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■ 旅の質問箱「20代と30代の違い」

人は25歳ぐらいで人が固まってくるらしいのですが、三井さんはいかがだったでしょうか?
10代、20代のうちにしておくべきことって、又は勧めたいことありますか?
30代と20代、また10代ってどう違うでしょうか?
私は時々、子供心や悩むこと、新鮮さを失っているんじゃないかとヒヤヒヤします。


■ 三井の答え

 そうですね。少なくとも僕にとっては、25歳は大きな転換点だったと思います。
 僕は25歳で会社を辞めて、それまでとはまったく違う道を進もうと決意したのですが、それはこのままサラリーマンとして流されていくことへの漠然とした不安があったからだと思います。
 今ある自分がそのまま固まっていって、未来への可能性がどんどんと狭まっていく。その流れを変えたいという思いが、旅に出るきっかけとなったのです。

 25歳の時点で、僕には先のことはまったく見えていなかったけれど、とにかく30歳までは自分のやりたいことをやってみようと思った。そういう意味では、「30歳の壁」というものを意識していましたね。
 先日、一緒にインドとタイを旅したアメリカ人のウィリアムは最近40歳になったのですが、彼の場合には「40歳の壁」が重くのしかかってきたようです。
 自分の人生に対して極めて前向きで、後悔している暇があったら次の手を考えておくべきだ、というポジティブな性格のウィリアムでも、40歳になった直後はかなり落ち込んだらしいのです。
「僕はもう40なんだ」とウィリアムは言います。「新しいことを始めるには、気力も体力もいる。家族のことだって考えなきゃいけない。失敗は許されない。だから今が新しい夢を実現させる最後のチャンスかもしれない」
 ウィリアムはそのような決意の元で、新しい英語学習雑誌を立ち上げるというプロジェクトを始めたわけです。そして、彼は(決して順風満帆ではないけれど)目標に向かって一歩一歩進んでいるのです。

 10代20代の若い人達に勧めておきたいことは、やはり旅することでしょうね。それもなるべくなら、パッケージツアーではない一人旅を勧めたいですね。
 先日、長旅から帰国して驚いたのは日本の「脳ブーム」ですが、その中に「旅は脳にいい」という説があるそうですね。そりゃまぁ当然だろうと僕なんかは思います。旅をしているとき、特に一人旅をしているときには、人は体力と好奇心とコミュニケーション能力をフル稼動させている。常に新しい刺激があるわけです。そういう毎日が脳に良い効果をもたらさないわけがないですから。

 でも、毎日同じことを繰り返しているように見える日常生活の中にだって、自分なりの変化をつけ、新しい刺激を吸収することは可能なはずなんです。例えば面白い小説を読む。カメラを持って町を歩く。猫を飼う。美味しい料理を作る。恋をする。そんなことの中にも、自分の可能性を広げてくれる刺激が満ちているのだと思います。

 結局のところ、「今ある自分が固まっていく」というのは年齢によるものではなく、本人の認識によって左右される部分が大きいのではないかと思います。
 ウィリアムのように、40歳を超えても常に新しいことへ向かっていける。そういう自分でありたいと僕は思っています。




■ 旅の質問箱「デジタル一眼レフカメラについて」


私も時々ですが海外旅行をして写真を撮るのを楽しみにしています。
私は今だにデジタル一眼を持っていないのでそろそろ欲しいと思っているのですが、次から次へと新しいモデルが出るのでなかなか「これを買おう!」と踏ん切りがつきません。ちなみに使っているカメラはイオス5を13年間使っています。
当たりの機種だったのか分かりませんがアフリカに2年、オーストラリアのバイク旅行で半年パリダカールラリーとそのついでのアフリカ旅行に持っていっても一度も壊れた事がありません。ストロボの動きがおかしいかな?と思った事はありますが。
一応購入候補としてはイオス30D、5Dといつ出るか分からないオリンパスのE−1後継機です。

