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■ 旅の質問箱「自由と自立について」

今回、質問させていただきたいのは、「自由と自立」についてです。
仰々しいタイトルで申し訳ありません(笑)。
私も旅が好きで(沢木耕太郎タイプでした)、これまでにヨーロッパやアジアの国々を旅した経験があるのですが、旅を通して「英語を勉強したい」という思いが強まり、海外へ留学したいと考えるようになりました。
私は現在23歳のフリーターなのですが、いまだに実家暮らしで、両親の世話になっている状態です。
親元を離れて独りで生活したいと思う反面、留学に必要な資金の確保のことを考えると、なかなか踏み出すことができないでいます。
旅をすること、留学すること、自由な生き方をするということは大変魅力的であり、私の夢でもあるのですが、人の世話にならなければ実現できないような夢であれば、それはただの「ワガママ」であって、得られるものも少ないのかなと思います。
自立して、苦しい思いをしてでもやってやると思えるぐらいでなければ、諦めたほうがいいのかなと思います。
しかし一方で、そんなに気張る必要もないのかなとも思ってしまいます。
挫折してしまったり、実現するまでに時間がかかりすぎるぐらいなら、人に頼るという選択も間違いではないのではないか?
結局無理だったと後悔するぐらいなら、人に甘えてでもやってしまったほうがいいのではないか?
いち早く夢を実現し、成長を遂げたあとで、お世話になった人に恩返しをすればいいのではないかという考えです。
三井さんは、「自由」な生き方をするにあたって、「自立」というのは不可欠なものだとお思いですか?


■ 三井の答え

 僕が通っていた中学校の校訓は「自主自律」というものでした。公立中学なのに制服がなくて、生徒はみんな好きな格好で通うという全国的にも珍しい学校だったので、この「自主自律」という言葉にもそれなりのリアリティーがあったのですが、それにしても難しい言葉ですね。主体的に自分を律する。そんなもの中学生に求めるのは無理だろうってぐらい。
 でも、そのような高い理想を掲げているというのは、それほど悪いことではなかったと思っています。少なくとも「学校の決めた規則は何が何でも守れよ」みたいなくだらない建て前を押しつけられるよりは、ずっと良かった。
 ・・・というような思い出話から始めたのは、あなたの質問がとても難しくて、その難しさを考えるうちに中学校のことを思い出したからです。「自主自律」も「自由自立」も本質的な意味は同じようなものだと思いますから。

 自由を得るためには、もちろん自立は不可欠です。この二つは切っても切り離せない。なぜなら「自由」という言葉の中には「自由な行動に対する責任」が含まれているからです。自分の足で立っていない人間が(つまり自分で責任を取れない人間が)、自由だけを取りだして語ることには無理があります。それはひとつの軸で結ばれた車輪の片一方を外して走っているようなものなのです。
 そうは言っても、自分の二本の足でしっかりと立つというのは、簡単なことではありません。僕は今33歳ですが、この年齢になってもまだ経済的な見通しを立てるのは至難の業です。「今何とか写真家としてやっているんだから、これから先も何とかなるんじゃないか」というようなあやふやな立場なのです。
 そんな状態でもわりに平然としていられるのは、僕が楽観的かついい加減な性格だからなのでしょう。まぁ、あまり自慢できることじゃありませんが。

 僕はここ最近バイクを借りて旅することが多いのですが、実はバイクの修理が全くできません。パンクを直すことすらできないのです(原理はわかりますが道具を持っていません)。
 それでベトナム最北部とか、アチェ州の山の中とか、東ティモールとか、かなり辺鄙なところに出かけていくわけだから、無謀といえば無謀です。「途中で故障したらどうするんだ?」と聞かれることもあります。
 でも、案外何とかなってしまうものなのですね。パンクしたら近くに修理屋が見つかるものだし、事故ったとしても必ず誰かが助けてくれる。そう信じているし、実際にそうなったのです。
 最悪の状況を考慮に入れて、常に万全の準備をして臨むのが本格的な冒険だとしたら、僕の旅はその対極にあるものです。いつも偶然の出会いに助けられてきたのです。あるいはその偶然性を楽しんでいるのです。
 その体験が、僕の楽観的な性格を強化する方向に影響しているのは間違いありません。なんくるないさー(なんとかなるさ)が合言葉のようになっているのです。

 あなたの場合には、どうも「自由な生き方」を観念的に捉えすぎていて、それに振り回されているように思います。あなたが本当にやりたいこと、実現したい夢があるのなら、それを実現できる現実的な方法を探るべきです。「挫折したらどうしよう」とか、「実現するまで時間がかかりすぎるのならやめておこう」とか、そういうことを考えていると、いつまで経っても行動は起こせません。
 頼れる人がいるのであれば、頼ればいいと思います。「自立」というのは、なにも「誰にも頼らずに自分一人だけの力で立つ」という意味ではありません。「自立」と「孤立」は違うのです。多かれ少なかれ、人はみんな支え合っているものですからね。
 しかしさっきも言ったように、「自由」という言葉の中には「行動に対する責任」が含まれていますから、誰かに完全に依存してしまうのは、逆に自由な生き方を遠ざける結果になってしまいます。

