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  たびそら > 旅行記 > インド編(2012)


 アンドラプラデシュ州グントゥールの旧市街もまた、様々な色に満ちあふれていた。この町を彩っていたのは、赤や黄色の花々だった。生鮮食料品を売る市場の一角に花専門の売り場があって、そこに季節の花々が山と盛られていたのである。

 マリーゴールドは1キロ30ルピー(45円)で売られていた。花をキログラム単位で売っていることにも驚かされるが、ごく普通のおばさんがそれを5キロも買っていったりするのだ。両手で抱えないと運べないぐらいの大変な量である。こんなにたくさんの花をいったい何に使うんだろうと思って訊ねてみると、ヒンドゥー教の儀式(プジャ)でばらまくんだよ、という答えが返ってきた。





バラの花飾りを作る職人
 この町では花飾りづくりも盛んだった。ジャスミンやマリーゴールドやバラなどを糸で繋いで、一本の太い花飾りにするのだ。これは結婚披露宴や祝い事などで使われるもので、もっとも高価なバラの花飾りだと一本300ルピー(450円)もするという。

 花飾りの工房で働いていたのは6人の職人たちだった。親方も含めて全員がムスリムだという。彼らは工房の二階にある狭い部屋で、むせかえるような花の匂いに囲まれて仕事をしていた。

 それは日々同じ作業を繰り返している職人ならではの洗練された手さばきだった。右手で花をつかみ、左手で糸をくるくると回して、それを結びつけていく。からだが一連の動きを覚えているのだろう。手元を見る必要もなく、次から次へとリズミカルに花と花が繋がっていく。見ているだけで楽しくなるような熟練の技だった。

 ちなみにこの工房では、花飾り以外に花火も作っているという。宗教儀式が多い時期には花飾りを作り、お祭りの時期になると花火を作るのだそうだ。まったく別の仕事のような気もするけど、どちらもハレの日に欠かせない道具という点では共通しているのだろう。

花飾りの職人の中でも特に手つきが見事だった24歳のアフマディ君。この仕事を始めてもう8年になるという。









[動画]花飾りを作る職人

「あんた、こんなところで何しているんだね?」
 花飾り工房を出て、町を歩きはじめた僕に突然声を掛けてきたのは、度の強いメガネをかけた中年の男だった。彼の話す英語はインド訛りが強いうえにとても早口だったから、最初は何を言っているのかわからなかった。何度か聞き直してみて、ようやく彼が「下町の路地裏で外国人がいったい何をしているのか」と不思議に思っているのだとわかった。

「写真を撮っていたんですよ、ここで」
 僕は首にぶら下げたカメラを高く持ち上げた。
「とても美しいシーンがあった。だから写真を撮っていたんです。ただそれだけですよ」
「美しいものなんて、ここには何もないよ」
 男はぶっきらぼうに言い放った。何かに腹を立てているようでもあった。
「外国人のあんたが喜ぶようなものはここにはない。まったくない。ただの汚い町だ。貧しい人々が働いているだけだ。もし美しいシーンが撮りたいんだったら、町外れのフォートに行きなさい。古い城だ。あそこは素晴らしい。こんなところを歩いていても仕方ない。さぁ行くんだ」

 彼が旅人への親切心からアドバイスしてくれているのか、僕に対して何らかの敵意を抱いているのかはよくわからなかった。外国人が道に迷っているのかと心配しているのかもしれない。あるいは彼自身がこの町のことを嫌っているのかもしれない。いずれにしても、その助言は余計なお世話でしかなかった。インドにはときどきこういうタイプの人がいる。相手の気持ちを一切無視して、自分の主張だけを一方的にまくし立ててくる困った人が。

 しかし「この町には美しいものなんて何もない」とはっきりと言われて、僕はちょっと嬉しくなったのだった。
 地元の人ですら見向きもしないようなありふれた日常の中にこそ、本当に美しいものが潜んでいる。僕はそう信じている。そしてそれを発見するために、この何でもない町を歩いているのだ。

 おじさんの発した何気ないひとことが、僕がインドを旅する理由を教えてくれたのだった。



 オリッサ州の山奥で目にしたのは、信じられないほど美しい夕陽だった。僕は小高い丘の上にバイクを止めて、眼下に広がる湖を眺めていた。太陽が西の地平線に近づくにつれて、滑らかな湖面は赤く染まっていった。赤いインクを水に流したような、目の覚めるような赤だった。



 やがて太陽が山の向こうに沈んでしまうと、赤のグラデーションは深みを増していった。オレンジに近い赤から、くすんだ茜色へ。そしてもっと暗い色合いの赤へと変化していく。そのあいだ僕は夢中でシャッターを切り続けた。時間にしてわずか10分ほど。とても短いが濃密な、自然からの贈りものだった。

 ところが地元の人は誰一人として、この夕陽に関心を示さなかった。わざわざ足を止めて西の空を振り返る人は皆無だった。おそらく彼らにとって、この程度の夕焼けはそれほど珍しいものではないのだろう。今の時期には毎日のように現れる光景なのかもしれない。



 美しいものが、その間近にいる人たちに認知されないというのは、よくあることである。たとえば浮世絵は江戸時代の日本人にとってはありふれた庶民の娯楽で、高尚な芸術とはほど遠いものだと考えられていたが、それが陶器を梱包する際の包み紙として西欧に渡ったことで、外部の人間の目に触れ、改めてその斬新さと芸術性が評価されたのである。

 内部の人間には気づけない美しさがある。インサイダーだからこそ見落としてしまうものがある。
 オリッサ州の空を彩る夕陽も、花飾り職人の鮮やかな手つきも、セメント工場の純白の世界も、そこで暮らしている人にとっては何ら新鮮なものではない。それは凡庸な日常を構成するパーツのひとつでしかないのだ。



 だからこそ、僕はアウトサイダーとしてインドを旅して、写真を撮っている。
 当たり前のように見過ごされているものの中に、何か特別な光が宿るときがある。
 その瞬間を捉えたくて、僕はインドを走り回っている。


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