三井様は20Dから5Dに機種変更をされたようですがいかがでしたか?
5Dで気になったのはストロボが内蔵されていないと言う事です。
三井様はおそらく外部ストロボはお持ちでしょうがとっさにストロボを使いたい時にはどうしているのか?と思い質問させて頂きました。

それからCMOSへのほこり対策はどうされていますか?
夜は宿で「点検・掃除」でしょうか?
最近友人がオリンパスのE-300を持ってメキシコへ旅行に行ったのですが「ほこりっぽい場所でレンズ交換をしてもほこりは付かなかった」と言っていたのでE-1後継機が出るまで待とうとかとも思っています。


■ 三井の答え

 初めての旅以来、僕は一貫してEOSデジタルシリーズを使い続けています(EOS−D30 → 10D → 20D → 5D)。今回持って行った5Dは、僕にとってお初めてのフルサイズセンサー搭載カメラだったので、画質には期待していましたが、実際の写真は期待以上のものだったと思います。
 ただし僕は他社カメラとの比較を行ったことはありませんし、カメラに詳しいわけでもないので、「このカメラはお勧めです」というようなことは言えません。いろんなサイトで製品の評価を行っているでしょうから、それを参考になさってください。
 ひとつ言えることは、デジタルカメラの進歩は著しいので、次のモデルを待っていたらいつまで経っても買えない、ということです。「必要なときが買い時である」と僕は常々思っています。
 同じカメラを13年もお使いだということですが、デジタル製品の分野ではそのように長く使える「名機」はまず現れないと思います。

 幸いにして、過去にカメラが壊れたことは一度もありません。うっかりレンズを落としちゃって、動作がおかしくなったことはありますが、それ以外にはこれといったトラブルもなく旅を続けています。その意味ではキャノンの製品は、まぁ信用できるのかなと思っています。

 フォトギャラリーを見ていただければわかると思うのですが、僕はストロボを全く使いません。はじめから一貫して自然光でのみ撮影しています。だから今回の旅でも外部ストロボを買って携行するようなことはありませんでした。
 デジカメのいいところはISO感度を上げられることですね。5DだとISO1600まで問題なく上げられるので、室内であっても十分に撮影することができました。真っ暗な中、キャンドルライトが灯っているだけ、というような非常にタフな状況(例えばこのネパールの夜間学校の写真など)でも撮影できましたし、ストロボの必要性を感じることはありませんでした。

 一眼レフデジカメの宿命とも言えるのが、センサー部分につくホコリですね。これについては僕は余り気にしないようにしています。確かにホコリは付着します。特に頻繁にレンズ交換すれば、ホコリが入らないということはあり得ないと思います。ブロアーで掃除すればそれなりに綺麗にはなりますが、なかなか完全には取れません。
 しかし、そのホコリが実際の写真に反映されるのは、ごく限られたシチュエーションだし(例えば青空とか、単色の壁とか)、それもあとで修正できるので、ノープロブレムです。

 2001年に旅をしていたときには、一眼レフデジカメを持った旅人を見かけることは皆無でしたが、今や外国人旅行者が持つ一眼レフカメラの半分以上はデジタルに置き換わっています。デジタルカメラのアドバンテージは旅においてもっとも発揮されるように思います。




■ 旅の質問箱「サイトデザインについて」


「たびそら」をいつも楽しみにしています。
前から思っていたことですが、「たびそら」って写真も文章も良いのですが、デザインも本当に素敵ですよね。さりげないけれど・・・・とても見やすくて、シンプルでいいと思うんです。
私もホームページを作っているんですが、なかなか「たびそら」のように作れません。
三井さんはWEBデザインの勉強などをなさっていたのですか?
「たびそら」のようなサイトを作るためのコツのようなものがあったら教えてください。


■ 三井の答え

 ちょうど「たびそら」の大がかりなリフォームを行ったところなので、ナイスタイミングでした。
 サイトデザインを褒めていただくことって滅多にないので、ちょっと嬉しいですね。たとえて言うなら、女の子が服装のトータルコーディネートを褒められたときのよう気分、でしょうか。「靴がいいね」とか「アクセサリーがかわいいね」だけじゃなくって、「全体のバランスがいいね」って言われると嬉しいものですよね。
 さて、今回のリフォームでは、「劇的ビフォアアフター」みたいに壁紙の色から床の素材から何から何までをすっかり変えてしまったわけではないけれど、コンテンツの整理をしなおし、気になっていた細かい部分を丁寧に修正しています。(もしリンクミス等を発見された場合には、ぜひご一報ください)

