンズをお使いなら、それは持っていった方が良いですね。アジアじゃ買えません。あとはIpod。これは必須ですね。

 初めての海外旅行先にミャンマーを選ぶのは、なかなかグッドアイデアだと思います。いろいろな意味で日本とは違う国だし、きっと「これがアジアなのか」という驚きを体感できるだろうと思います。




■ 旅の質問箱「民族対立について」

日本では、周囲の国々との歴史問題が常に取り沙汰されていますが、やはり三井さんが旅されている中でもそのような隣国隣人(民族間)の問題というのはしばしば体験されることなのでしょうか。
私が聞いたのは、タイとミャンマーの確執。ミャンマーに黄金の寺院が多数あるのはタイから金を全部持ち出したため、と現地人から(怒りを込めた)説明がありました。
そして、今は地域内優等生のタイへカンボジアやミャンマーから多数出稼ぎに来ていて、それがまた摩擦を生んでいるということ。
また、マレーシアへのスマトラからの出稼ぎ労働者も社会不安を引き起こしているそうです。
引ったくりやスリなど、犯罪が増加している一因になっているのです。

三井さんは人々の笑顔を撮るという目的がありますから、基本的にそういった確執のない状況を歩かれていると思うのですが、やはり隣人間のトラブルは人類の永遠のテーマなのでしょうか。
少子高齢化で外国からの出稼ぎを受け入れるかどうか、などという話も日本では出てきていますが、
その辺の問題がどうしても引っかかって、自分の中ではなかなか前向きな方向で考えられないのです。

(注: この質問は通常の感想メールとしていただいたものですが、「旅の質問箱」で答えるのが相応しいと判断しました)


■ 三井の答え

 民族問題というのは、なかなか根深い問題です。旅に出ると、僕はそのことを強く感じます。
 僕が旅しているのは、あなたがおっしゃるのとは反対に、むしろ「確執がある」地域が多いように思います。スリランカ内戦の傷を引きずるタミル人自治区にも行きましたし、多くの民族を抱えるアフガニスタンや、旧ユーゴ紛争の中心地であるボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボにも行きました。
 僕は民族対立の場を旅の目的地に選んでいるわけではありませんから、これは「民族対立というのは、世界中にありふれたものなのだ」という事実を示しているのだと思います。あくまでも僕の体験を通しての意見ですが。

 現在、僕はインドネシアのスマトラ島という日本列島よりも広い面積を持つ島をバイクで横断しているのですが、このスマトラ島にも津波で有名になったアチェの民族独立問題が存在します。去年にインドネシア政府とアチェ独立を求めるゲリラとの間で停戦が結ばれて、今のところアチェ州は平和が保たれているのですが、スマトラ島の他の州に住む人々は、「アチェはとんでもなく恐ろしいところだ」という思い込みをいまだに強く持っています。
 だから僕がアチェをバイクで旅してきたというと、決まって「怖くはなかったか?」と聞かれるのです。「怖いも何も、とても平和だったよ」と答えると、「そりゃ運が良かっただけだ」と言うのです。

 人がもっとも恐れるのは未知のことです。自分の知らない土地、知り合いのいない土地というのは、基本的に恐ろしいところなのだ、という思い込みは誰もが持っているものです。
 結局のところ、偏見というのは「自分の知らない土地に住む、知らない人々」に対して抱くものなのです。未知のものは怖い。だからとりあえず「彼らは○○だ」というレッテル貼りをする。それでわかった気になって、安心を得るのです。
 言葉が違う、文化や風習が違う、食べ物が違う、宗教が違う、肌の色が違う。人は様々な違いから、「我」と「彼」とを区別したがります。そしてその違いを誇張し喧伝して、自分の権力のために利用してきたのが政治家なのです。
「彼らは我らとは違う。だから彼らは敵になる可能性がある。我々はそれに対して備えなければいけない」
 そういうことを言っている指導者は、今も昔も世界のいたるところにいますね。

