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  たびそら > 旅行記 > インド編(2012)



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インド一周のルート
 今回も70ccの小さな原付バイクを相棒にして、インドを一周する長い旅に出た。
 旅の出発地はオリッサ州のプリーという町で、そこからとりあえず西へ向かった。

 予定は立てないし、泊まる宿も決めない。どの道を通るのかさえ気分次第。蝶が花から花へひらひらと飛び移るような「バタフライ・ライフ」を102日間にわたって続けることになったのである。

 時速40キロでゆっくりと進んでいると、それまで自分の中に眠っていた旅の感覚が、ひとつひとつ呼び覚まされてくるのがはっきりとわかる。湿り気を含んだ風が頬を打つ感触。じりじりと肌を焦がす日差しの強さ。背後から追い抜きをかけるトラックが鳴らしていくクラクションの音。対向車がはね飛ばした小石がすねを直撃するときの痛み。

 日本にいるときにはまったく使われていなかった感覚が鮮やかに立ち上がり、いま自分がインドにいることを知らせてくれる。

 そう、ここはインドなのだ。
 これがインドの風なのだ。

今回の旅の相棒も70ccの小さなバイクだ

 途中、いくつかの集落に立ち寄りながら、のんびりとバイクを走らせる。オリッサ州の人々はとてもフレンドリーだ。カメラを向けると優しく微笑んでくれる人もいるし、すれ違いざまに「ハロー」と声を掛けてくる人もいる。



 休憩しようと立ち寄った食堂で、ワダという丸い揚げ物とサモサを二つずつ食べる。どちらも揚げたてのアツアツなのでうまい。サービスでつけてもらった生のタマネギを囓ると、ツンという刺激が鼻を通り抜けていく。

ワダは豆粉で作ったドーナツ

「テイスト?」
 ひげ面の店主が顔をおもいっきり近づけて訊ねてくる。味はどうだい?
「グッド」
 相手の勢いに気圧されながら答えると、主人はとても嬉しそうにニカっと笑う。人と人との距離がこんなにも近い。やっぱりここはインドなんだって思う。



 オリッサ州はインドでももっとも道の悪い州のひとつなので、バイク旅は決して快適ではなかった。特に山岳地帯はひどくて、本来はきちんと整備されているはずの州道が、未舗装のガタガタ道になっていることも多かった。自ら好きこのんで田舎道を走っている僕に文句を言う権利なんてないのかもしれないが、もう少しまともな道を通してくれたら旅がもっと楽になるのになぁと思わなくもなかった。

こんな石ころだらけの道が続くところもある

インド各地で進む道路工事の様子

 ボリグマという町の近くでは、道路が川によって寸断されていたので、バイクで川を突っ切る羽目になった。橋はどこにもなく、水の流れだってそれなりに速かったから、無事に渡りきる自信はなかったのだが、ちょうど通りかかった二人組の若者に「こんなの簡単に渡れるよ」とそそのかされて、一緒に行くことになったのだ。

川を渡るバイク。簡単に渡れそうに見えたのだが・・・

 しかし、これは相当にタフなチャレンジだった。少なくとも「簡単」ではなかった。実際に走ってみると、意外に底が深くて、70ccの非力なエンジンでは思うように進めなかったのだ。スロットルを全開にしたまま、両足で川底を蹴りながら、必死の思いで前進した。きっと第三者の目には、足をばたつかせながら25mプールを泳ぎ切ったカナヅチの子供みたいに見えただろう。

「これのどこが簡単なんだよ!」
 汗だくになりながら対岸にたどり着いた僕が二人に文句を言うと、彼らは涼しい顔で、
「でも渡れたじゃないか」
 と言った。そりゃまぁそうなんだけどさぁ・・・。
「これ、雨季になったらどうするんだい?」
「もちろんここは渡れないよ。他の道を行くことになる。あんた、雨季にも来るつもりかい?」
「まさか」と僕は大きく首を振った。「こんな経験は一度で十分だよ」

 地図上には確かに存在するはずの橋が、きれいさっぱり消えている場所もあった。どうやら最近起きた洪水で橋が流されてしまったらしく、コンクリート製の橋脚だけが無残な姿をさらしている。復旧工事はまだ始まったばかりなので、橋が再び通れるようになるまでには、あと1年はかかるという。

このように橋が壊れていては、先へは進めない。

小さな渡し船で対岸に渡る

 幸いなことに、川が最も狭くなっている場所を往復する渡し船があったので、それを利用して川を渡ることができた。小さな木製のボートなので自動車は載せられないが、バイクなら運んでもらえたのだ。運賃はバイクも含めて20ルピー。こういう自然災害もちゃっかり商売に変えてしまうたくましさは、さすがである。



とにかく狭い部屋
 オリッサ州は宿事情も良くなかった。州都ブバネシュワールや観光地プリーはともかく、田舎町に入ってしまうと、宿の選択肢が極端に狭まってしまうのだ。人口が少ないところだと、町に宿が1、2軒しかないところも珍しくない。言うまでもなく、そういう町の宿は著しくレベルが低いのである。

 コルダという町で泊まった宿もひどかった。インド全土にあまたある安宿の中でも、トップクラスのひどさだと言っていいだろう。部屋は独房のように狭く、ベッドはがちがちに硬く、用意されたシーツは元の色がわからないほど変色していた。部屋の壁はなぜかペパーミントグリーンに塗られていて、その不自然なほどどぎつい色が部屋のわびしさを余計に強めていた。ここはまた蚊の巣窟でもあるらしく、部屋に入るなり5、6箇所も立て続けに刺されてしまった。

 チェックアウトが午前7時という異様に早い時間に設定されているのも謎だった。インドの安宿の多くは24時間制(たとえば午後6時にチェックインしたら、次の日の午後6時までいられる)だし、そうでない場合でもチェックアウト時間は通常10時か11時なのだ。客の利便性なんて全く無視しているのである。

「チェックアウト7時」と書かれた注意書きがドアに貼られていた。

 もっとも腹立たしかったのは、共同のバスルームの汚さだった。滅多に掃除などしないのだろう。とにかく汚いのである。便器の中に他人の大便がぷかぷか浮いているのはまだ(なんとか)許せるにしても、便器の枠の外に堂々たるブツがとぐろを巻いて置いてあるのには、開いた口がふさがらなかった。
「な、なにしてんねん!」
 思わず関西弁で叫んでしまった。
 目測を誤ったのだろうか?
 もしそうだったとしても、どうしてそのまま放置しておくのか。まったく理解できなかった。

[動画]腹立たしいほどひどい宿

 しかし、こんなひどい宿だったにもかかわらず、その夜は意外なほどぐっすりと眠れた。ベッドが狭すぎるのも、ファンの風量が強すぎるのも気にならなかった。眠気が不快さに勝ったのだろう。あるいは不愉快なことには目をつぶり、目の前の現実を進んで受け入れようという心の準備ができたのかもしれない。

 良くも悪くも、これがインドという国なのだ。
 道の悪さも、宿のひどさも、人と人の近さも。すべてを受け入れなければ旅は進まない。
 なぜなら、ここはインドなのだから。


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