 さて、ご質問への答えですが、僕はWEBデザインの専門的な勉強をしたことはありません。写真もそうだけど、自分一人でいろいろと試行錯誤した結果、今のようなデザインに落ち着いたわけです。だからもちろん、プロのデザイナーが作るようなおしゃれなものではないし、ホームページ作成ソフトがあれば、誰にでも作れるものだと思います。

 僕が「たびそら」を作るときにいつも頭に置いているのは、テキストと写真がすっきりと見やすいことと、サイトの大まかな構成が頭に描きやすいということです。
 ご存じのように、「たびそら」はフレームもフラッシュも使っていない実にシンプルな構成ですが、それは僕が高度なデザイン技術を持っていないという問題もさることながら、僕自身の好みの反映でもあると思います。WEBデザインに限らず、服装でもインテリアでも、どちらかというとシンプルなものを好む傾向がありますから。

 ところで、一般的にクールだと言われるサイトの多くが、文字が小さくてテキストが読みづらかったりするのですが、僕はああいうのが苦手なのです。目を凝らさないと文字が読めないとか、どこをクリックすればいいのかがわかりにくいとか、そういうサイトを訪れるとイライラしてしまう。
 あるいはアーティストにとっては、そのようなわかりにくさも表現手段のひとつなのかもしれませんが、少なくとも僕はそのようなユーザー・アンフレンドリーなサイトに遭遇すると、コンテンツの善し悪しを判断する前に、「戻る」ボタンをクリックしてしまいます。
 これって「食わず嫌い」なのかもしれないけれど、僕と同じように考えている人も決して少なくないと思うし、もしそうだとしたら、大変にもったいないことだと思います。自分のサイトの良さをアピールする機会を自ら狭めていることになるわけですから。

 最近では、ブログサービスを使うことで、サイトのデザインを1から考える必要なしに、見栄えのいいものが作れるようになりましたが、僕自身はブログのシステムというものをあまり気に入っていないのです。
 ブログって基本的に流れていくものなんです。トップページは見るけれど、それより下の階層まではなかなか読み進まない。目の前の一瞬一瞬を切り取るのには適しているけれど(そしてその瞬間を誰かと共有するのには便利だけれど)、ある一定の方向性を持った物語を提示するには不向きなものだと思うんです。

 僕は「たびそら」をアーカイブとして作ってきました。更新してから5年後10年後にも、多くの人に楽しんでもらいたいと思っています。だから、読み手がストレスなくアーカイブに(つまりは僕の提示する物語に)入っていけるかどうかが、「たびそら」のデザインの最も重要なポイントなのです。
 もちろん、その試みはまだ継続中なので、今後もちょくちょくリフォームを続けていくことになると思います。

 デザインも一段落着いたので、これから旅行記やフォトギャラリーという「中身」の充実に入ります。しばらく更新の途絶えていた旅行記も、近いうちに再開できそうです。
 今後の「たびそら」にもご期待ください。




■ 旅の質問箱「宿選びの基準」

三井さんはじめまして。私もアジアを旅していて、先日、寒空の日本に帰ってきたばかりのところです。
さて、早速質問ですが、三井さんは訪れた土地で、どの様な基準で宿泊先を決められているのですか?
お金さえ出せば、アジアとは思えないほどの超高級ホテルでホットシャワー、テレビ、エアコンつきで快適に旅する事だってできるわけです。
一方で、ユースホステルや、いわゆるガイドブックにのっているような「安宿」、日本人ばかりの集う宿、ロンリープラネット抱えた欧米人に人気の老舗宿など、おんなじ土地を歩いたとしても、宿選び次第で、旅のスタイル、そこで出会う人びとが大きく変わってくると思います。

