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  たびそら > 旅行記 > インド編(2015)


親指山に祈る


 インド半島の大部分を占めるデカン高原には、不思議な形をした「奇岩」があちこちにそそり立っている。世界最大規模の玄武岩台地であるデカン高原は、雨も少なく乾燥しているので、自然が長い時間をかけて作り出した奇岩がそのままのかたちで残されているのだ。



 ミャンマーの有名な黄金の岩「ゴールデンロック」ほどではないにしても、インドの奇岩の中にも人が手を加えたとしか思えないような絶妙なバランスを保っているものがある。しかし、ほとんどの奇岩は地元の人の注目を浴びることはない。僕がカメラを構えていても「あの石っころを撮るの?」って感じですごく素っ気ない反応なのだ。

 岩は岩なのである。自分が生まれる前からずっとそこにあり続けているものに対して、いまさら「すごい」とも「不思議だ」とも思わないのだろう。

 しかし中には信仰の対象になっている奇岩もある。マハラシュトラ州マンマードにある岩山もそのひとつだった。この山はとにかくユニークな形をしていて、小高い山のてっぺんから親指がにょきっと突き出しているようなイメージなのだ。





 地元のタマネギ農家のおじさんに山の名前を尋ねてみると、彼は親指を立てて笑顔で言った。
「サムズ・アップ!」
 やっぱりそうなんだ。僕は嬉しくなった。この岩山は地元の人からも「親指(ヒンディー語でアングータ)」と呼ばれているという。ちなみに「サムズ・アップ!」という言葉はインド国産コーラの商品名にもなっているので、一般にもよく知られている。



「3000年ほど前、山のてっぺんからあの岩が生えてきたっていう話だよ」
 農家のおじさんは言った。代々語り継がれてきた伝説なのだろう。それがもし本当だとしたら、「2001年宇宙の旅」のモノリス並みにインパクトのある話なのだが、実際には長年にわたる風化と浸食作用で作られた形なのだと思う。

「あの山には神様がいる。だから特別な人以外登ってはいけないことになっているんだ」
 彼は親指山を見上げながら言った。
「神様がなぜ親指を立てているのか、それは俺にもわからないけどね」



 奇妙な形の岩、そびえ立つ霊峰、悠久の大河。自然が生んだダイナミックな造形を祈りの対象にするのは、人類にもともと備わっている根源的な衝動なのだろう。自分というちっぽけな存在を遙かに凌駕する大自然の力。それに対してひれ伏し、祈りを捧げる気持ちが、すべての宗教の根っこにあるのだと思う。



ジャイナ教の全裸行

 インドに数多ある宗教の中でも、ジャイナ教はとりわけ戒律が厳しいことで知られている。ジャイナ教は紀元前6世紀頃、仏教と同じ時代に成立した古い宗教で、その教義の大元には「生き物を傷つけてはならない」という考えがある。だからジャイナ教徒は厳格な菜食主義者だし、人を殺す軍人や魚を殺す漁師になることもなく、(土の中の微生物を殺す可能性のある)農業に従事することもない。

 ジャイナ教の僧(聖者)は「不殺生(アヒンサー)」にもとづいた厳しい生活を送っている。徹底した菜食主義を貫き、生き物を殺さないように細心の注意を払って暮らしている。彼らが手に持っているクジャクの羽も、座るときに小さな虫を踏みつぶさないように払うためのもの。生きているだけでものすごく疲れるような生活だが、彼らはそれを自ら選び取っているのだ。

 ジャイナ教の聖者が真っ裸なのは「無所有」という戒律によるものだ。服も下着も靴も何も所有しない。だから裸なのだ。開祖マハーヴィーラも裸で生き、それ以降の僧も彼を真似て裸で生きてきたのだ。(ジャイナ教はいくつかの宗派に分かれていて、僧に白衣の着用を認めている派もある)





