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■ 「印象に残る乗り物・ベスト5」


三井さん、お久しぶりです。
以前、民族対立について質問した綾森です。
この度は写真集の2冊同時出版、誠におめでとうございます。
金字塔を打ちたてましたね。

さて今回の質問ですが、「乗り物」について伺いたいのです。
小学校に通っていたころ、電車や飛行機に目を輝かせている子供が周囲にいませんでしたか?
かつて車内販売のお弁当を食べる余裕のあるスピード感のない新幹線の時代がありましたが、今となってはそのような乗り物(その空間)自体が旅の目的の一つとなっていた時代が
とても懐かしいのです。

三井さんは自動車よりも自転車の方が便利な京都で育たれたことも関係しているかと思うのですが(私も銀閣寺の近くで中古自転車を購入して世界遺産巡りをしたことがあります。)、自動車やタクシーよりもバスや電車のような人と触れ合える空間、地に足の着いた自転車での移動の方が得意、相性がよいのではないでしょうか?

海外でも、飛行機や乗り合いバス、オートバイや自転車、リキシャやトゥクトゥクなど、様々な乗り物を利用されてきたことと思います。

作品中紹介されている部分も多数あることと思いますが、それぞれの乗り物に思い出、思い入れがありましたら、軽いランキング形式でもかまいませんのでぜひエピソードを教えてください。
よろしくお願いします。
なお、掲載の際には名前も含めて全文載せていただければ幸いです。

綾森 康二 (アヤノモリ ヤスジ)


■ 三井の答え

 旅情をかきたてる要素として「乗り物」が欠かせないのは、あの不滅の長寿番組「世界の車窓から」の例からもわかりますね。特に鉄道というのは日本人(特に男性)の心を惹きつけてやまないもののようです。女性ならローカルグルメを味わう、男性ならローカル鉄道に乗る、というのが旅の目的の大きな部分を占めているのではないでしょうか。
 ところで、僕はグルメにも鉄道にもあまり興味ない人間です。鉄道以外にも飛行機とか車とか船とか、男の子が憧れる勇ましい乗り物には、あまり心を動かされないのです。
 昔からそうだったわけではありません。というのも、僕が大学生の頃に専攻していた機械工学科というのは、自動車や鉄道に代表される「男の子っぽいメカ」を作ることを目的としていたような学科だったからです(だから女子生徒が全くいなかったのです。ゼロでした)。
 ところがいつの頃からか、僕の中にメカへの憧れや興味が薄らいできた。その理由はよくわかりません。嫌いだった牡蠣フライがいつの頃からか好物になっていたように、苦手だったナスの味噌炒めをいつの間にか自分で作るようになっていたように、人の好みや傾向というのは、年と共に変わるもののようです。

 ・・・というのは、今回のご質問への答えとは関係ありませんね。本筋に戻しましょう。牡蠣フライの話、じゃありませんね。「乗り物」の話でした。
 前置きで説明したように、僕は「乗り物」それ自体に特に興味がないので、やはり印象に残る乗り物と言えば、それに乗っていたときにどのようなエピソードに遭遇したかという一点に集約されるように思います。
 それでは、僕が選ぶ「印象に残る乗り物」ベスト5を発表します。

1. 突然「花」のメロディーが聞こえてきた・・・ミャンマーの夜行列車
2. 世界一退屈な6日間・・・シベリア鉄道
3. 日蒙歌合戦・・・モンゴルの歌声バス
4. 乾きと暑さと大火事と・・・パキスタンの灼熱バス
5. トヨタのお陰・・・アフガニスタンの辺境バス
 
 こうして並べてみると、飛行機がひとつも入っていないことに気が付きます。飛行機って頻繁に利用してはいるのだけど、たいしたトラブルもないし、実に快適なので、あまり記憶には残らないもののようです。便利になればなるほど、移動自体は味気ないものになるということでしょう。
 だから、アフガニスタンのマザーリシャリフ・ヘラート間では、飛行機なら30分でいけるルートを、わざわざ3日間かけて陸路で移動したのです。馬鹿馬鹿しいけど、やってみるだけの価値はありました。