200円安い宿を求めて2時間歩き回る日もあれば、風邪気味でちょっぴりリッチにシングルベットに飛び込みたい日も。
宿の主人との値段交渉で楽しいひと時を過ごすこともあれば、バス停の客引きにキレて「しゃ〜らああああっぷ!(黙れ)」と叫ぶへんな日本人になりさがっていた日も・・・。(用は私の場合は気分しだいってこと?)
三井さんの日記の中で、民家に泊めてもらったりしているのを読むと、筆者の言う「その土地の人々と同じ視線」に近いところにいるのだなあとうらやましくなります。
そんなステキな偶然を捕まえることすら、その人のそのときの「旅の力」、だと思うんです。
宿選びに関してご自身の基準や忘れられないエピソードがありましたら、ぜひ、教えてください。


■ 三井の答え

 僕は宿選びに関してそれほど強いこだわりを持っているわけではありません。「○○円以下」という基準を設けているわけではないし、宿に求めているものもあまり多くはありません。窓があることと、エアコンのないことぐらいでしょうか(エアコン嫌いについては前回も書きましたね)。
 僕は基本的に100円安い宿を求めて右往左往するのは時間とエネルギーの無駄だと考えているので、たいていの場合は「ま、これでいいか」という感じで、すんなり決めてしまいます。そもそも、僕が好んで訪れる田舎の町では、宿がひとつしかないところも多いので、選択肢そのものがひどく限られているのです。

 「宿は見かけだけでは判断できない」というのが、今回のインド旅行の教訓です。プーリで泊まった宿は、値段も安いし新築で小綺麗だし、「これはいい物件を見つけた」と喜んでいたのです。
 ところが思わぬところに問題が潜んでいたのでした。天井からぶら下がっているファンのスピードがものすごいスピードに固定されたまま調節できないのです。一応丸いつまみは付いているのです。しかし、右に回しても左に捻っても変わらない。ただのお飾りです。
 ファンはブンブンブンという派手な風切り音を立てて唸るように回っています。ちょうど窓を開け放った列車に乗っているような感じ。このままでは寝られないとスイッチを切ったのだけど、そうすると今度は暑くて眠れないのです。気温は正確にはわからないけれど、たぶん夜でも30度近くはあったでしょう。体中からじっとりと汗がしみ出してくるのです。
 狭い部屋のベッドに男二人が並んで横になっている上に、その男が二人とも180cmを超える大柄なものだから、暑苦しくて仕方ないのです(同行者のウィリアムはかなりマッチョな人です)。
 風はなく、空気は動かない。動いていたとしても、僕らの部屋の小さな窓からは何も入ってこない。そんなわけで、仕方なく僕はもう一度ファンのスイッチを入れました。しかしやはりうるさいのです。結局ファンのスイッチを入れても眠れないし、切っても眠れないというどうしようもない状態のまま、一夜を明かすことになったのでした。