 ところで、僕がスマトラを旅する際に頼りにしているのは、たった一枚の地図「200万分の1・スマトラ全図」だけです。主な道路と町の名前が書いてあるだけ(それさえもときどき間違っている)。それ以外の情報は、その町に着いてから収集するわけです。
 旅行者は皆無。どこに何があるのかも分からない。そういう状況は多少不安ではあるけれど、怖さは全くありません。むしろ次に何が待っているか、どんなトラブルに巻き込まれるのか、楽しみなのです。
 そういうことを地元の人間に言うと、「お前はクレイジーだ」と笑われます。まぁ確かに多少クレイジーなところはあるかもしれない。しかし僕はどこかで信じているのです。人の性善説を。
 生まれもって悪い人間などいない。もしそうなのだとしたら、違う民族や違う国に住む人が、自分とそんなに違うわけはない。わかりあえないはずはない。そういうことを、心のどこかで信じている。そうでなかったら、こんな無茶な旅はできません。

 僕が旅の中で知り得た真実のひとつ。
 それは「笑顔に国境はない」ということです。
 シンハラ人もタミル人も同じように笑います。バッタク人もアチェ人も同じように笑う。日本人も中国人も同じように笑う。
 その真実を前にすれば、乗り越えられない違いなんてありません。僕はそう思います。前向きにいきましょう。


■ 質問者の綾森さんからのお返事

旅の道中お忙しいところ、丁寧なご回答をいただきありがとうございます。
実は疑問のメールを送信させていただいた日の夜、三井さんがアチェやスリランカ、ボスニア等、
紛争地帯を歩かれていたことを思い出しまして、自分の疑問は愚問ではなかったかと考えていました。
同時に紛争地域で撮影された笑顔はどうしてこんなにも素晴らしいのか、見るものに感動を与え得るのか、その矛盾にむしろ戸惑いは大きくなるばかり。
しかし、今回ご回答をいただいた中で、人間は思い込みを起こしやすく、異質な存在に対する恐怖を常に感じていること。その思い込みから対立が容易に起こり得る構造が見えてきました。
確かに人間は生まれてきた時、何も思想に色のついていない透明な状態なのでしょうから、いかに年を重ねる中での思い込みの蓄積が大きく作用しているか、ということなのでしょう。
笑顔は万人共通なものということに納得できました。

私には三井さんのように世界中で笑顔を受け取ることはできそうにありませんが、性善説を信じたいという思いは強く持っています。
お話を聞いて、前向きに生きていけるような気がしてきました。

私とのやりとりメールは(氏名も含め)、ぜひブログでご活用ください。
綾森 康二


■ 三井から

 僕がアジアを旅するのは、そこに自分が暮らす日本の日常とは違った風景があるからです。「違い」や「差異」を求めて旅をしているわけです。
 僕がその「差異」を強く感じるのは、その土地と人々の生活とが結びついた場所――つまりは田舎――であることが多いのです。都会というものは日本でもアジアでも比較的似通った生活スタイルになるものだから。
 実は今もスマトラ島の東の端にあるバンダランプンという(スマトラの中では)大都会にいて、あまり街の中を歩く気にもなれなくて、宿でパソコンに向かっています。

 アジアには多様な暮らしぶりがあり、多様な文化がある。そのことを直に感じるために、僕はわりかし辺鄙なところを旅しています。そしてその多様な暮らしぶりを写真に収めています。
 しかしそれと同時に、その多様な暮らしぶりの中に、ある種の普遍性を認めないわけにはいかないのです。民族の違いや宗教の違いを超えて、誰もが生まれながらに持っているもの。そのひとつが「笑顔」なのではないかと思うのです。

 あるいは「笑顔には国境がない」というメッセージは、ありきたりで陳腐に聞こえるかもしれません。そんなこと言ったって、世界には対立や紛争がなくならないし、現実の厳しさから目を背けているだけではないかと。
 だからこそ、僕は写真を撮り続けています。多くの人々の姿を、その美しさを切り取った写真というフレームを、何百何千と積み重ねていくことによって、浮かび上がってくる「何か」があると信じているのです。