 僕も20代前半の頃は、大いに迷っていました。だから変な言い方かもしれませんが、あなたには「大いに迷ったらいい」と言いたいのです。
 様々な葛藤をくぐり抜けることは、きっと今後の人生において何らかの役に立つはずです。
 迷うことを恐れないで、一歩前に進みましょう。




■ 旅の質問箱「写真家になるには」


 以前にメールしたとおり、今も猫の写真を試行錯誤しながら撮っています。唐突に失礼な質問かと思いましたが、やはり聞いておきたくて書いています。
 半年前に、写真家岩合さんに「猫の写真だけで食べている写真家はいない」と言われました。もちろん、私も「きっと、そうだろうな」と思いながら質問しました。そして、返事の答えが分かっていたにも関わらず、ショックで他の事を深く訊くのを忘れていました。
 「食べていく」と言うのは人によって価値観が違い、金額の差はまちまちだとは思います。私はあまり物欲はない方なので、生活していけるのであれば、好きな道を歩きたい。そう思っています。
 雑誌によりけりだとは思いますが、仮に月間誌に写真を掲載してもらえる状態になったとしても、それだけでは写真活動(国内や海外)の出費が大きくて生活出来ないのでしょうか ? 
 出版社への写真の持ち込みすら、まだしていない状態ですので、過去に何度も質問をしようとしては、削除していました。普通であれば、先に行動しろと怒られそうですが、どうしても意見を聞きたくなり質問させていただきました。


■ 三井の答え

 猫の写真にどれだけの需要があるのかはわかりませんが、大ベテランの岩合さんが言うのだから、たぶんそれほど多くはないのでしょう。そうだとすれば、それだけで食べていくのは厳しいでしょうね。
 そもそも「猫写真家」というジャンルそのものがないのだから、そこでいくら稼げるかなんて考えたって仕方がないと僕は思います。それよりはまず良い写真を撮ることです。自分の納得できる作品を作って、それを何らかのかたちで発表する。
 それが評価される場合もあるだろうし、そうではない場合もあるでしょう。でもとにかく他人の目に触れさせることが大切です。そうしないと、いつまで経っても夢想と現実の狭間を行き来することになるからです。
 あなたに実力と運があれば、「猫写真家」という新しいジャンルを切り開くかもしれません。そうでなければ、諦めて別の道を探すことになるでしょう。しかしいずれにしても、行動するところから始めなければいけません。

 他の写真家のことはよくわからないので僕の例しかお話しできませんが、少なくとも僕の場合は「写真家で食っていけるだろうか?」というところで迷ったことはありません。「写真家になろう」と強く思っていたわけでもなくて、ただ自分が撮った作品を発表し続けていたら、いつの間にか写真家になっていたのです。成り行きだといってもいいかもしれません。
 厳しい現実を見据えた上で冷静に判断するなら、職業として写真家を目指すのはやめておいた方がいいと思います。あまりにもリスクが大きすぎるし、リターンだってそれほど大きくはありません。趣味で猫を撮っている方がずっと幸せだと思います。
 それでもなおかつ写真家を目指すというのであれば、2,3年暮らせるだけの貯金を作ってから、自分の実力と運を試してみるというのもひとつの方法です。

 写真家に限らず、作家というのは「自分が表現したいことがあるから表現する」のであって、それで稼げるから、というのは二の次であるように思います。
 また、そのような表現への強い思いがなければ、写真家として成功することはないだろうと思います。




■ 旅の質問箱「生命力と喪失感」

三井さんはじめまして。
「たびそら」のアジアの普通の暮らしに密着した写真が大好きです。どの顔も本当に美しいと思います。
最近、私の教え子に(小学校の教師をしております)三井さんの写真を見せたのですが、反応がよくないのです。
瞳の輝きや、生き生きと働く人に目を向ける子は少なく、もっぱら「水牛がカワイイ」とか「服装がヘーン」とか、そういう些細な所にばかり目が行くのです。
こんな子供たちの反応を聞いて、三井さんはどう思われますか?
やはり物質的に恵まれた日本の子供たちには、命の本質が見えづらくなっているのでしょうか?