 思わぬ問題が潜んでいたといえば、スリランカで泊まった宿もひどかったですね。スリランカは赤道近くにある熱帯の国なので、ホットシャワーを備えている安宿というのはほとんどないのですが、アヌーラダブラという観光地の少し高めの宿では、ホットシャワーが使えるというのです。少なくとも主人はそう言っている。その宿はスリランカの平均的宿賃よりもかなり高めではあったのですが、その主人の言葉にひかれて泊まることに決めたのでした。
 アジアでホットシャワーの付いている安宿というのは、だいたいどこも小さな電気温水器で部屋ごとに温水を作っているのです。電気温水器はパワーが弱く、お湯がちょろちょろとしか供給されないので、ないよりはマシという程度の代物なのです。
 しかし僕がこの日泊まった宿には、電気温水器はありませんでした。その代わりに、シャワーの口から天井に向けて一本の電気コードが伸びているのです。変なシャワーだな、と思ったのですが、まぁあまり気にせずに蛇口をひねりました。
 最初は冷たかったお湯は、すぐに温かくなりました。予想通り湯量はたいしたことないけど、久しぶりに浴びる温水に満足感を覚えながら、シャワーの向きを変えようと口金を触ったその時でした。「ビリッ」という強いショックが右手に走ったのです。
 僕は反射的に腕を引きました。そして慌てて蛇口を捻ってお湯を止めました。右手は軽く痺れています。その感覚には覚えがありました。以前、濡れた手で電気コンセントに触れたときの「ビリッ」と同じ感覚でした。そう、このシャワーは漏電していたのです。お湯と共に電気も流すシャワーだったわけです。オー、マイ、ガッ!
 たぶんこのシャワーは蛇口の中に直接電熱器を仕込んであるのでしょう。それが経年劣化によって漏電するようになり、シャワーの口金を触ると感電することになった。そう理解するのが自然でしょう。
 しかしまぁ、何という危険な仕掛けを作ったのか。このような仕組みのシャワーは他のスリランカの宿はおろか、どこの国でも見かけたことがないものなのです。感電の恐ろしさを知らない素人が作ったものか、あるいは泊まり客を感電死させて所持金を奪おうという算段なのか・・・。
 とにかく「感電シャワー」には気を付けて下さい。シャワーの口から緑色のコードが伸びていたら、その宿は避けた方が良い。それが僕がスリランカで学んだ教訓のひとつです。




■ 旅の質問箱「旅の終わりに何を思う?」

いつも楽しく拝見させていただいています。
私は今まで「ユーラシア一周の旅」の購入をためらっていました。それはなぜか? 旅が終ってしまうのが嫌だったからです。
私自身も旅が好きです。そして、旅が終る時にいつも寂しいと思うのです。三井さんはいつもどう思われるのでしょうか?
その旅がよかったと思えば思うほど強く寂しさを感じます。そういったところから私は「ユーラシア一周の旅」を終らせたくはありませんでした。でも、三井さんの旅はそこで終ったわけではありませんでした。サイトや書籍を通じてその後の旅を見ていました。
そろそろ「ユーラシア一周の旅」の終わりを見てもいいんじゃないか?とふと思いました。むしろ見たいと。そういう経緯で今回購入を希望します。
三井さんの今後の活躍を願っています。


■ 三井の答え

 そこまで強い思い入れを持って僕の旅行記を読んでくださっていたことは、大変に嬉しいことですし、また誇らしくも思います。どうぞCD−ROMで「ユーラシア一周旅行記」の終わりを見届けてやってください。

 長い旅を終えるときの気持ちというのは複雑なものです。旅を終えることが残念だという気持ちもあるのですが、その一方で「早く日本に帰りたい」とも思っているのです。
 僕にとって長旅は予め距離が定まっているマラソンレースみたいなものです。最初の旅はいつ帰るかも決めていなかったし、旅のルートも大幅に変更することになったので、「放浪」という言葉が適切なように思うのですが、二度目以降は予めデザインした旅を着実に走りきっているという印象があります。
 見知らぬ土地で、好奇心や体力を高いテンションで持続させるのはなかなか大変ですから、旅のペース配分というのがとても大切になってきます。「ここは上り坂だからハードにプッシュしよう」とか、「この辺は下りなので力を抜いて走ろう」とか、そういうことですね。
 もちろん、旅には常に予測不能なアクシデントがつきものですが、旅することに慣れてくると、そういうトラブルも「込み」のペースがわかってくるのです。
 そんなわけで、予定の期間の終わりにさしかかる頃には、僕はいつも好奇心や体力の大半を使い切っていて、残っているのは疲労と充実感だけだ、という状態になっているのです。

 「ユーラシア一周旅行記」の最後にも書きましたが、僕はいつも「ひとつの旅の終わりは、次の旅の始まりに繋がっているんだ」と考えています。次がいつになるかはわからないけれど、またきっと旅をするだろう。だから旅を終えることに、それほど躊躇はないのです。

 そうやって僕が今まで旅に費やした時間を合計すると、ちょうど二年になります。
 長いような気もするし、短いような気もしますが、これからもこの時間が延びていくことは間違いないでしょう。




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