■ ニート・フリーターについて

はじめまして。こんばんは。
最近になって偶然「たびそら」を発見して、色々見ては遊んだりしています。
始めに私の簡単な自己紹介を。年齢は21歳のフリーターでプライベートな夢は世界を旅して色々見てみたいと思っている奴です。
と言っても最近はこのまんまフリーターじゃまずいよなぁ・・・と就職活動なんかしてあれが無いとダメ、これも無いとダメと焦燥感に煽られながら狭い日本で右往左往している若者です。

さて、本題の質問です。
私を含む、最近はフリーターやニートと言った人が増えてこの先どうすればいいんだろと悩んでいる人が多いと言われています。
初めて旅に出る時と同様、最初の一歩を踏み出せずにいる人が多いと思っていますが、若者バッシングの言葉として定着していますね。
レールに乗れず、仮に乗って仕事得ても毎日過労とストレスの連続。どっちが豊かでどっちが幸せなのか。
三井さん自身はこういった人の増加や今の日本の社会にどういう印象を持ち、どのような意見を持っているのでしょうか。是非、聞いてみたいです。


■ 三井の答え

 僕は25歳の時に、それまで勤めていた会社を辞めました。自ら進んでニートになったわけです。
 僕が会社を辞めた理由はいろいろとあるけれど、簡単に言ってしまえば「自分が本当にやりたいことをやってこなかった」という事実に気が付いたからだったと思います。成功しても失敗しても、「やれるだけのことはやったんだ」という手応えのようなものが、僕には欠けていた。何となく流されるままに生きていたんです。

 会社を辞めるときに、「5年間は好きなことをやろう。そして30歳になったときに上手く行っていなければ、また違う道を探そう」と決意しました。
 ずいぶんアバウトな決意でしたが、まぁなんとか30になった時点で、この道で食べて行けそうだという手応えを得た。だから今もこうして旅をしながら写真を撮っているのです。
 今から振り返ってみれば、ニートだった数年間は僕にとって必要な時間だったと思います。だから僕は「ニートはダメ」という決めつけには反対します。数百万人もいる人間を、一括りにできるわけがないからです。

 ある時期、特に二十代の前半をニートやフリーターで過ごすことは、特別悪いことではないと僕は考えています。ニートであろうがフリーターであろうが会社勤めであろうが、本人が「生き生きとしている」状態であれば、それでオッケーなんじゃないかと思うのです。どこに属しているのか、収入がいくらあるのかは、たいした問題ではない。
 僕は今、個人営業の自由業者として生計を立てていますが、会社を辞めないでサラリーマンを続けていたら、今よりも多くの収入を得ているだろうと思います。でも、そのことについて特に後悔したことはありません。
 僕は安定した収入と引き替えにして、自由を手に入れたんだと思っています。そして自由であることは、僕にとってもっとも大切なことなのです。

 もしあなたが「俺はフリーターだけど生き生きと暮らしている」と胸を張れるのなら、まったく問題ありません。そうでないのなら、そうなれるような道を模索するべきです。本当にやりたいことを実現できる方法を探ってみてください。
 いずれにせよあなたは21歳と若いのだから、それほど焦る必要はないと思いますよ。


 最後に質問とは直接関係のない話を少し。
 2005年も終わりにさしかかってきましたが、僕が個人的に選ぶ2005年度の流行語は「脱フリ」です(流行はしていないんだけど・・・)。
 たしかアルバイト雑誌か何かの広告コピーだったと記憶しています。大きなポスターに「脱フリ」とだけ書かれていた。それを見た瞬間、「この言葉を考えたコピーライターはすごい!」と思いました。「脱フリ」という三文字に必要十分な意味が全て込められているからです。
 フリーター人口の増加や、上向きの景気、団塊の世代の退職に伴う労働力不足の予感、そういったものが「脱フリ」という言葉に表されている・・・・というのは、いささか考えすぎでしょうか。
 しかしこの言葉があまり流行しなかったということは、「脱フリーター」の流れはまだ大きなものではない、ということなのでしょうね。