■ 三井の答え

 僕の写真を見た子供たちの反応は、ごく自然なものだと思いますよ。
 子供たちが瞳の輝きなどに関心を示さないのは、彼らが「命の本質」を見失っているからではなくて、「命の本質」のただ中に生きているからだと僕は思います。
 子供たちにとって好奇心いっぱいの瞳の輝きや、無邪気な笑顔は、日常的に目にする当たり前のものであり、注意を払う必要がないのです。それよりも、見たことのない水牛や、自分とは違う服装などに注意が向かうのは当然でしょう。

 僕も旅をしているときに、地元の子供たちに他の国の写真を見せてあげることがありますが、そのときの反応もあまり芳しいものではありません。それこそ背景に写っている水牛やラクダといった日本の小学生と似たようなものに興味を抱くのです。

 僕が(そしてあなたが)アジアの人々の生き生きとした姿に惹かれるのは、僕ら自身がいつの間にかそうした「無垢な生命力」を失ってしまったからではないだろうか。
 僕ら自身が持つ欠落感や喪失感が、それをまだ失っていない子供たちの姿を「かけがえのないもの」に見せているのではないか。
 それが僕の意見です。
 つまり大人になるということは、後悔を抱きながらもう戻らない過去を振り返ることなのです。
 僕らは無垢な時代には戻れません。だからこそ、他の誰かにそれを見出したくなるのです。

 旅をしていると、ときどき懐かしさと痛みと喪失感が混ざり合ったような感情に襲われることがあります。
 そして、そのようなときにはいい写真が撮れることが多いのです。




■ 旅の質問箱「写真データーの保存方法2」

旅の質問箱に写真データの保存方法として、ネットカフェを利用できると有りました。
簡単に出来る事なんでしょうか? その場合何か必要な物はありますか?

また今回インド、モロッコに写真を撮りに行く予定なんですが、インド、モロッコあたりでも可能でしょうか?
最近フィルムからデジカメに変更して、何も分からず不安で、メールさせてもらいました。
PC、フォトストレージやカードを大量に持って行く事も考えています。
他に良い保存方法が有ったら教えて下さい。


■ 三井の答え

 以前に書いたことの繰り返しになりますが、僕はデジカメで撮ったデーターをいったんノートパソコンのハードディスクに落としてから、それをDVD−Rに保存するという方法を取っています。パソコンもその中のハードディスクも、いつ何時壊れるかわからないですから、DVDというハードメディアにバックアップを取っておくのが一番安全だと思うからです。
 フォトストレージもメモリーカードもやはり壊れる危険性がありますから、バックアップとして理想的とは言えません。とはいえ、ノートパソコンを旅先に持っていくのは手間だし、盗まれるかもしれない。そういう方のためにネットカフェのサービスをお勧めしたのです。

 インドでもモロッコでも、大都市や観光地などバックパッカーが多く集まるような場所に行けば、必ず外国人向けのネットカフェがあります。そこに行けばデジカメのデーターを直接CDやDVDに焼いてくれます。デジカメをそのまま持って行けば、あとは店員がやってくれるでしょう。値段もそれほど高くはありません(1枚200円ぐらいだったかな?)。
 今はカードの値段もすごく安くなって、容量も増えましたから、1ヶ月ぐらいの旅であれば、メモリーカードを複数枚持つことで乗り切れるかもしれません。4GのCFカードが1万円を切るような時代ですから。本当にすごいですね。

 2001年に僕が最初の旅をしたときには、確か64MのCFカードを持って行ったはずです。それも結構高かったんですよね。
 今の4Gのカードと比較すると60分の1ですか! 『ムーアの法則』恐るべし、ですね。
 もっとも、6年前に比べるとデジカメの画素数も飛躍的にアップしていますから、いくらか相殺はされますが。




■ 旅の質問箱「アジアでバイクを借りるには」

 三井さんはバイクにてアジアを旅していらっしゃるとのことですが、一日3ドルとは驚異的ですね。好きなところで停まるのも自由だし、その国の風を全身に受けることができそうです。
 質問です。外国でバイクを借りるときは、免許証を提示する必要があるのでしょうか。免許は日本のものでよいのでしょうか、それとも、国際ライセンスのようなものがあるのですか?インドネシアの旅行記を見る限り、急な思い立ちで特に何の用意もなかったのではと思うのですが。
 次回作のバイク旅行記、期待しています!


■ 三井の答え

 アジアでバイクを借りるのは意外に簡単です。少なくとも僕が旅した限りにおいては(ベトナム、カンボジア、タイ、インド、インドネシア、東ティモール、フィリピン)、バイクを借りるのに必要なのはパスポートの提示だけです。国際運転免許証も必要ありません。
 デポジットとしてパスポートを預けなければいけないというのは、どの国でも共通したルールですが、その代わりに相当分の現金を預けるという手もあります(バイク一台が買えるぐらいの金額です)。もちろん悪徳業者ではないと信じられる店でなければいけませんが。この点はご自分で納得するまで話し合う必要があります。
 運転時の免許携帯に関しては、国によってまちまちですが、国際運転免許を持っていれば(それがたとえ普通乗用車しか運転できないものであっても)まず問題ないでしょう。いちいち中身を確かめるような警察官はほとんどいません。
 例えばインドネシアという国は国際運転免許条約に加盟していない珍しい国なのですが、そのインドネシアで警察官に止められた時にも、国際運転免許を提示すれば通してくれました(もちろん厳密に言えば違法行為です)。そもそも警察官にも「インターナショナル・ライセンス」が一体どういうものなのかわかっていないのです。

 1日たった3ドルで、自由な風を感じられる。
 この言葉に嘘はありません。ぜひ、バイク旅行の面白さをご自分で味わってください。



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