 24時間365日全裸で暮らすジャイナ教の僧の一行とすれ違ったのは、ラジャスタン州ベアワル近郊だった。男女合わせて20人ほどの僧と、付き添いの信徒たちが国道を歩いていた。全裸なのは男性の僧だけで、女性の僧は白い衣服を着ていた。インドを長く旅していると、ジャイナ教の全裸僧とすれ違うことがときどきあるが、これほど大人数の集団を見たのは初めてだった。

「彼らは毎日歩き続けています」
 信徒の一人が英語で説明してくれた。
「列車やバスに乗ることはありません。自分の足で歩き続けることが重要なのです。本当に尊敬すべき人たちです。我々にはとても真似できないことをやっている。だから私はついていくのです」

[動画]全裸で歩く!ジャイナ教の聖者たち

 我欲を捨て、生き物を殺さず、ただひたすら歩き続ける。世俗にまみれた一般人とはまったく違う価値観のもとで生きているからこそ、裸の僧たちは尊敬を集めているのだ。



お前の宗教は何だ?

 インドには様々な宗教が混在している。人口の8割を占めるヒンドゥー教、二番目に多いイスラム教、数は少ないが確固たる社会的地位を築いているキリスト教やシク教、そしてジャイナ教や仏教など。インドに住む人々のほとんどは何らかの神を信じ、熱心に祈っていた。日常生活と信仰が密接に関わっていた。

 インドは昔から人口が多く、貧富の差が激しく、たびたび自然災害や疫病に襲われる土地だった。社会に「理不尽な死」がありふれていたからこそ、それを癒やす「物語」が必要とされたのだろう。インドで生まれたさまざまな宗教は、人々が究極の不条理である「死」を受け入れるための壮大な物語なのだ。

ブッダとキリストとガンディーという時代も宗教も異なる三人が並び立つ。異なる宗教が争うことなく共存するのがインドの理想だ。もちろんそれが常にうまく行くわけではないけれど、目指すべき方向はこちらだと示している。

 そんなインドを旅していると、「お前の宗教は何だ?」と聞かれることがよくあった。そんなとき僕は「仏教」と答えていたのだが、そう言ってしまった後で、いつも居心地の悪さを感じることになった。僕が仏教に対してある種のシンパシーを感じているのは確かだが、腹の底から信仰しているとはとても言えなかったからだ。

 しかしだからこそ、僕はインドの人々の祈る姿に心を動かされた。それは美しく、気高く、いじましかった。静かに祈る姿には、弱く小さな人間が精一杯純粋であろうとする気持ちが込められていた。


ユニークな顔立ちの神様を祭る祠にお線香をあげ、祈る男

川に灯明を流し、祈る男








 もしかしたら神様なんていないのかもしれない。それは僕にもわからない。でも、もしこの世界からすべての宗教が消えてしまったら、祈る姿がなくなってしまったら、この世界は味気ないものになるだろう。それだけは確かだ。

 人々が祈る姿は、この世界に美しい彩りを添えている。
 その美しい姿を、僕はなんとかして写真に撮りたいと思っている。


ラジャスタン州の半砂漠地帯で行われていた雨乞いの儀式。燃えさかる炎の中に、柄杓ですくったギーを入れる。炎をより高く舞い上がらせることで、空にいる神様と自分を一体化するという。農作物の出来はモンスーンに降る雨の量に大きく左右される。だからこそ祈りは真剣だった。

ラジャスタン州南部に住む牧民ラバリ族の村で、プジャを行う老人がいた。
お線香に火をつけ、鐘を鳴らし、神殿に向かって手を合わせる。一連の所作は日本の寺院で見かけるものとさほど変わらないのだが、赤いターバン姿のいかめしい老人が行うと、まったく異質な文化であるように感じられた。

ラジャスタンの牧民ラバリ族の村の寺院で、プジャの儀式を行う男たち。鐘を鳴らし、太鼓を叩き、歌をうたって神様を讃える。


[動画]トランス状態で剣を振り回す危ないサドゥー。これも祈りのかたちだ



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