 ところで、「たびそら」でもたびたび取り上げているアメリカ人のウィリアムは、ミニバスが大の苦手でした。狭苦しいミニバスに長時間押し込められていると、息が苦しくなり、パニックを起こしそうになるのだそうです。だから少々時間がかかっても、自由に席を立つことができる列車で移動しようと強く主張するのです。
 彼の「ミニバス恐怖症」は、どうやら「自由を奪われる」ということに対する潜在的な恐怖心から生まれたもののようです。自由に旅をして暮らしているときは、そのような恐怖症に襲われることはなかった。ところが定職に就き、夫になり、父親になり、自由が制限されてきたと感じるようになった頃から、狭い移動空間が苦手になってきたというのです。
 飛行機嫌いとか、車酔いとか、特定の乗り物を苦手としている人がいますが、そこには心理的な要素が深く関わっているのかもしれませんね。




■ 「なんくるないさー」

拝啓 三井昌志様
小生、会社を休職(退職)してどこへ行こうかと自問しているときにあなたのHPを偶然見かけました。以来、この2,3日お写真と紀行文を拝見しております。
最近、ふとした切っ掛けで生きる支えを失い途方に暮れておりました。現時点でも、仕事から解放される時間帯には喪失感・無力感に襲われます。
きつい精神状態を克服するべく、初めての海外旅行をしてみる気になりました。ただ、貯金があまりないのを悲観するあまり、片道切符になっても構わず身辺整理をしてから出国するつもりでおりました。まるで、死に場所を探すような心境でした。悲壮感いっぱいですね。
でも、質問箱にあるあなたの回答を拝読するに至り、私が、あなたの文章から思い浮かんだ事は、"なんくるないさ"という沖縄言葉です。なんとかなるさ、です。あがいて、もがいてみて、それでもまだ先は暗い。でも、なんとかなるさ、という感覚です。
私は先程、"死に場所"と書きました。そう書いたのは、金が尽きた時点で、その場所で死ぬつもりであったからです。そう思えば、どうせなら見たいモノを見てそれから事に及んでもいいじゃないか、と思っておりました。とにかく、日本には居続けられないし、居たくもない。

しかし。その時になって本当に、自分がどういう行動を取るのか見てみたくなってきたのです。生き続ける意欲を取り戻すか、やはり断崖絶壁を飛び降りるか、はたまた、予想もつかない事をしでかすか。
今読み返してみると、こいつは危険な賭けですが、あなたが撮った写真や、あなたが感じたことに触れたとき、私にはまだ(生きる)選択肢は残されているのではないか、と思うようになり、お陰でいくらか心持ちが楽になったような気がします。
本意ではありませんが、日本に戻って数少ない友人宅へ居候するのも現地で鳥の餌になるよりはマシではないかと思うようになりました。
長々と自分のことばかり書き連ねてしまい、穴があったら入って生き埋めにしてほしい心境でありますが、三井様には、『生きるヒント』をいただけたことに対して御礼を申し上げたいが為にこのような駄文を差し上げた次第です。どうかお許しください。
それでは、今宵はここまでに致しとうございます。
三井様のご健康をお祈りいたします。


■ 三井の答え

 沖縄の方言「なんくるないさー」は、僕も今年になってはじめて知った言葉です。バンコクで出会った沖縄出身の女の子たちに教えてもらいました。彼女たちは初めての個人旅行で帰りの飛行機に乗り遅れるという大失態をやらかしたのだけど、親切な現地人との出会いで何とか救われたそうです。あなたのメールを読んだとき、ちょうどその「なんくるないさー」についての文章を書き終わったばかりだったから、とても驚きました。

 そう、僕は何かトラブルがあったり、うまく行かないことがあっても、いつも「なんくるないさー」の精神で乗り切ることにしています。旅先では、後から振り返ると冷や汗が出るような場面にも何度か遭遇したけれど、まぁ何とかなってきたのです。
 基本的にオプティミストなのですね。そしてその楽天的な発想には、あまり根拠というものはありません。それは今までの経験を元にした信念なのです。人はちょっとやそっとのことで死にはしません。

 僕が旅においてもっとも大切にしていることは、「裸の自分をさらす」ということです。旅先において僕は全く無力な存在です。ただ海の向こうの島国からやってきた、現地語も話すことができない一人の男に過ぎない。
 しかし、その無力な自分を見知らぬ土地でさらすことによって、今まで知らなかった自分が見えてくるのです。自分の限界や、可能性や、弱さや、強さが。ときには自分の楽天家ぶりに驚き、ときには自分の臆病さに呆れ、強い好奇心に振り回される。そうやって隠されていた、あるいは見て見ぬふりをしていた自分の等身大の姿に向き合うことができる。それが一人旅の良さではないかと思うのです。