■ ムスリム男性からのアタック


 私はパキスタン人との交流があります。仕事関係です。34歳で独身なのでパキスタンに行くとすごい好奇な目で見られます。「何故結婚しないの?」と非常に聞かれます。なんとか誤魔化しているのですがそれを狙ってか、アタックしてくる男性もいます。
 日本で仕事していると、結構30を過ぎても独身でいる女性は多くいますし、結婚に対してそんな重要視していない社会になってしまいましたよね?(←なんか言い方が変ですけど・・)

 仕事ではパキスタンの人とこれからもずっと良いおつき合いをしていきたいと思っています。
 でも、いつもそんなことを聞かれるのでちょっと辛いんです。
 大家族構成で家系を重んじる社会と日本の社会はまったく違います。私にはその違いがわかりますが、パキスタンの人は「何故、親と住まないんだ?」「何故、親戚と一緒に暮らさないんだ?」と本当に不思議がるんです。なんか私が悪いことしているような罪悪感さえ感じることがあるくらいに・・。

 要するに「重たく」感じることがあるんです。そういうイスラムの人たちとどうやってうまくつきあっていけばいいのか三井さんの意見を聞きたいです。
 自分ではパキスタン人の特徴を掴んでいれば、時には「合わせられる部分」もあると思うのですが、そういった特徴みたいなものってあるんですか? 例えば日本人は「シャイ」みたいな・・。
 なんか「質問」というより、人生相談みたいになってしまってすみません・・(^^;)


■ 三井の答え

 僕は女性ではないので、直接に迫られた経験はないのですが、イスラム圏を旅したことのある女性旅行者からは、男性から求愛されて困ったという話をよく聞きます。パキスタンで、「俺と結婚してくれ!」という言葉を誰からもかけられなかった若い女性旅行者は、ほとんどいないんじゃないかな、というぐらい。
 しつこいことで有名なのは、パキスタンとトルコです。日本人と見ると反射的に声を掛けてくるような輩が特に多いようです。これは例えばイタリア人が日本の女の子を口説いて回る、というのとはわけが違います。
 イスラム圏の男性は、一部の例外を除いては、女性にとても飢えています。パキスタンやアフガニスタンやイランなどでは、自由恋愛というものが社会的にあまり認められていないし、女の子は年頃になると、家族以外の人目をはばかるようになる。そういうところに、チャドルで顔を隠してもいない、つまり素顔を堂々と晒している外国人女性が歩いていると、それだけで若者たちのテンションが上がってしまうのは仕方がないところでしょう。
 もちろん、「日本人と結婚できれば、日本で仕事ができる=金持ちになれる」という気持ちもあります。実際に日本人女性と結婚して、日本で職を得て、豊かな生活を送れるようになった、というサクセスストーリーは珍しくないし、それを又聞きの又聞きぐらいで知って、「下手な鉄砲かず撃ちゃ当たる」式にあたり構わず声を掛ける人間がいるのも確かです。

イランのブルースリー氏。彼がしつこく求愛しているわけじゃありませんが。

 これは日本人に限ったことではありません。今年モロッコに行ったときに、英語が話せる土産物屋の若者やガイドと話をしたのですが、彼らに「恋人はいるの?」と聞くと、「いるよ。外国人だけれど」という答えが返ってきたのです。
「どうして外国人なんだい? モロッコの女の子はとても美人じゃないか?」
「モロッコ人は綺麗だよ。でもね、『関係』を持つためにはね、向いていないんだ」
 彼が言う『関係』とは、セックス、婚前交渉のことです。モロッコはパキスタンに比べればずっとヨーロッパに近いし、ライフスタイルも近代化しているのだけど、やはり結婚までは処女でいるべきだという考え方がまだまだ強いのです。
 しかし男性の性欲というのは、いくら社会的に縛ろうとも、厳然としてある。その行き場のない欲望は、モロッコを訪れる外国人――特に多いのがフランス人とスペイン人――に向けられる、というわけです。

