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  たびそら > 旅行記 > 東南アジア編


目も眩むような急斜面を耕す女たち。
 どうして彼らはこんなに厳しい土地で暮らさなければいけないのだろう?
 ベトナム最北部をバイクで走り抜けながら、何度そう思ったことだろうか。石ころだらけの痩せた土地にクワを突き立てて耕し、猫の額ほどの小さな畑にトウモロコシや雑穀を植えて生活の糧を得る。そんな辺境の人々の質素な暮らしぶりは、肥沃な水田の広がるベトナム南部とは全く違っていた。

 人々は驚くほどの急斜面で農作業を行っていた。角度にすれば45度から50度ぐらいはあるだろうか。スキーの経験者ならわかると思うけれど、50度の斜面というのは上から見下ろすとほぼ垂直に見える。しかも足場は柔らかく不安定なので、足を滑らせる危険とも常に隣り合わせなのだ。まさに命懸けの農耕だった。

 なぜなんだろう。この貧しい土地にそこまでこだわる理由は何なのだろう。
「ここが俺たちの生まれた土地だからさ」
 僕の素朴な疑問に対して、ある男はこんな風に答えた。この土地で生まれたのだから、この土地で暮らすのだ。他へ移るなんて考えられないし、考えたこともない。

 同じような言葉を、別の場所でも聞いたことがあった。4000メートルを超える高地で暮らすチベット族も、灼熱と乾燥のサハラ砂漠で暮らすベルベル人も、厳しい冬に耐えながら暮らすアフガニスタン北部の人々も、やはり「ここに生まれたから、ここに生きている」と言ったのだった。誇り高く、胸を張って。

「猫の額」と呼ぶのが相応しいような小さな土地を、牛を使って耕していた。


 どんなに厳しい土地であれ、そこに適応して生きていく。それは人間の持つ生命力の本質なのかもしれない。「ただ生きている」ということの強さと逞しさ。僕はそのことに強く打たれた。

 ベトナム最北部を訪れたのは初めてだったが、目にする光景には不思議な懐かしさがあった。
 谷底まで続く段々畑。斜面にしがみつくようにして建つ家々。乾燥したトウモロコシをついばむ鶏や、首の鈴を鳴らしながら歩く水牛。それらはネパールの山村を旅したときに目にしたものとそっくりだったのである。

子供が小さなきょうだいの面倒を見ている。

山から切り出した薪を運んでいる女の子。燃料の確保も大きな問題だ。
 まだ五、六の女の子が幼いきょうだいを抱いている姿も、ネパールでよく見かけたものだった。現在、ベトナム政府は中国の「一人っ子政策」に習った「二人っ子政策」を強力に推進している。その甲斐あって、都市部はもちろんのこと、農村地域でも子供の数は二、三人が普通なのだが、北部の辺境地域だけは様子が違っていたのだ。六、七人の子供を持つ夫婦もいまだに多く、親や祖父母だけではとても面倒を見られないので、上の子供たちにも赤ん坊の世話をさせているのである。

 あたりに漂う匂いもネパールに似ていた。家畜の糞が混ざった畑から立ちのぼる濃密な匂いや、人々の衣服に染み付いた汗の匂いや、家の中に漂う湿っぽい土壁の匂い。決して良い香りではなかったが、それぞれの匂いには目を閉じていても人々の暮らしぶりがまぶたの裏に浮かび上がってくるような、くっきりとした輪郭があった。

 ネパールとベトナム北部とでは距離も離れているし、文化も宗教も違う。にもかかわらず人々から発する匂いがとてもよく似ているというのは新鮮な驚きだった。斜面を耕し、雑穀を植え、雨を待ちながら暮らす。そのような山岳民としての共通性が、彼らの匂いの中に表れているのだ。

牛を追って歩く女の子たち



アイスキャンディーを手にしたアオザイザオ族のおばさん。
 メオバックという町の近くで、週に一度開かれるという朝市を訪ねた。少数民族の暮らす山村では、このような定期市がいくつか開かれているのだが、その中でも大規模な市のそばをたまたま通りかかったのである。

 市場には付近の村々から大勢の人が集まっていた。売り手も買い手も大半は女たちであり、しかもそれぞれ独自の民族衣装を身にまとっていたから、とても華やかな雰囲気だった。緑色の派手な服を着たモン族や、巨大な帽子を頭に載せたアオザイザオ族はとりわけ印象的だった。

 市場では様々なものが売り買いされていた。肉や野菜などの食料品や日用雑貨はもちろんのこと、畑を耕す際に使うクワを並べて売る人や、縦笛の実演販売をする人、小型のミシンを持ち込んで靴を直している人なんかもいた。特に人気が高かったのがアイスキャンディー屋だった。前にも書いたように、3月のベトナム北部はかなり冷え込んでいて、アイスキャンディーが欲しくなる季節ではないのだが、子供だけでなくおばさんたちも嬉しそうに棒付きアイスを買い求めていた。電気の通っていない村からやって来た人にとってアイスキャンディーとは「ここでしか食べられない特別なもの」であり、「ハレの日の象徴」なのだろう。

アオザイザオ族のおばさんが売っていたのは手漉きの紙だった。

酒とタバコが何よりも好き。
 市場で写真を撮るのは簡単ではなかった。人々が写真に対してあからさまな拒絶を示すことはないのだが、カメラを持った外国人など最初から存在しないかのように無視されてしまうのである。
 どの国でも山岳少数民族というのはシャイだし、よそ者に対する警戒心がひときわ強い。逆に言えば、外の世界に対する閉鎖性と警戒心を持ち続けてきた者だけが、少数民族としての独自性を保っているのである。外のものを何でも受け入れるような人々なら、とっくに民族衣装を脱ぎ、マジョリティーのベトナム人と同化しているはずなのだ。

 どのように振る舞えば自然な表情を向けてくれるだろうか。悩みながら市場を歩き続けた。言葉は通じないし、通訳もガイドもいない。そんな状況の中で僕を助けてくれたのはお酒だった。市場の一角には、自家製の焼酎を量り売りしている場所があったのだが、そこで売り子のおばさんたちと一緒に酒を飲むうちに、周りの人々の僕に対する視線が変わってきたのである。

 市場に集まっている少数民族は、それぞれに違う服装をし、違う言葉を話している。しかし酒と煙草が何よりも好きだという点では誰もが一致していた。この二つがないと生きていけないんじゃないかと思うぐらいだ。だから煙草を売る店と、酒を売る店の前はいつも大勢の人で賑わっていた。僕に対する視線が変わったのも、「あのよそ者も俺たち同じように酒が好きなんだな」という安堵感が広がったからではないかと思う。

米焼酎の味を比べる女性。売る方も買う方も真剣である。

 少数民族の人々にとって、市場に集うこと自体が一種のお祭りなのだろう。生活に必要なものを手に入れるだけでなく、離れた集落に住む人同士が共に酒を酌み交わし、情報を交換し合うということも大切な目的のようだった。


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