 ぜひ一人旅をしてください。そこで何が起こるのかはわからないし、それはとても不安だけれど、その不安を目一杯楽しんでください。
 きっと何とかなります。"take it easy"です。なんくるないさー、です。




■ 「写真集を出版するには」


私の夢は写真集を出すことです!
質問なのですが、三井さんは原稿をもって出版会社をまわったのでしょうか?それとも写真展などをやってるうちに誰かから声をかけられたとか・・・。
私の母も本を出してるんですが母の場合は『書いてください』と頼まれてとのことでした。
出版会社でセミナーなんかをやってるので参加して、まずは基本的な本作りから学んでいきたいと思ってます!!


■ 三井の答え

 僕は出版社に直接原稿を持ち込んだことは一度もありません。
 今まで出版した4つの著作は、全て「たびそら」を見た編集者の方から直接連絡を頂いて、そこから企画を進めていったものです。
 ですから、仕事の受け方としては完全にインターネットに頼っています。自分から営業をして回るということはほとんどありません。それがいいのか悪いのかよくわからないけれど、結果的にそれでなんとかやってこれたのだから、まぁいいだろうと考えています。

 このやり方の問題点は、時間がかかるということです。何かの賞をもらうとか、スキャンダラスなネタを扱っているとか、経歴がとてもユニークだといったことでもないかぎり、ネットの世界で認知されるためには、それなりに時間が必要なのです。
 だから「1年も2年も待っていられない。一刻も早く出版したい」という人は、出版社に直接コンタクトを取ってみた方がいいかもしれません。でも原稿持ち込みの方法は僕に聞かないでください。さっきも書いたように経験がないですから。

 しかし原稿を出版社に持ち込むにせよ、持ち込まないにせよ、一度自分の作品をネットで公開してみることを僕は勧めます。
 僕の場合には「たびそら」というホームページを作り、多くの人に見てもらう過程で、自分の作品を客観的に評価できるようになったし、自分が本当に表現したいものは何なのかということがはっきりと見えてきました。
 そのような客観的な視点を持つためには、自分以外の誰かに作品を見てもらうことが不可欠なのです。

「何を表現したいかよくわからないけれど、とにかく本を出したい」
 という状態では、いくら企画を持ち込んでも門前払いになるだけでしょう。
 まずは「自分が何を訴えたいのか」という部分を把握しなければ人の心は動かせないし、ましてやシビアな目を持つ出版編集者の心は動かせません。




■ 「たびそらを作るきっかけ」


はじめまして。いつも拝見しています。
旅行記はもちろんですが、特に三井さんの生き方に興味がひかれます。
かなり前ですが毎日新聞に掲載されたとき、会社を辞めて長旅に出て、といったところに共感し、
その後も質問箱などを中心にいろいろ考えさせられます。そこで・・・
(1)素晴らしいHPを作成しておられますが、昔からパソコンは詳しかったのでしょうか。
自分も作ってみたいなと思うのですが、あまりに途方もない遠い道のりに思えてなかなか踏ん切りがつきません。
何かこう、学生、社会人、あるいはフリーになってからにしても、やらざるを得ない状況でもあったのでしょうか。
(2)少し(1)と重複しますが、たびそらという壮大なHPを作り続ける意志はどこから沸いてきてたものなのでしょうか。
現在はそれなりの地位も築かれ、希望も期待も手応えも感じながらヤリガイもあろうかと思いますが、最初の最初は賞も受ける前でしょうし、ただ作って終わりの自己満足に終わる可能性もあったわけで、なかなか真似が出来ないことだと思います。
思うに要は旅するだけでなく、モノづくりが好きであるという事でしょうか。自分も含めて多くの人たちは、そのような生産的な事はシンドくて、ついつい旅で名所を回り、開放感を味わい、食べたり飲んだり喋ったり、というような消費的な事に走りがちなのでは。
そういう意味では三井さんはラッキーだし羨ましいですね。消費的な事だけが好きなだけでは何か別に仕事をしなくてはなりませんから。