 このように外国人旅行者がモテる、というのはある程度万国共通なのだけど、日本人が特によく声を掛けられるのも事実です。そうなるのには、それなりの理由があるようです。
 まず、小さい。かわいらしい。ドイツ人やカナダ人のやたらがっちりとしたバックパッカー女性に比べれば、ほっそりとして、(欧米人に比べれば)か弱そうに見える日本人がターゲットになりやすいのは、まぁ頷ける話です。北斗明みたいなたくましい女が好きだという佐々木健介のような男は、世界でも相当なマイノリティーなわけです。
 それから、日本人女性ははっきりと「ノー」と言えない、ということもよく聞きます。もちろん、「さっきからイヤだって言ってんだろ、バカヤロー!」と啖呵を切る、あっぱれな女の子もいますが、普段言い慣れていないことをとっさに言うのは難しいもの。だから態度を曖昧に保留したまま、結果的に相手をその気にさせてしまう、ということになるのです。
 ですから、もしパキスタン人に結婚を迫られた場合は、はっきりと「その気はない」という意思表示をするべきだと思います。日本人のように「態度や表情から読み取ってよ」というのは無理な話で、きちんと言葉にしないと、伝わらないと思います。

 それから、イスラム圏の人々が結婚について、家族について、熱心に知りたがるのは、プライベートを根掘り葉掘り聞こうという意図があるわけではなく、それが彼らにとって当たり前の挨拶(日本人にとっての天気の話や、景気の話)みたいなものだからだ、ということも理解してあげてください。
 彼らにとって家族はもっとも大切なもの。だから父親の名前や、母親の名前、父親の職業、兄弟は何をしているのか、といったことを聞きたがるのです。それが他人を知るための第一歩であると考えているのであって、他意はないのです。

 価値観や家族観、あるいは人生観が大きく違う異国の人々と、話をし、理解し合うのはとても難しいことです。そのことを僕は旅先でいつも感じています。言葉だけではなく、いろんな壁がある。
 それでも、そういう困難さに直面することによって、日本では得ることのできない新鮮な体験を得られることも多いし、だからこそ異国を旅するのは面白いのです。
 面倒なことも多いですが、どうぞあなたなりの「異文化交流」を楽しんでください。




■ 写真家になるには


 初めまして。私は現在教員を目指している大学3年生です。「アジアの瞳」を書店で見つけ,そこから「たびそら」を拝見させていただきました。なぜこの本と出合ったかというと,この本を買う数日前まで1ヶ月程インドへいっていたことが大きな原因の一つです。
 教師になりたいと思う一方で,まだまだ自分の目で確かめたい現実があることを知り,教師になる前に世界を見て,伝えるような活動をしたいと思っていました。
 そこでフォトジャーナリストである三井さんにメールさせていただきました。「フォトジャーナリスト」として活動し,本を出版するということがいかに困難なものかを知りたいのです。
 そして,三井さんがどうそれを成し得たのでしょうか,ということが知りたいです。
 これは教員になっていくための手段であり,これ自体も目的であります。自分一人でできることには限界がありますし,世界を見て伝える事以上に教育の現場というものは狭い範囲でしか活動できません。
 しかし,今の時代,今の子供達に伝えていくべきことは,教師が・自分が見て感じたものを伝えるということだと私は考えているのです。だからこそ,欲張りかもしれませんが三井さんのような活動をしたいと思っています。多くを見たいのです。
 やってみて気づけることなのかもしれませんが,三井さんのご意見を聞きたいと思うので,ぜひお返事を待っています。よろしくお願いします。


■ 三井の答え

 最初にお断りしておかなくてはいけないのは、僕は「写真家・フォトグラファー」であって、「フォトジャーナリスト」ではないということです。まぁ呼称というのはかなりいいかげんなものなのですが、やはり「ジャーナリスト」と呼ばれるのには抵抗があります。写文集「素顔のアジア」は、いくぶんジャーナリスティックな内容だったけれど、僕の軸足はその土地を自由に歩き回る「旅人」という立場に置いておきたいのです。
 そもそも「フォトジャーナリスト」と「フォトグラファー」と「プロカメラマン」は、その成り立ちというか、そこに至る道筋が全く違うのです。僕自身、写真業界に深く関わっているわけではないので、はっきりと断言はできないのですが、感覚としてはかなり違います。
 フォトジャーナリストの場合は、通信社や新聞社の記者としてキャリアを積んでから、フリーランスとなって一人で活動するというのが一般的だと思います。活動の場としては、週刊誌などの雑誌メディアが多いようです。最近創刊された「DAYS・JAPAN」などが代表的です。
 プロカメラマンというのは、職業的に写真を撮る人のことを広く一般に指す言葉です。だから料理カメラマンもいれば、スポーツカメラマンもいるし、広告カメラマンもいます。カメラマンは基本的にクライアントから仕事を請け負って、それを要求通りにこなすことが求められます。写真の専門学校に通ったり、スタジオに弟子入りしてなるのが一般的です。
 さて、最後のフォトグラファーですが、これが厄介者です。だってフォトグラファーの定義自体があやふやだし、「こうやったらフォトグラファーになれる」というのは、誰も教えてくれないから。ひとりひとりなり方が違うし、「食えていない人」も多い。あるいは、「カメラマン」としてお金を稼ぎながら、「フォトグラファー」として活動している人もいる。もちろん大成功したフォトグラファーもいますが、アマチュアとプロとのあいだを行ったり来たりしているという人が大半なのではないでしょうか。

 その点を踏まえた上で、話を進めましょう。文面から推測すると、あなたは「フォトグラファー・写真家」になりたいのでしょう。つまり一番厄介な道に進みたいと思っているわけですね。
 先ほども書きましたが、フォトグラファーになる決まった道というのは存在しません。いろいろな紆余曲折を経て、結果としてなってしまった、というようなものだと僕は考えています。僕がどのような経緯で今のような活動をすることになったのかは、ホームページやブログにもずいぶん書いたと思うのですが、あなたに読んでもらいたいのは僕が2年前に受けたインタビュー記事です。これはあなたと同じように将来への道を模索中の大学生が取材にやってきてくれたものなので、きっと面白く読めると思います。

 さて、あなたは教師になるために大学で勉強し、さらに自分の目で見たことを子供達に伝えたいと思っているのですね。それはとても素晴らしいことだと思います。
 教育現場の混乱が伝えられて久しいですが、その根本には「教師が伝えられることの限界と、メディアの発達」があると僕は考えているのです。
 昔、教師は掛け値無く「えらい人」でした。情報が少ない時代には、ある知識を上意下達的に伝えるだけで、尊敬を勝ち得ることができたのです。でも情報化の急速な進展によって、誰もが容易に知識にアクセスできるようになった。「知っているか」「知っていないか」を問うことが、あまり意味をなさなくなっているのです。
 そういう時代に教師に求められるのは、自分自身の目や耳や体で実感したものを、自分の頭で考え抜いたことを、子供達に伝えることだと思います。単なる出来合いの知識を教えるのではなくて、あなたがどういう経緯でその考えに辿り着いたのかという試行錯誤の道筋や、あなたが心の内に抱えている情熱を伝えることができれば、それは子供達にとってかけがえのない体験になるのではないでしょうか。
 だから僕は、あなたが教師になる前に世界を旅するのは、とてもいいことだと思うし、教師になってからもぜひ続けて欲しいと思うのです。

 最後に、「フォトグラファーとして活動するのは困難か」という質問ですが・・・困難です。そりゃもちろん。
 その困難さは、「誰も正しい道を教えてくれない」、つまり「マニュアルがどこにも存在しない」ということに起因すると思うのですが、僕はどうやらそういう迷子みたいな状況を楽しんでしまえる性格らしいので、あまり深く悩んだりはしません。
 しかし考えようによっては、教師になることだって決して容易ではないはずです。資格を取って試験にパスすれば採用されるかもしれないけれど、それはあくまでも教師としてのスタートラインに立ったというだけですよね。子供という自分の思い通りにはならない存在が相手なのだから、マニュアルに従っているだけでは、いい教師になれるはずがない。
 「自称」フォトグラファーが大勢いる中で、「一流」と呼べる人はほんの一握りであるのと同じように、しっかりと生徒と向かい合って授業のできる先生は、ほんの一握りなのかもしれません。
 もちろん、これはどんな職業にも言えることですね。常に自分自身を磨き続けること、成長し続けることが、何よりも大切なのだと僕は考えています。



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