■ 三井の答え

 実は、僕は「たびそら」を立ち上げる以前にも、自分のホームページを持っていました(1997年から)。だから旅の経験をホームページで発信していくというのは、僕にとってはごく自然な発想だったのです。他のアイデアは思い付かなかった。
 逆に言えば、インターネットやパソコンやデジタルカメラといったデジタルツールがなければ、情報を発信する側にはいなかっただろうし、したがって今のような仕事をすることもなかっただろうと思います。

 でも、最初から「たびそら」をこのように巨大な(「壮大な」というのは、何となくジョージルーカス的修飾詞のようにも思うので、これぐらいがいいでしょうね)サイトにしようと企図していたわけではありません。約5年間かけて試行錯誤しながら、結果的に今のような形になったのです。
 ですから、あなたも最初から「大きな結果」を見上げようとするのではなく、まず自分のできることから始めるのがよいと思います。何ごともやってみなければ、それが本当に大変なのか、案外そうでもないのかはわからないですから。

 ホームページを作るのはとても簡単ですが、続けるのはとても大変です。僕は常にそう思っているし、人にもそう言い続けています。これはホームページに限ったことではないけれど、何かを継続的に作り続けるためには、ある種の情熱や根気が必要になってくるからです。もちろん「もの作りが好きだ」という性質も重要でしょうね。

 自分の好きなことをやり続けてきて、それが結果的に仕事に結びついた。そのことがラッキーなのかは、僕自身には判断がつきません。
 でも僕は思うんですが、長期的な視点に立てば、誰の人生でも幸運や不運の量ってだいたい同じになるんじゃないですか?
 全てが上手く転がっているように見える時期もあれば、まったく上手くいかない時期もある。僕自身、この5年間はその繰り返しでした。今はどうかな。ちょうど両者の中間ぐらいかもしれませんね。
 大切なのは、どんなときにもペースを崩さないで、自分ができる範囲のことを積み上げていくことだと思います。それがなかなか難しいんですけどね。




■ 「長旅がつらくなるとき」


 私は数ヶ月単位の海外一人旅を経験したことがないのですが、時折自分は一人での長旅に向いているのだろうか?短い旅行の方が向いているのだろうか?長旅では旅の途中で疲れてしまい日本にすぐ帰ってくることになるのだろうか?と考えることがあります。
 想像の粋を超えないので教えて欲しいのですが、実際に長く旅をしていて、つらいと感じるのはどういうとき(状況)でしょうか?
 ユーラシア一周旅行記では3年間でしたか旅を続けている方の話もありましたが、長旅を続けている人たちの特徴は楽観的で、好奇心が強いことでしょうか?
 その他にも(ご自身のことも併せて)感じることがあれば教えてください。参考にさせていただきます。


■ 三井の答え

 僕は最初の10ヶ月の旅を皮切りに、毎年のように4,5ヶ月の長旅を繰り返しているのですが、1度目の長旅と2度目以降の長旅とは、やはり質が違います。
 確かに4ヶ月、5ヶ月という長いあいだ、日本語の通じない、日本食の食べられないところを旅するのはしんどいことです。どこで何に出会うのかは全くわからないし、どういうトラブルに見舞われるのかもわからないという先の見えない不安のようなものもある。
 けれど、「必ず帰ってくるのだ」という確信の元に旅を続けている限り、その不安は限定的なものになるのです。「暑いけど、まずいけど、しんどいけど、来月には日本に帰れるものな」という風に考えられるから。

 しかし最初の長旅は違いました。
 最初の旅でもっとも辛かったのは、「旅の終わり」をどうするのかという問題に直面したときでした。いわゆる「放浪の旅」をしている旅行者は、どこへでも行ける自由を手に入れた代わりに、どのようにして旅に決着をつけるのかを、自分で決めなければならない。
 長い旅の過程で、好奇心は摩耗してくる。同じ光景を見ても心が動かなくなる。移動が苦痛になってくる。それでも自らを鼓舞して動き続けるのか、あるいは「沈没」という名の穏やかな泥土の中に身を沈めるのか。それもまた自分の選択次第なのです。
 旅を始めるのにたいした理由はいらないけれど、旅を終えるのにはそれなりの理由というか、自分の中での「納得」が必要になるのだと思います。自分がどこまで行ったのか、どこまで行けなかったのか、何に希望を見出したのか、何に失望したのか。
 旅の終わりは自分に向き合うときです。そしてそのことが、ときとして一番辛いことなのではないかと思うのです。



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